閑なる日常に思う
私には理性がある。恐らく今生きている人間の三分の二は己のことをそう認識しているだろうと思う。
人間が社会を作ることができる最も大きな理由の一つだ。人間は理性を以て、自身や他人が人道から外れぬよう律する。この人道と呼ばれる概念も、理性が無ければ存在しないだろう。
私には知識がある。今生きている人間の半分はそう思うだろうか。或いは持つ知識が深い人間ほど、まだまだ無いと笑うかもしれない。
だが、多かれ少なかれ、人間には知識がある。知識が無ければ読み書きや計算ができず、また衣服を選ぶこともできない。さらには言葉を操ることもままならないだろう。言葉とは、人間の知識の最たるものだ。自他の知識を表すには、言葉が無ければ紡げないのだから。
人間には、理性と知識がある。場所や相手を間違えないよう考えた上で、一昨日の夜に見た夢を語らい、頭の中の空想を吐き出すことができる。もちろん絶対に間違えることが無いとは言えないが、もし失敗しても、それを新たな知識の蓄えとして次に繋げるための学習ができる。
人間には、最初がある。神とて例外では無い。聖書であろうが日本神話であろうが、神も人も何かのきっかけによって誕生する。例え想像もつかないような長い過去を生きても、辿れば必ず最初がある。
人間には、最後がある。神とて例外では無い。人間は肉体に限りがあり、神は人間の信仰が無ければ消える。何れ人間は自然の摂理とともに滅び、人間と共に神も滅びる。
人間には、最初と最後がある。生まれれば死ぬ。蘇ることは無い。どんなに身体を鍛えようが、どんなに精神が強かろうが、結局のところ老いには勝てないし、神は人を救いはしない。
私には、理性と知識がある。他人に迷惑をかけないよう努力することに一切の違和は無いし、食事と睡眠を大切にしないと身体に悪いことを理解している。
私には、最初と最後がある。二十年と少し前に生まれて、何事も無ければ恐らく六十年ほど後に死ぬだろう。
私は人間だ。人間が持つはずのものは凡そ持ち合わせている。己の知識として人間に最後がある事を理解しているし、己の理性として最後までなるべく迷惑をかけず失敗しないように努めようとしている。
私は人間だ。人間が辿るべき道を須らく私も進むことになるだろう。己の最初は知れども己の最後を知る事は最後になるまで無い。今までに巡り逢いこれからも関わっていくはずの人たちとて同じだ。いつからか生まれていつか死ぬ。
私は人間だ。
最初と最後がある事を知っている。
私は己の理性と知識のせいで、
この身の最後を途方も無く恐れている。
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