7
どちらに逃げたかも、どのくらい逃げたかもわからないほど時間が経った頃、首領はやっと我を取り戻した。
だが、立ち止まったりはしない。走ったまま辺りを確かめる。
気配はない。あの怪音も聞こえない。いるのは部下が二人だけであった。
と、情けなくも生まれて初めて安堵のため息を漏らす首領だった。
まったく、冗談ではない。その道でも名の通った自分たちが逃げるとは。しかも、念入りに仕掛けたにも関わらずこちらが仕掛けに嵌まってしまった。ましてや隠れ家まで知られてしまうとは。
──だが、次はそうはいかない。次こそ奴を殺す。必ず殺してやる!
悔しいが今回は負けだ。だが、負けたのは奴の知略がこちらより勝っていただけで戦術が劣った訳ではない。この“暫魔の剣アイアート„があれば奴を殺せる。今度は絶対にこちらが勝つ。
そういいわけしている時点で敵わない相手だと認めているようなものだが、恐怖から解放された首領にはわからない。そうしなければ自分が保てないのだ。
なんとか落ち着いた首領は、これからのことに意識を切り替え──ようとしたらまた奇妙なものが視界に入った。
なにかに驚いて足を止めた首領に、部下たちも足を止め、首領が凝視する方向に目を向け、そして、絶句した。
──聖獣ケウロン。
その姿を見るのは初めてだが、一族の歴史にはケウロンといった聖獣を捕獲していた時代があったから、その姿、その能力は熟知していた。
……ケウロンが空を飛ぶだと……!?
そんなはずはない。聖獣ケウロンは森の獣。深き森の中で生息し、森の中を駆けることを誇りとしている。人に媚びず、人を寄せつけない気高く誇り高い聖なる獣。それが森の神、ケウロンティアンの使徒なのである。
なのに、目の前のケウロンは空を駆けるように飛んでいる。
天馬のような翼もなく、一角馬のような飛翔角もない。代わりといえば見事な鎧と銃──奇蹟の姫が愛用し、星渡る船から出てきた光の銃であった。
一切の思考が停止していると、ケウロンが構える光の銃がこちらを向いた。
鍛えれた勘と体が勝手に反応し、暫魔の剣で光を打ち払った。
そんな奇蹟を起こした自分に驚く首領だが、光が連続で、しかも途切れることなく襲ってくるため、無理矢理意識を戦闘状態に切り替えざるを得なかった。
空を駆けるように飛ぶケウロンは的確に、それでいて緩急をつけて攻撃をしてくる。
ケウロンが弓の名手なのは一般的に知られていることだが、光の銃を操り、空を飛ぶケウロンがいるなど話しても誰も信じないだろう。気の毒そうに見られるのがオチである。
だが、目の前のことは事実。揺るがしようがないくらいに現実であった。
ケウロンの腕と光の銃の威力に部下二人が倒れる。と、その攻撃が突然止んだ。
空を自在に飛ぶケウロンが出窓がある家の屋根へと軽やかに着地した。
距離にして約五〇メローグ。月明かりがあるとはいえ、普通の者には認識できる距離ではない。だが、鍛えられた首領の目にははっきり見えた。
見事な鎧に身を包んだ獣の背にあの男が騎乗していた。
あの男が真っ直ぐ自分を見ている。いや、薄ら笑いを浮かべながら自分を見ていた。
血が凍る。恐怖で体が硬直する。
ルインはシリルから降りると、夜空に向かって光弾を放った。
光弾が上空で弾けると、凄まじい光が街を照した。
ルインは屋根を伝って首領の前にきた。
「……これで終わりか?」
崩れ落ちた首領を見下ろしながら問うた。
その問いは首領の耳にも届いている。答えも出ている。降参すると口にしなければならないのに、恐怖で口が開いてくれないのだ。
「……そうか。終わりか……」
そう残念そうに呟いたルインは、唐突に首領を蹴飛ばした。
その蹴りに一切の手加減はない。普通の者なら肋骨が砕けているところだが、鍛えに鍛えた体にはびくともしない。それどころか恐怖を解くのにちょうど良い衝撃であった。
回転を利用して姿勢を立て直した首領は、放さなかった暫魔の剣を一閃させるが、手応えがない。その代わり光が駆けるのが見えた。
なにがなにやらわからない。だが、自分は生きている。あの男も生きている。まだ終わってはいないと、ルインから距離を取った。
また、奇妙なものが映った。
今まで自分がいたところに黒く細長い金属が落ちていた。
首領の目が金属から極細の光の剣を持つルインに向けられ、しばし見詰めたのちに自分の剣へと目を向けた。
暫魔の剣アイアートが真ん中からなくなっていたのだ。
この魔剣は一族に伝わるものではない。今、闇に勢力を伸ばしている謎の組織から買ったもので、伝説の百と四の魔剣に匹敵──とまではいかないが、既存の魔剣では太刀打できないほどの威力と強度を持っていた。
魔剣の素材はマグナを使っている。それを“斬る„などあり得ないし、生半可な意志では傷付けることもできない。そんなことをしたのは奇蹟の姫くらい。腕で斬ったのはジャン・クーだけである。
「……確かに硬かった。並外れた魔剣だ。それを“斬る„には桁外れの意志か鍛えに鍛えた腕が必要であろう。もし、超小型魔力炉搭載の剣──“月光„でなければこちらが負けていたことだろう」
自分には奇蹟の姫のように意志力はない、ジャン・クーのような腕もない。だが、自分には知識がある。知恵がある。経験があり人脈がある。この柔軟な発想がある。
