終章
その先へ
白の浮遊島にある『星見の森』の散歩道を、公女は俯きながら歩いていた。
鬱屈した気分を晴らすためにきたのだが、少しも気が晴れることはなかった。それどころかあの日の記憶が蘇ってきて一層鬱屈した気分に陥ってしまった。
──今日のことは一生の宝。私の自慢だ。
そう思い、それを誇りとした。
なのに、自分は泣いてしまった。こともあろうに命懸けで戦ってくれた騎士たちの前でだ。
彼らの忠誠を否定したばかりか、彼らの存在まで否定してしまった。お前らよりあの人の方が大事だと示し、彼らの働きに酬いるより自分の感情を優先してしまったのだ。
……私はなんてこてをしてしまったのだろう……。
そう思う自分に更に気が滅入り、また涙が出てしまった。
「……姫様……」
少し離れた場所から主を見守っていたシアリが駆け寄ろうとしたが、横にいたマーベラスがそれを止めた。
険しい顔で振り返るシアリに、マーベラスは静かに首を振った。
「君が、いや、誰であろうと姫様を癒すことはできないよ」
今の主にはどんな慰めも届かない。自分たちも慰めの言葉しか出てこない。誰かが代わってやることもできない。これは自分で立ち直らなければいけないことなのだ。
……負けないでください。これが貴女の望んだ道なのですから……。
そして、妾腹の子として生まれ、病弱な腹違いの兄の代用品として人生を否定されてきたマーベラスの選んだ道でもあった。
俯きながら静かに泣く主を見守っていると、後ろから誰かが駆けてくる気配を感じてマーベラスは振り返った。
「アルア?」
マーベラスの呟きにシアリも振り返ると、下にいるはずのアルアが必死な顔をしてこちらへと駆けてくるところだった。
「アルア、どうしたんだ?」
だが、二人の存在を完全に見落としているアルアには届かない。そのまま通り過ぎて行ってしまった。
「──姫様っ! たっ、大変です! こっ、これを、これを見てくださいっ!」
混乱するアルアに主の涙は見えない。一人にしておいてという態度も見えない。もう見せなくてはいけないという気持ちでいっぱいなのだ。
しょうがなく鼻先に突きつけられたものを受け取った。
丸められた紙を広げると、それは見聞紙だった。
──連続強盗団ついに捕まる。
まず、そんな見出しが目に止まり、続いて写絵に釘づけとなった。
それは、剣を鞘に収めるルインと両膝をつく首領の光景であった。
見聞紙から顔を上げた公女は、問い詰めるような目でアルアを見た。
「もう下は大騒ぎです! 発着場には帝都中の文士が集まってくるし、このことを知った皇帝陛下からお呼びがかかるし……と、とにかく、帝都中があの事件に大騒ぎなんですっ!」
興奮するアルアからまた見聞紙へと目を向ける。
そこには例の強盗団がこれまでの強盗団とは違うことが、これでもかというくらい派手に書かれてあった。
続いて紅百合亭に押し入った強盗団が証拠を残したこと、幾人かが罠に嵌まって死んだこと、賊を一人捕まえたことが詳しく、ただし、ヘレアルの名誉を汚さないように書かれており、あの人の罠でなければ手がかりを残す強盗団ではないことが強調されていた。
特殊警備隊ですら敵わない強盗団にこれだけの手掛かりを残させる人物がなぜこのことを隠し、直ぐに行動しなかったのか。それはこの特殊な強盗団を“生きたまま„捕らえるには入念な準備が必要だったからだ。
死を恐れず、証拠を隠蔽するのに核石弾を人に仕掛けて自爆させようとする集団である。加えて強盗団にはマグナの剣や魔剣を持つ者、魔術や技法に長けた者が大勢いる。その者らを生きたまま捕まえることがどれだけ困難かが細かく記され、その困難を解決したルインの才能がこれでもとかいうくらいの賛美で書かれていた。
それ以上の美辞麗句で書かれていたのはルインの友であるルクアートの公女と五人の騎士であった。
武具一式や飛空艇の購入。公爵から罰を受ける覚悟で公女はルインに援助したはがりか賊を捕らえるのに一役買ったことが目を覆いたくなるくらい劇的に書かれていた。
もちろん、警備隊への配慮も忘れてはいない。
紅百合亭で得た手掛かりで賊の特殊性に気が付いた警備隊は、ルインとは別の方向から調査し、賊の隠れ家を突き止め、一網打尽にする準備を整えていることが書かれてあった。
そして、強盗団が復讐を開始。陽動に引っ掛かったことを知らせるために式人という魔人形を飛空艇に乗せ、周到な罠へと誘い入れた。とはいえ、賊たちの腕は魔法戦士に勝る。技術は特殊警備隊を凌駕している。用意した罠を次々と打ち破っていく。
そこに信念と覚悟を抱いたルクアートの公女と五人の騎士が現れ、さも激闘して足止めした文などどこの叙事詩だと突っ込みたくなる。
賊を生きたまま捕らえることに成功したルインは、その恩と罪に応えるべく公女に膝を折った。
だが、公女が守りたかったのは、心から願うのは、ルインがルインであること。自由を愛し、挫けまいと戦う誇り高い心を失わせないことだ。
公女の潔さ。十三とは思えない気性。その気高き品性に感銘を受け、この人こそ自分が生涯仕える人物だと感じたことが、まるで英雄譚──いや、もう英雄譚としか思えない内容である。
嘘ではないが真実でもない文に公女は笑い出した。
可笑しかった。優しいのか悪辣なのか、なんともあの人らしい手段に腹の筋肉が捩れそうだった。
笑うというよりは驚くといった方が良い状況で爆笑する主に、アルアは戸惑い、マーベラスに助けを求めるが、マーベラスの視線はなぜか上を向いていた。
「……ケウロンが空を飛ぶだと……!?」
その呟きにアルアも上を向いた。
純白の鎧に白銀の馬具を纏ったシリルと、皇帝の前に立っても恥ずかしくない騎士のような衣装で騎乗するルインが舞い降りてきた。
「……ルインどの……」
唯一シリルに抵抗力があるアルアの声に、笑っていた公女もルインの存在に気がついた。
「……やりすぎではなくて?」
目の前にきたルインに公女はそういった。
もちろん、ここへきた理由が気にならないわけではない。あのくらいで感銘で動かされる人ではないのはこれまでの付き合いで充分すぎるほどわかっていた。
──この人は自分の声にしか従わない人だ。
だから、ここへきたのはこの人の意志。この人が出した答え。自分がとやかういう問題ではないのだ。
「いや、あちらを立ててこちらも立てる、というのはなかなか難しくて、なぜかこうなってしまいました」
ルインは笑った。公女も笑った。
数ヵ月ぶりにいつもの笑顔を取り戻した二人であった。
ルインが公女に対して膝を折る。
「貴女と一緒に歩きたくなりました。お供させていただけませんか?」
自由とお茶を愛する人に相応しい宣誓であった。
それに応えるべく公女もルインに対して膝を折り、その手を取った。
「はい。喜んで」
その手の甲にそっと口づけをした。
翌日、その光景は見聞紙の一面を飾り、更に帝都を騒がせた。
後にココア・クレメールにより『姫と騎士』の題で出版され、『花乙女と双月の騎士』と並ぶ英雄譚として長く語り継がれたという……。
姫と騎士の歩む道 タカハシあん @antakahasi
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