駆けつけると、紅百合亭にルインがいて、剣を抜き放ったところだった。


「────」


 と、突然、マーベラスが剣を抜き放ち、主へと襲い掛かろうとしていたなにかを打ち払った。


 遅れてきたアスファルとニックスが慌てて剣を抜き放って主の左右についた。


「アルアとシアリは姫様を守れ!」


 アスファルの指示で少年と少女は主の前に出て盾となる。


 剣に炎を宿らせたマーベラスへとアスファルとニックスが辺りに注意を払いながら近づいた。


「どこからだ?」


「そこの路地裏からです。が、他にもいる感じですね」


「わかるのか?」


「はっきりとはわかりません。ただ、わたしの勘が油断するなと叫んでいるんです」


 そういうマーベラスにアスファルは苦笑する。


 数多くの剣闘大会で腕を、名を挙げてきた自分には全然わからず、この男を厳しくさせる気配をまったく感じることができない。


 ……おれは今までなにをやってきたんだろうな……。


 あの男のように世間に出ず、ただひたすらに自分を高めている者がいる。そんな連中からしたら自分の努力などしてないも同然だった。


「シアリ」


 と、マーベラスが声を挙げる。


 少女は恐怖で声が出ない。この状況を理解できないでいた。


「ここはわたしたちが食い止めます。あなたは警備隊へと走りこのことを伝えてください」


「しっ、しかし……」


 自分には状況がまったくわからない。だが、逃げてはいけないのはわかった。


 この中で一番弱いのは自分だ。一番役に立たないのも自分だ。だけど、自分は騎士だ。この人たちと同じく主を守ると誓ったのだ。ここで退くわけにはいかない。退いたら自分の誇りが許せなくなる。


 ……ここで下がってしまったら今までの努力はなんだったのよ……。


 物心付く前から父親に鍛えられ、同じ年の娘が楽しむようなことをなに一つ知らずに騎士になることだけを目指してきた。一人前の騎士になることが名誉だと信じてきた。ここでなにもしなければ自分はなんのために騎士になったというのだ……。


「──間違えるなっ!」


「ここで重要なのはお前の意地ではない。姫様の命。姫様の義だ。貴様も一人前の騎士なら主の思いを一番としろ!」


 シアリの心に一番近いアスファルが叫んだ。


 自分もこの少女騎士と同じだ。同じ騎士を目指している。


 だが、マーベラスもニックスも普通とは違う。自分が目指す騎士とは程遠いところにいる。しかも、自分の力では届かない場所にいるのだ。


 ……ああ、おれは普通だ。どこにでもいる凡人だ……。


 名誉を重んじるし、誇りを大切にする。出世を望み、名を挙げることが騎士の誉れだと思っている。そう信じて生きてきた。


 ……こいつらと同じものにはなれないし、なりたくもない。おれはおれだ。おれの信念を貫くだけだ……!


「シアリ・ハズラー、頼む! いってくれっ!」


 少女騎士の矜持が砕けた。


 アスファル・ギジア・クロリカの名は有名である。


 希代の騎士として、最高峰の剣士として、その名は帝都に轟いていた。


 そんな人から頼むといわれて嫌といえる程豪胆ではない。強靭な我もない。自分がどれ程未熟者かを痛感させられた思いである。


 そこへ追い討ちを掛けるように公女が声を挙げた。


「シアリ、お願いできますか?」


 もはや少女騎士の矜持は粉々だ。


 なにもいえないまま頷き、シアリは警備所へと駆け出した。


 そんなシアリを背中で感じていたニックスは、路地裏の影の中にいた賊が動いたことを察した瞬間、街路灯の光が賊の持つなにかを光らせた。


 冒険商人の両親から生まれ、十六になるまで飛空船の中で育ち、妻と出会うまで冒険者として生きてきた。


 苛酷な生活。数々の戦い。そんな人生を送ってきたニックスの勘を、眼を鍛えてきた。


 反射的に剣を捨てたニックスは、背中に手を回して“裂鋼銃„を抜き放った。


 世間では銃と一括りで呼ばれてはいるが、厳密にいえば銃は三種類に分けられ、裂鋼銃と術を封じ込めた筒を放つ"法式銃"が一般的であり、奇蹟の姫が愛用する星渡る船から出てきた光熱を放つ“光力銃„があった。