相手が得意なものでくるなら不得意なもので攻撃すれば良い。それで勝てないのなら罠に嵌めれば良い。騙し合いなら自分が一番。自分が最強だ。場を作ってからの戦いなら奇蹟の姫だろうがジャン・クーだろうが勝って見せる。
……そうだとも。おれは銀狐ぎんきつね。彼の人が与えてくれた名誉ある称号だ……。
「……もう、良い。殺せ……」
両手を屋根につけ、ルインに首を見せる。
だが、ルインは光を消し、柄を鞘に戻して首領に背を見せた。
「いう相手が違う。首を出す相手も違う」
いって下を見た。
そこには道を埋め尽くすほどの警備隊が集まり、周りには特殊警備隊が囲んでいた。
「抵抗するのも良し。降伏するも良し。お前が光の下に出てきた人であるのなら自分で決めろ。ここは、闇で生きるほど優しくはないぞ──」
そういってルインは屋根から飛び下りた。
そこにはノルベットやルディー、そして、公女と五人の騎士がいた。
迷惑を掛けた人たちに苦笑を見せたルインは、ノルベットの前に立った。
「ルイン・カークの名に懸けて、ことの顛末、偽った罪を償います。だからどうか一日の猶予を頂きたい」
ルインは深々と頭を下げた。
その意味を悟ったノルベットは、ルインの肩を優しく叩き、控えていた部下たちに振り返った。
「モロリム大侯爵に馬を走らせろ! 各警備隊に解決を伝え、情報を集めろ!」
去って行くノルベットに再度、深々と頭を下げ、警備隊の邪魔にならないように端にいた公女たちへと近寄り、右膝を付いた。
「数々のご恩、ご支援、本当にありがとうございました。貴女がいてくれなければ賊を捕らえることができませんでした」
「……いいえ。私は見てるだけで、戦ったのはこの者たちです……」
そんな公女にルインは首を振る。
資金もさることながら公女の存在は絶大だった。多いに役立ってくれたのだ。
こちらの策を賊へと知らせるための餌となってくれたばかりか、公女の命を危険に晒した。
その罪はこの首を差し出しても足りないくらいの重罪であり、下手したら家族まで害が及ぶものであった。
「これからわたしは罪を償いに参ります。そこでどんな罰を与えられるかはわかりませんが、罪を償ったのち、この命で良ければ好きに使ってください。それが貴女に対する礼であり、償いでございます」
頭を下げるルインに、公女はいいがたい衝動に駆られた。
この人を騎士にしろ。この機を逃すな。待ってますといえ。心の底から噴き出してくる。口から出ようとする。
でも、もう一人の自分が必死に抵抗する。黙れと叫ぶ。
こんな機会は二度とない。この人を騎士にする機会はこれで最後だ。この人が自分の騎士になることは一生ないだろう。
──わかってる!
でも、駄目なのだ。いったら最後、この人から大切なものを奪う。自分の中から大切なものが失われる。もっとも欲しくないものを手に入れてしまうのだ。
……そうよ。ここにきたのは私の判断。協力したのも自分の勝手。全てはこの人の名誉を守るため。その願いを叶えるために自分は戦ったのよ……!
そうだ。自分は守り抜いた。友の名誉を、誇りを、なにより自分の信念を貫いたのだ。
公女の肩から力が抜け、なにかを成し遂げたような、なんとも清々しい気分に満たされた。
自分も膝を折り、ルインの手を取って顔を上げさせた。
「良い勉強をしました。貴方の言葉、貴方の行動、貴方の覚悟、その全てがためになる。私の糧となる。私も貴方を見習い、自分の道を貫いて見せます」
その手の甲にそっと口付けし、毅然と立ち上がった。
後ろに控える騎士たちへと振り返り、公女はにっこり笑った。
「私の我が儘に付き合ってくれて本当にありがとう。さあ、帰りましょう」
公女は一度も振り返ることなく闇夜に消えていった。
そんな公女をいつまでも見詰めている義兄へと、ジリートが駆け寄ってきた。
しばらく佇んでいたルインの表情がふっと和らぎ、いつもの優しい笑みを浮かべて義弟へと振り向いた。
「すまなかったな。お前にまで迷惑をかけて」
「あ、いや、そんなことは……」
言葉が出てこないジリートは、逃げるように俯いてしまった。
「……強き女性。優しき女性。そして、誇り高き女性。わたしの前に現れてくれる女性はいつもわたしに力を与えてくれる。道に迷わないように導いてくれる……」
まだ自分の行く先は見えないが、進めというのなら進んでやろうじゃないか。その先にあるものを見てやる。
「……フフ。今度はおれが高みから笑ってやる……」
なにやら呟いたルインは、ジリートの首に腕を回した。
「ジリート。お前に頼みがある。聞いてくれるか?」
その笑顔には覚えがあった。
なにか名案が出たとき、対抗相手と戦う前のとき、自分にだけ見せてくれる笑顔だった。
ジリートは笑う。ルインが変わってないことに。自分だけが知る笑顔があることに。
「兄貴の願い、オレが聞かなかったことあったっけ?」
「お前の、いや、文士としての誇りに反することでもか?」
そんなことをいう義兄の首に腕を回した。
「オレの誇りはここにあります。真実もここにあります。この誇りある限り、オレの誇りには反しませんよ」
腕に力を籠め、可愛い義弟へと頭突きを食らわした。
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