その光景を物陰から見詰める一団がいた。


 闇に紛れるように黒い衣装で身を固め、己自身が闇であるかのように気配を殺し、ただひたすらに己を闇と化していたため、その存在に気がつく者はいなかった。


 飛行艇が完全にいなくなったのを確認し、万が一のために更に闇と化し、確実と判断すると、一団は音もなく、気配もなく物陰から出た。


 一人の人物が右手を挙げると、一団が二組に別れた。


 その一団は帝都を震撼させた盗賊団であり、闇の世界では"二にの角かく"と呼ばれた一族だった。


 名を示すように、標的を調べる組と侵入する組に分かれ、どんな厳重な場所でも徹底的に調べ上げ、完璧に仕事をこなすことから闇の世界でも上位に位置していた。


 だが今、闇の世界は荒れていた。『三大悪』と恐れられる巨大犯罪組織が弱体化し、闇の勢力が衰えてきたのだ。


 その理由はいろいろあるが、一番の要因は光の台頭であった。


 ジャン・クーや奇蹟の姫といった光が闇を滅ぼし、闇を切り裂いているのだ。


 二の角も『三大悪』から仕事を請負、支部の一つで活躍していたが、奇蹟の姫と剣姫の襲撃で支部は壊滅。一族を支えていた玄人衆が百人以上殺され、残ったのは情報収集組の二〇人と里にいた四十六人だけとなっていた。


 一族として、捕獲者としての仕事を奪われた二の角は、滅びを選ぶ程能力が落ちたわけではない。再起を計るため、一族の技を、血を絶さぬために光の下に出てきた。


 光の下は温い場所だった。脆い場所だった。技が、力が容易に効き、堕落しそうなくらい成功する。


 それは慢心を生み、闇の者に感情を芽生えさせた。人であることを自覚させたのだ。


 闇での力に溺れ、傲慢になり、己らを特別と思い込み、名を挙げることに誇りを感じていた。


 ──紅百合亭に侵入するまでは。


 見た限り、この店は普通だった。店の中も普通だった。これといった仕掛けも見て取れず、扉も鍵も一般的なものだった。噂はいろいろあったが用心棒の動きからそれ程驚異にはならないと判断した。


 なのにどうだ。扉を閉めたとたん、侵入者警報が鳴り響き、そこら辺に仕掛けられた罠が発動したのだ。


 逃げるところ、避けるところ、まるで知っていたかのように罠があり、どんな反撃も阻止されてしまった。


 悪辣だった。


 これなら皇帝の寝所に忍び込む方が簡単であり、まだ魔王の住み処の方が緩い警備であった。


 それでも抜け出せたのは、全滅しなかったのは、侵入に長けた組であったからであり、破魔の剣があったからだ。でなければ離れに侵入した組のように死体をさらしていたことだろう。


 確かに衝撃的だった。遅れを取った。隠滅と報復の意味で残したターチも見破られ、生きたまま囚われてしまった。完璧な敗北である。


 だが、今回は違う。


 以前より徹底した調査を行った。舞台を整えた。なにより、あの男を調べ尽くした。


 調査組は何度も店に訪れ、あの男の思考、性格、交友関係、その行動を調べ上げた。給仕の娘やルクアートの公女の世間話すら聞き漏らさず、貧民街の子供を使っていることやルッキス工房からどんな飛空艇を購入したか、どんな武具を用意したか、その全てを探った。


 その調査を基に侵入組は男を店から引き離す準備に取りかかった。


 三流盗賊団に接触し、もっとも遠い場所を襲わせ、あの男をこの店から遠ざけたのだ。


 作戦は成功し、今、あの店あるのはたくさんの罠。そして、あの男の大切なものだけであった。


 正面からの侵入組は、巧妙に隠された侵入者警報装置を解除し、いたるところに仕掛けられた罠を一つ一つ排除していった。


 もっとも苦労した一角に明かりが灯されていた。


 以前はそこに女がいたが、今は誰もいない。罠も結界もない。至って静かな、閉店後の店だった。


 ──まずあの女の息子を殺す。


 先程腕を挙げた者が目で指示を飛ばすと、仲間の一人が頷いた。


 頷いた者が音もなく動き、あの一角の横を通ろうとした瞬間、目の前に誰かが忽然と現れた。


「────」


 その驚きを感じ取った仲間たちが視線を向けると、そこにあの男が立っていた。


 理解できなかった。状況を飲み込めなかった。


 目の前にいる男は確かに飛空艇に乗った。虫を使った監視でも乗ったのを確認した。十リグ離れたところに設置した虫も飛空艇の存在を確認している。万が一の場合を考えて外には見張りを置いた。入ってこないように結界も張った。あらゆる不測の事態を考え、万全の用意を整えた。