 裂鋼銃の対となる法式銃からシアリに向けて放たれる術式弾を射ち抜くと、氷の嵐が吹き荒れ、第二射を放とうする賊の姿を閉ざしてしまった。


 それでも貫通力はこちらが上。勘で照準を合わせるが、あちらの方が速かった。


 氷の嵐の中から術式弾が飛び出した──その瞬間、どこからか飛んできた矢が術式弾を撃ち抜き、炎の嵐が吹き荒れた。


「どうだ、兄貴直伝の弓術はっ!」


 上から男の、いや、まだ少年と思われる声が挙がった。


 ニックスにはそれが誰だかはわからない。公女もわからない。だが、ルインの味方なのは不思議と理解できた。


「ほら、早くいけっ! あんたの背中はおれが守るから!」


 屋根の上に立つ少年がシアリを見て叫んだ。


「──はいっ!」


 我に返ったシアリは頷き、全力で駆け出した。


「おっと。させるかよ!」


 懲りずにシアリを狙う術式弾を射ぬくジリート。


 ジリートの腕は名人級であり、ニックスにも負けぬ早射ちだった。


 ──まったく、お前の腕には呆れるよ。


 苦笑しながらも自分が尊敬する人は褒めてくれた。


 ──お前の忍び足は一角鹿以上だな。


 自分の自慢を認めてくれ、ここぞというときには自分を頼りにしてくれた。


 ……そうだ。良く良く考えればわかることじゃないか……。


 自分の名誉には無頓着な人だが、仲間や家族、大切な人の名誉には酷く敏感で、絶対に聞き逃さなかった。


 街の不良らとのケンカも元を辿れば自分が原因だった。


 山師の父親が死に、あばら小屋で暮らす自分に世間はとても冷たかった。同じ人と見てくれなかった。


 こじきのように暮らす自分に街の不良どもは毎日のように自分をいじめ、ゴミクズを扱うように乱暴だった。


 そんな日々は悔しい以上に惨めで、人として見てもらえないことが悲しかった。


 もう生きるのか嫌になったとき、その人は現れてくれた。


 その人は自分を人として見てくれた。人として接してくれた。実の弟のように面倒を見てくれ、人である誇りを蘇らせてくれた。名誉を与えてくれた。人を愛し、人を尊敬することを学ばせてくれた。なにより人生はこんなに素晴らしいことを教えてくれた。


 ……なのに、なんであんなこといったんだよ、おれったら……!


 そんな人が彼女の死を見逃すなどあり得ない。名誉を汚したままのはずがない。直ぐにやらないのはできないから。凶悪な賊と戦うには入念な準備が必要であり、自分の前に引き出すには罠を仕掛けなければいけないからだ。


 ……ああ。何度も見たじゃないか。一番近くで見ていたのはおれじゃないかよ……。


 自分を恥じた。そして、義兄が自分になにを求めていたのかを悟った。


 敵に気が付かれず、そのときがくるまで自分は消えなければならない。そして、ときがきたら義兄が心置きなく戦える環境を整え、邪魔者を排除すること。それが自分の、いや、あの人の弟としての義務であった。


 ジリートは大きく息を吸い込み、全身の力を腹に集中させた。


「北エルレードの住民たちに告げる! これよりルイン・カークがへレアル・ルカートの名誉を取り戻すために剣を抜く! 賊を成敗する! 誰も外に出るな! 邪魔をするな! ルイン・カークに正義を貫かせて欲しい!」


 自慢の脚を活かして屋根から屋根へと飛び移り、同じ台詞を叫んだ。


 それを見た公女は、ジリートの行動がとても羨ましく、そして、嬉しかった。


 ……あの人も私と同じ。友を救いにきたんだわ……。


「私も負けてられないわ」


 力強く頷き、腰の剣に手をかけた。


「聞け、賊ども! 我はレミア・オゼス・ルクアート! 彼の者の味方なり。彼の者の邪魔をするなら私が相手する。どこからでもかかってくるが良い!」


 生まれて初めて誰かのために、公女は剣を抜き放った。

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