各駅停車



 目の前の少女を見ていた。

 赤いマフラーが良く似合う。

 何をしようと言うのだろう。

 涙さえ流さずに空虚な顔で。





 暗さが妙に痛かった。未だ違和感は拭えないままだ。吐き気を噛み殺しながら、一日半の明けたホームをくぐった。少しお茶でもとよろしい性格を滲ませた言葉を切って、夕暮れの人並に紛れ込む。機械音は嫌に耳を刺す。対価が足りないと喚く。仕方が無いから従っている。まただ。こんな事ばかりだ。

 どうにも醉いそうになってしまって、お行儀よく並んだ椅子に蹲った。目の前がぐるぐると忙しく廻る。よくもまぁ、そうせかせか歩けるものだ。毒づくのは簡単で、だから私は自分が嫌いだった。

 三つ下ほどだろうか。制服を着崩した四人が姦しく通り過ぎた。ミラーボールのような同性たちを貶す心も今は無い。同じようなものだ。熱苦しい密度が消えた時には、日もとうに落ち込んでいた。それでも未だ待ちたくて、相変わらず良い子に跨って、爪を噛んでいる。未だ、信じていたくて、爪を噛んでいる。

 視界が広くなり始めて。痛みが増してきて。あの時渡された、煮詰めた砂糖のパッケージをポケットの中に握りしめて。闇が覆う痛みを誤魔化すように、強く握りしめて。それから、言われたはずの何かを、思い出そうとして。俯いた先の赤が、あんまり強く光るから、ぎゅうと瞼を搾った。

 幸せだった。幸せだったのだ、確かに。幸せだった、のだけれど。その夢を、かき消す程度には、苦しかった。苦しかったのだ、とても。表通りを避けて、柔く手を繋いで、着くのを惜しむように、ゆっくり、ゆっくり歩を揃えて。誰に聞かれるわけでもないのに、誰にも聞かれないように、微かな声で言葉を交わして。いいの、だとか。いいよ、だとか。勝手な言葉を交わして。そんな体たらくだから、赤信号に引っかかって。もう無い終電を、口先だけで待ち焦がれて。困り果てたような切なかったような、同じ顔で笑って。それから、また丁寧に足を動かして、隠されかけた入口にもぐって。淡い緑を押して、電気の箱に体を滑らせて、三桁を目で追って。軽く重い音が鳴ったが早いか、首に掛かった赤を剥いで。それから、強く、強く、強く手を回して。

 ……幸せだった、ことを。睡るように思い返していたら。いつの間にか、帳は下りていた。残った時間はそれで最後。残酷で優しい、各駅停車。六十数えないうちにそれは来た。同乗者は、草臥れたスーツに腕を通した、疲弊を隠さないサラリーマン一人だけ。

 乗り込んで、沈み込む布の感覚を味わって。今日は、帰る気力も無いから、このまま眠ってしまおう。どこかで起きたら、そこで降りよう。そう決めて、顔の力を抜いた。

 あぁ、幸せだった。幸せだった。幸せだった、とても。

 とても。





 目の前の少女を見ていた。

 赤いマフラーが良く似合う。

 何をしようと言うのだろう。

 涙さえ流さずに空虚な顔で。

 列車の揺れが彼女を融かす。

 きっと何もしないのだろう。


 終電の各駅停車は回り往く。


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