 なのに、あの男がそこにいた。


「……貴様らに名はあるか……」


 静かに、なんの感情も表さずにルインは賊に問うた。


「名があるならいえ。ないのならなにもしゃべるな。死ぬそのときまで闇に徹しろ」


 ルインの殺気に賊たちは息を吹き返した。


 それぞれ武器を抜き放ち、店内へと散った。


 その中で動かなかった者を首領と判断し、賊たちに向けていた殺気を首領に集中させた。


「……答える前に聞きたい。なぜ、そんなことを問う……」


「それがお前らの疑問に答えるからだ」


 意味が理解できなかった。


「お前らが何者かは知らない。だが、闇に属しているのは直ぐにわかった。わたしの罠には闇の技が多くあるからな。それに、お前らの仲間、火のターチが名乗ったことで確信した。名とは存在する証。生きていることを知っている証拠だ。闇が生きることを選んだ。ならば、その心に真っ先に宿るのは憎悪。人の優しさ、人の温かさを知らぬ者に陽の心は生まれない。生まれて初めて持った感情に酔いしれ、闇である意義を忘れ、制御できない感情に振り回され、折られると簡単に憎む。薄っぺらい誇りを汚されたと、簡単にわたしを憎む。わたしの大切な者を奪おうとする。そうやって簡単に誘い出される」


 闇に紛れていたらルインには手はなかった。


 だが、そいつらが光の下に生きているのなら機会はある。次の行動を起こす。存在を示し、それが生きている証とばかりに主張する。


 ならば待てば良い。辺りに注意を払い、初めてくる客を調べ、監視する虫に偽情報を流し、罠を張り、こちらの思惑に誘導してやれば良い。闇としての意義を忘れ、在り方を捨てた闇などクズでしかない。クズの考えそうなことなどどれも同じ。版で押したかのように行動するのだから。


「もう一度問う。お前らに名はあるか?」


 ルインの厳しい問いに首領は笑った。


「……フフ。まさかそんな感情に誘われるとはな……」


 闇に生きている頃は意思は不要であり、情は忌むべきものだった。なのに、まさかそのような感情が生まれていたとは夢にも思わなかったが、嫌な感じはなかった。いや、どちらかといえば心地好かった。この男の怒りがとても嬉しかった。


「我らは二の角。そして、我は斬のオルテス」


 胸を張り、高らかに名を告げた。


 強盗団として仕事をしているときより胸が躍った。血が沸いた。


 高揚し、酔いしれる首領とは裏腹に、ルインはがっくりと肩を落とし、ため息を漏らしていた。


 見ていた賊たちもそれが落胆だとわかった。


「……こんなに望んでいるのに、こんなに怒っているのに、なぜ解放させてはいけないんだ。どうしてクズどもを殺してはいけないんだ……」


 ルインの目から涙が溢れ、口から憎しみが漏れた。


 人が死ぬところは何度も見た。生まれて初めて愛した人が死ぬところも見た。不幸のままに死んでいった者もたくさん見てきた。


 心のままに、その憎しみを解放できたらどんなに気持ち良いか。良人おっとを亡くしたジャン・クーを見て、自分も経験して、良くわかった。


 大切な人が死ねば悲しい。愛する人が殺されたら憎しみが生まれる。それが人であり、そうすれば救われると思い込むのだ。なんの不思議もない人の性質である。


 ──挫けないでください。


 ヘレアルはそういった。そんな生き方をしないでくださいと、その目がいっていた。


 わかっている。そんな生き方に光はない。温かさはない。孤高の道の先には虚無があるだけだ。


 わかっているからこそ自分は誓った。挫けないと。そんな生き方はしないと。大切な人の前で誓ったのだ。だが、それだけでは怒りは静められなかった。


 だから条件をつけた。怒りを別な方に向けたのだ。


 賊が闇のままなら殺す。心がなかったら殺す。闇の木偶人形なら殺すと。


 相手が生きてないのなら遠慮はいらない。する必要もない。挫けることもなければ汚れもしない。命の価値を捨てたものに命の価値は存在しないのだから。


 ──挫けないでください。


 また、ヘレアルの声が蘇る。


 ……大丈夫ですよ。わたしは挫けません。貴女に誓ったのだから……。


 ルインはマグナの剣を抜き放つ。


「この店の結界は魔力炉から生み出されている。逃げるなら気を付けろ。戦うのなら油断するな。ここはわたしだ。ルイン・カークの全てを注ぎ込んだ世界だ。だから、全力を出せ。その命を賭けろ。わたしは、強いぞ……」


 剣や魔術が強いといっている訳ではない。ここの作りを自慢しているわけでもない。挫けないと誓った者の心がどれほど強いかをいっているのだ。


「……愚かなる者らに光があらんことを……」


 その言葉が剣へと乗り移り、闇を斬り裂く光となった。

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