002 風邪薬とは
「ここは……? 貴方はスタッフさん?」
意識が覚醒するなり、彼女は意味不明なことを言い出した。
格好といい、コスプレのイベントにでも出ていたのだろう。
「俺はスタッフじゃない。そして君は何らかの事故によって海に流され、この島に漂着した。ここは日本の本土からそれほど遠くない無人島だ」
「無人島って、貴方がいるから有人島じゃないの?」
「俺も普段はいないんだよ。たまたま夏休みでいただけだ。それより俺の小屋へ行って体を温めたほうがいい。そのままだとまずい」
「あ、うん、分かった、ありがとう」
と言った次の瞬間、彼女はクシャミした。
実に可愛らしい「クチュン」というクシャミだ。
ウチの親父なんて「ヘーグッションオラァボケェ!」と言うぞ。
「寒い……」
「服がずぶ濡れだからな。裸になったほうがいい」
「は、裸って!」
彼女の顔が真っ赤に染まっていく。
「男の前じゃ嫌だよな。気持ちは分かるよ。だから、とりあえず俺の服を着ればいい。幸いにも夏だし、こちらは裸でも平気だ」
サクッと脱いでパンツ一丁になる。
「え、その、知らない男子の服を着るのは……」
「気にしている場合かよ。このままだと風邪だけじゃ済まなくなるぞ。苦しみながら死にたくないだろ? 背中を向けておくから着替えたら言ってくれ」
「う、うん、ごめん、ありがとう……」
彼女は恥ずかしそうに俺の服を受け取った。
着替え終わった旨の報告をしてきたので振り返る。
「これでいい?」
「おう。 ……あ、靴は履いておいたほうがいい。裸足だと小石を踏んだだけで怪我をしかねないから」
「分かった」
彼女は白のオーバーニーソックスを脱いだままローファーを履く。
「靴の中がぐじゅぐじゅする……」
「我慢することだな。さぁ行こう」
小屋へ戻るべく、森に向かって歩き始めた。
◇
道中で簡単な自己紹介をした。
彼女の名は
雪のような肌と白銀の髪に相応しい名前だ。
彼女も高2で、歳も同じだった。
「ここが俺の小屋だ」
雪穂を家にあげて、囲炉裏の傍で休ませる。
薪を燃料にしている為、時折バチバチと小気味よい音が響く。
俺は予備の服を着た。
「大吉君、本当に私のことを知らないの?」
一息つくと、雪穂が尋ねてきた。
「何度も言っているが知らないぞ」
どうやら雪穂は有名人らしい。
本人曰くテレビにも出ているアイドルとのこと。
容姿が容姿なのでそのことを疑いはしない。
ただ――。
「悪いが俺はテレビを観ないんだ」
「そっかぁ……クチュン!」
「こりゃ明日は覚悟しておいたほうがいいな、酷くなるぜ」
囲炉裏に吊っている鉄瓶の熱湯を湯飲みに入れて渡す。
雪穂はそれを両手で包み込むように持ち、チビチビと飲んだ。
「大吉君、この家には電話とかないの?」
「スマホはあるが電波は届いていないよ。でも安心してくれ。明日には爺ちゃんが来る。それで帰れるよ」
「じゃ、じゃあ、今日はここで大吉君と過ごすことになるんだ……」
雪穂の顔に不安の色が浮かぶ。
「一つ屋根の下で過ごすどころか布団も同じだぞ。一つしかないし」
「うぅぅ……こんなことがマスコミに知られたら生きていけないよ……」
「いや、不安になるなら襲われないかどうかだろ」
「あはは、たしかに。でも、大吉君ならそういうのは大丈夫そうかなって」
「人は見かけによらないぜ」
「そうなの?」
「いや、言ってみただけだ」
「なにそれ」
雪穂が可愛らしく笑う――が、その直後にまたクシャミ。
「早めに風邪薬を飲んでおいたほうがよさそうだな」
「あるの? 風邪薬」
「たしか常備していたはず」
壁際に設置されたタンスを物色する。
「ここは正確には爺ちゃんの小屋なんだが、爺ちゃんの性格的に風邪薬があって然るべき――あったあった」
ドンッ、と風邪薬を取り出す。
「これで大丈夫――って、駄目だわ、これ」
風邪薬の瓶を見て手が止まった。
「どうしたの?」
「期限が切れてる。しかも8年前に」
「8年!?」
「1年くらいなら平気だろうけど、8年は怖いからやめておいたほうがいい」
「うん……クチュッ!」
「クシャミの頻度が上がってきているな」
「ごめん……」
「謝ることじゃないさ」
囲炉裏で暖を取っているし、温かい飲み物も与えた。
できることは他にない。
――否、ある。
「ちょっと待っていてくれ」
立ち上がって外へ向かう。
「どこに行くの?」
「風邪薬の代わりになる物を用意する」
「そんなのがあるの?」
「うむ。すぐに戻るから適当に過ごしていてくれ。土間にある干し肉は好きに食べてくれていいよ。冷たい水が飲みたかったら水瓶からすくって勝手に飲んでくれ」
「分かった。でも、早く戻ってきてね。一人だと不安だから……」
雪穂に背中を向けたまま「おう」と答えて小屋を出た。
◇
この島は爺ちゃんが長い歳月をかけて改良してきた。
だから、そこはかとなくご都合主義的な環境になっている。
ということで、目的の葛の根をゲットすることに成功した。
それを川の水で綺麗に洗ってから小屋へ戻る。
「おかえり、ゲホッ、ゲホッ」
雪穂が咳をしている。
俺が小屋を出る前に比べて症状が酷くなっていた。
明日どころか今日の晩には発熱していてもおかしくない。
「手に持っているそれはなに?」
「葛の根さ。これで葛湯を作る」
「大吉君、そんなことができるの?」
「簡単だぞ。葛湯の素となる葛粉は片栗粉と同じ要領で作れるからな」
「いや、片栗粉の作り方も分からないんだけど……凄いね」
「それなら見ているといい。ここには何の娯楽もないし、暇つぶしにはなるだろうよ」
「うん、見たい見たい」
雪穂が興味を示しているので、解説しながら作ってあげた。
手作りの
「あとはこの白いドロドロが乾くと葛粉になるんだが、そこまで待てないのでこれで葛湯を作る」
「凄い! 面白い! 大吉君って、無人島の専門家か何か!?」
「テレビを観ない代わりにサバイバルの知識が少し豊富なだけさ」
そんなこんなで葛湯が完成した。
「ほら、これを飲むといい。お湯よりも体がポカポカするぞ」
「ありがとう!」
雪穂が嬉しそうに葛湯を飲む。
――が、直後に「うげぇ」と不味そうな顔をした。
「良薬は口に苦しってな。ま、良薬って物じゃないから、味だって不味いってほどでもないと思うが」
「うん、不味いというか、なんというか、『無』って感じだった。舌触りが思ったのと違ってびっくりしちゃった。せっかく作ってくれたのにごめん」
「気にしないでいいよ」
それから、俺も自作の葛湯を飲んでみた。
「うーん、不味い! 思ったよりも遙かに不味かったわ! すまんな!」
雪穂は「だよねー」と声を上げて笑う。
その直後にクシャミをして、俺の顔面をベタベタにするのだった。
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