第九章 守りたいものとは

 紅百合亭の中で賊と対峙するルインを見た“二人„は、自分の勘が正しかったことに拳を握り締めた。


「……本当。どこまでも奥の深い人なんだから……」


 二人の内の一人、ルクアートの公女は嬉しそうに笑った。


 かつて、もうくるなとルインの目はいっていたが、それを素直に受け入れる程自分は従順ではない。なにより友を見捨てるなど自分の矜持が許さなかった。


 ──ここであの人を失ったら自分は一生後悔する。一生自分に自信が持てなくなる。


「これから私は義を通します。あの方を、我が友を助けます」


 五人の騎士の前で公女はいった。自分の思いを口にした。


 これは私情。自分の勝手。我が儘である。


 決して誉められたことではないし、主として無責任である。騎士に対しても不義理だ。たが、それでも自分はあの人を助けたい。あの人の力になりたいのだ。


 主の心をいち早く理解したアスファルが膝を折った。


「では、義をお通しくださいませ。わたしは、レミア・オゼス・ルクアートの騎士。貴女の心に準じた者。貴女の歩む道を補佐し、守ると誓った者のです。貴女が思うままに行動してくださいませ」


 次にニックスが膝を折る。


「これも騎士の勤め。好きでなった貴族。姫の心のままに」


 続いてマーベラスが膝を折る。


「こういうことがあるだろうから貴女の騎士になったのです。貴女の思うがままに動いてください」


 アルアも膝を折る。


「あの方はわたしの恩人です。友人です。わたしも義を通します!」


 最後にシアリが膝を折った。


「さ、最後までお供します!」


 公女はなにもいわなかった。表情も崩さなかった。でも、誠心誠意、勇敢で忠実な騎士たちに頭を下げた。


 ……私はなんて幸せ者なんだろう……。


 頭を下げた公女は、覚悟と信念で動いた。


 まず、紅百合亭の近くの空き家を借り、アルアとシアリにルインを見張らせた。次に父親のもとへ行き、お金を求めた。節約と質実を信条とする娘が三〇〇〇タムを要求したことに驚いたが、こうと決めたら娘は父親の声など聞きやしない。なにをいっても無駄と悟り、公爵はなにもいわずに三〇〇〇タムを渡した。


 そんな父親に深く感謝し、そのままルッキス工房へと赴き、二人乗り用の飛行艇を二艘と発射台を購入した。


 ニックスに操縦方法を学んでいる間、アスファルとマーベラスは武具の購入と訓練に明け暮れた。


 全ての用意が整い、空き家で待機すること十四日。空を見張っていたマーベラスが声を挙げた。


 いつでも飛び出せるように戦衣を纏っていた公女は、自分でも驚くくらいの速さで寝台から起き上がり、庭へと駆け出した。


 屋上から梯子を使って降りてくるマーベラスを視界に入れながら一号艇へと乗り込もうとして梯子に手を掛けた瞬間、アルアが悲鳴を上げた。


 反射的に振り返ると、アルアはなぜ叫んでしまったのかわからないといった顔で困惑し、自分から目を逸らした。


 直ぐに気持ちを切り替えて一号艇へと乗り込もうとしたら、もう一人の自分が駄目だと叫んだ。前にルインがいった言葉を思い出させた。


 ──アルアが突然叫んだら立ち止まりなさい。


 あの少年には聖獣の加護がある。とても小さな、余り役に立つといった加護ではないが、その叫びには意味がある。とても重要で、その目に映る者の未来を左右する出来事を見て叫んでいるのだと語った。


 公女の決断は早かった。梯子から手を離し、アルアへと駆け寄った。


「なにを見たの?」


「い、いえ、その、すみません……」


 下げる頭を無理矢理持ち上げ、その瞳を見詰めた。


「怒っている訳ではありません。いえ、お願い。なにが見えたか教えて!」


 真剣な顔に圧され、アルアはこの目に見えたことを語った。


「崩れた? 私が?」


「は、はい。砂のように、崩れてしまいました……」


 多分、それはなにかを象徴しているのだろうと直感した。


「……以前、ルインどのを見て叫んだようですが、そのときはどの様に見えたのです?」


 戸惑いながらも燃え出したと答えるアルア。


 なにを象徴しているのか必死に考えた──が、答えが出るはずもなかった。


 ……待ちなさい、私。落ち着いて、良く考えなさい。見えないところから見てもわからないのなら視点を変えなさい。いろんな角度から見れば必ず見えてくるわ。


 全ての疑問、全ての思いをまず横に置き、深呼吸をして心を無にする。


 上を見上げると、星がとても綺麗で、夜の空気がとっても気持ち好かった。


 ……そういえば、なにも考えずに星を見るなんて久しぶりだわ……。


 星を見上げて微笑む主にアルアとシアリは首を傾げ、飛行艇に乗り込んだ三人が降りてきた。


 すっきりした公女は、勇敢で忠実な騎士たちを見た。


「私には欲しいものがあります。守りたいものがあります。生きるのが好き。学ぶことも好き。いろんな場所に赴き、いろんなものを見たい。たくさんの街を見て、たくさんの人と出会いたい。いろんなことを経験したい」


 突然のことに騎士たちは戸惑い、目を交わし合った。


「でも今、私はそれらを捨てようとしている。その全てと交換しても良いからあの方を救いたい」


 一点の迷いもなくアルアを見た。


 まるで全身をつかまれたように動けなくなり、公女から目を離せなくなった。


「私はあの方を救いにいきます」


 と、公女が爆発してしまった。跡形もなく、その場から主が消えてしまった。


「──姫さまっ!?」


 そう叫んだ瞬間、消えたはずの主が目の前にいた。まっすぐ自分を見ていた。


「……あれ? あの、え? いったい……」


 アルアは狼狽えた。どうして良いかわからなかった。


 そんなアルアに構わず、公女は必死に頭を回転させた。そして、考えが纏まった。


 このまま行けば自分のなにかが失われる。自分が消えてしまうくらいのなにかがなくなるのだ。


 自分が大切にするもの。せれは地位や名誉ではない。それを誇りだとは思わない。そんなものを一番にはしない。そんなもの失ったら失ったで構わない。あの人が救えるなら交換しても良いくらいだ。


 ……そうよ。あの方は自分の名誉のために戦っているのではない。自分の誇りを取り戻そうとしている訳でもない。あの方が守るものは大切な人の命。大切な人の名誉。そして、大切な人の未来ではないか……。


「紅百合亭に向かいます──」


 いって公女は駆け出した。


 なにがなにやらわからないが、主が向かうというのならば自分たちはついていくだけである。


 まずマーベラスが駆け出し、続いてアスファルが続く。そして、全員が主を追って駆け出した。


 そして、公女の決断は正しかった。

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