第4話:聖女と貧困街

「まずはラクウェルへと向かうぞ」

「ラクウェル?」




 隣を歩く聖女が不思議そうに首を傾げていた。

 流石に貧困街の名前が隣国の、しかも聖女の耳にまで入っているはずがないよな。





「あぁ、一日中賑やかな声が絶えない、今にも昇天しようなほどの楽園のような町だ」

「それは素晴らしいです! ルグルド王国にはそんなにも素晴らしい町があるのですね!?」




 両手を合わせて、はにかむ聖女。



 マジか……。皮肉を込めて、貧困街のことを言い表したのに、そのまま受け取りやがったぞ……?



 驚きのあまり、一瞬俺は固まってしまう。




「あの……、どうかされましたか?」

「いや、何でもない。とりあえず、王都までは少し距離があるからな。そこで身支度を済ませるぞ」

「でも、私、荷物なんて――」

「食料も必要になる。それに休憩も必要だろう? 無理をして途中で倒れられた方が時間がかかる」

「あっ……。はい、ありがとうございます……」




 聖女の顔には疲労の色が浮かんでいる。

 慣れない逃走生活だから、当然と言えば当然だろう。


 一度、休ませる必要はあったし、俺もヴァンに依頼されていた一角ウサギを届けに行く必要がある。

 どちらにしても寄るつもりではあった。




「町に着いたら俺から離れるなよ? 攫われたい願望があるなら別だが」

「さ、攫われ!?」

「あぁ。聖女なんていかにも高く売れそうだからな」

「わ、私は売り物じゃないですよ!?」

「いや、ラクウェルでは普通に売買される。だから、俺から離れるな」

「は、はい……。わかりました……」




 聖女は一歩俺に近づいて、怯えた表情を見せていた。

 ここまで脅しておけば、フラフラッと変なところへ行くこともないだろう。







 しかし、俺のその見通しは甘かったようだ。




「アルクさん、見て下さい。たくさん屋台がありますよ!? 何が売ってるんですか?」

「まぁ、食い物だろうな」

「あっちには何があるのですか?」

「そっちは、まぁ……、遊戯場だな」

「本当に天国のような場所なんですね」




 ちょうど一番人が多い夕方に帰ってきてしまったのが運の尽きだった。

 たくさんの人と活気づいた町の入り口を見て、聖女は目を輝かせていた。




「別に何も珍しいものなんてないだろう?」

「そんなことないですよ!? 私はずっと教会暮らしでしたから、お祈りをしに来る人以外で、こんなに人がいるのは初めて見ました」




 ずっと教会に……か。

 それって軟禁されているのと違いがあるのか?


 一瞬そんなことが脳裏を過ぎったが、すぐに首を振って考えを改める。


 聖女のことは俺には関係ない。

 俺はただ、粛々と依頼をこなすだけだ。

 生きていくために……。




「それにしても、この近くには牧場でもあるのですか?」

「――牧場?」




 ラクウェルの近くにそんなものはない。

 そんなものを育てようものなら、瞬く間に食料にされてしまうだろう。




「そんなものないぞ?」

「でも、その……、臭いが――」




 眉をひそませる聖女。



 あぁ、そういうことか。



 貧困街は終始、ものが腐ったような臭いが漂っている。


 その理由はろくに掃除されていない、生ものが捨てられた路地であったり、腐敗してウジが湧いている死骸であったり……。


 他にも様々な理由があるが、とりあえず好んでいたい場所ではない。


 まぁ、ここでしか暮らせないなら話は変わってくるが――。




「あまりジロジロするなよ? 因縁でもつけられたら面倒だ」

「はい、大丈夫です。あっ、あっちにも変わったものが――」

「だから言ってるそばから――」

「大丈夫ですよ。町の中なんですから危険なんて……。きゃっ――」




 俺を見ながら走っていく聖女。

 人がたくさんいる中、前を見ていないとぶつかるのは道理である。


 しかし、ここでぶつかるのはまずい。




「あっ、ご、ごめんなさい……」

「痛て、痛てぇよ。これは折れてるな。治療費をもらわないとな」





 大袈裟に痛がって見せているのは、チンピラ風の男だった。


 聖女がぶつかったところで怪我をするように見えない。

 そもそも、金をむしり取ろうとしているだけなのだから、相手にするだけ無駄だった。


 しかし、聖女はそうはいかなかった。


 チンピラが本当に怪我をしたと思い込み、その場であたふたとしていた。




「わ、私、その……、も、もうお金は持っていなくて……」

「金がない? それなら体で払うしかないな」

「体……? は、働いて返すってことでしょうか?」

「まぁ、そうだな。嬢ちゃんは何もしなくていい。ただジッとしてくれていたらな」

「ジッと……?」




 何も分かっていない様子の聖女が首を傾げていた。

 ただ、このままいくと変な方向に話が逸れていきそうなので、仕方なく介入することになる。




「そこまでにしておけ!」

「あぁ、なんだてめぇ」




 ドスの利かせた声を出してくるチンピラA。


 この貧困街にいながら、俺のことを知らないのではたかが知れた相手だろう。


 そして、聖女はまさか助けてもらえるとは思わずに、目を潤ませていた。




「あっ、アルクさん……、こ、この人が骨折してしまったみたいで……。そ、その……、治療のお金が必要なんです……」

「そうか。で、どこの骨が折れているんだ?」




 俺はチンピラの腕を掴むと思いっきり捻りあげる。




「いてててて。や、やめ……」

「なんだ、全然折れてないじゃないか? でも、嘘はよくないよな。聖女こいつが治療費を払うんだろう? なら、そのためにもしっかりと折っておかないとな」




 チンピラを睨みつけながら、更に力を込めていく。

 すると、チンピラの顔がどんどんと青ざめていく。




「う、嘘だ。折れたなんて嘘だから、も、もうやめてくれ……。本当に折れちまう……」

「嘘をついたのならやることはわかってるだろう? こっちは精神的に被害を負ったのだからな。聖女こいつは危うく売られるところだった。この落とし前、どうつけるつもりだ?」

「ひ、ひぃぃ……。あ、有り金を全部渡す。だ、だから、命だけは……。命だけは助けてくれ……」




 その言葉を聞いて、チンピラを解放する。

 そこで、チンピラはようやく俺のことに気づいたようだった。




「あ、あんたは、まさか、便利屋アルク!?」

「――だったらどうした?」

「す、すまない。本当にすまない。今は手持ちがこれだけなんだ。本当にすまない」




 チンピラが小銭入れを投げて寄越してくる。

 そして、逃げるように去っていった。

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