第六章 己とは
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男爵夫人に連れられてきたのは、なかなか立派な室内型修練場だった。
裕福な貴族の家なら修練場の一つや二つあっても不思議ではないが、この花屋敷にある修練場ときたら帝国騎士団仕様の修練場を軽く凌駕していた。
魔力炉があるからか、修練場にかけられた結界など空雷弾が直撃してもびくともしないくらい強力であり、防音対策も完璧。心置きなく死闘ができそうである。
「……まるでアルタイア迷宮決戦に出てきたロクセイル伯爵の修練場ですね……」
「ええ。あの物語は主人を見て考えましたから」
「二刀流の達人と六天拳神の冒険。そして、花乙女との恋。その一端に触れられることができたわたしは幸せ者だ」
男爵夫人は微笑むだけでルインの軽口には乗らなかった。ルインもそれ以上なにもいわず、修練着に着替えた公募者たちに目を向けた。
「では、これよりルイン様を相手に皆様方の実力を見せていただきます」
目を大きくして男爵夫人を見た。
「……それはまた、大役をいいつける」
「実戦経験豊かな方と戦ってもらった方が実力がわかりますから」
紅百合亭に赴いたとき、それとなく給仕の娘たちにルインの強さを確認した。だが、返ってくる答えは荒唐無稽なものばかり。魔王の部下を倒したとか、宝を守っていた岩石巨人を倒したとか、冷酷無比の盗賊団を壊滅させたとか、傭兵として百匹もの魔獣を倒したとか、もう、それはなんて物語? なんて突っ込んだくらいだ。
まあ、話半分だとしてもルインの実力は上級魔法騎士級なのは間違いないはずである。
……公募者たちの実力もなかなかのもの。手加減はできないでしょう……。
実をいうと、この試験方法をいい出したのアスファルであった。
ルインが出て行ってから公募者たちも男爵夫人もそれ以上続ける気にはなれなかった。
「……あの御仁はいったい何者なんです?」
沈黙の中、最初に切り出したのもアスファルだった。
「あの方がいった通り、地方貴族の三男坊で紅百合亭の用心棒。オルディアル侯爵領区を仕切る大一家を根絶やしにした勇者であり奇蹟の姫にも負けない発明家にして大商人。特殊警備隊の設立に一役買い、帝都の平和に貢献したお方ですよ」
そういったのはマーベラスだった。
「……有名、なのか……?」
「有名ではありません。だから凄いんです」
いっている意味がわからなかった。
「どこの世界でもそうですが、それだけの能力、それだけの行動を起こせば世間が知る。その能力の高さに驚く。その者が誰にも仕えていないとなれば自分のところ欲しいと思う。実際、聖ロネアム騎士団やロンテア伯爵、ラーテスト公爵が直に赴いたようですが、彼は誰の声にも応えなかった。望めばなんでも手に入る力と、両手では抱え切れない程の名誉が与えられるというのに……」
「理解できんな」
「まったくです。あんな素晴らしい能力を持っているのに」
アスファルの呟きにニックスが応じた。
「貴殿も知っているのか?」
「冒険者の間ではジャン・クーに次ぐくらい有名人ですよ、"放浪の賢士"の話は。旧レンドル王国の巨岩兵団退治。残虐ルド率いる大山賊団の根絶やし。レンゲル街の復興。魔獣兵団との死闘。いったいどの道を通ればそれだけの冒険と出会えるのか、放浪の賢士の道はドロシー・ライザードの幻想記にも負けてはいませんよ」
また、大広間に沈黙が満ちた。
「……カルント男爵夫人」
「はい」
「良ければ彼と試合をさせてもらえないだろうか?」
「剣の、ですか?」
「なんでもよろしい。なんなら彼が望むものでも良い。彼と試合をさせてもらえるのならば」
男爵夫人は瞼を閉じて考え出した。
アスファルがなぜこんなことをいったかはわかる。先程のことに感化され、今の言葉で矜持を傷付けられた。そして、一武人として対峙したくなったのだろう。
そういうことなら願ってもない。わかりましたと頷き、この試験を組んだのだ。
「お願いできますか?」
過去から思考を戻し、困った顔をするルインに頭を下げた。
「……まあ、久しぶりに体を動かすのも良いでしょう。それで、一対一で? それとも一対五で?」
その言葉にアスファルの眉が跳ねた。
更に矜持を傷付けられたが、それを言葉にはせず、黙って男爵夫人に任せた。
「一対一でお願いします。武器は自由にお選びください」
小間使いの少女が手押し車を押してきた。
その上には剣や槍、弓といった正統派な武器が用意されていた。
「いや、わたしは自分のを使います」
腰の小物入れから礫を一つ取り出し、一段高くなった修練台に上がった。
と、順番が決まっていたのか、シアリが上がってきた。
一礼したシアリが剣を構え、斬り掛かってきたその瞬間に、ルインは礫を放ち剣を弾き飛ばした。
なにが起こったか理解できず、しばし腕を上げたまま佇んでいたシアリだったが、笑顔のルインに自分が負けたことを理解した。
「……ま、参りました」
素直に負けを認めて修練台を下りると、次はアルアが上がってきた。
シアリと同じく一礼したアルアは、本気で斬りかかった。
勝てないのはわかっている。だが、勝てないからといって手を抜く訳にはいかない。この人は自分を高く買ってくれている。なにもない自分に味方してくれた。ならば、この人に恥じることはできない。今出せる自分の力を見せることがこの人への感謝だと思っていた。
剣がルインに当たる瞬間、アルアは宙を飛んでいた。
投げられたアルアはなにが起こったかわからなかった。見ていた者たちもかろうじてなにかの体術なのはわかったが、どういう風に投げたかはわからなかった。
「まだやるかい?」
いつまでも動かないアルアの顔を除き込み、優しく尋ねた。
「……い、いえ、参りました……」
ルインは「そうかい」といって元の位置に戻った。
アルアが下がると次はマーベラスが上がってきた。
この青年も一礼し、鞘から剣を抜いて構えると、その刀身が炎に包まれた。
「なかなか見事な"魔法剣„だ。少しでも掠ったら黒焦げになりそうだ」
「いえいえ、貴方の“魔闘術"には負けますよ。なにをしたかわかりませんでした──」
まさにこの青年の強さを証明するかのような鋭い一閃が走しり、魔を凝縮した拳で打ち払った。
「……騎士は騎士でも魔法騎士になればよろしかったのでは?」
「わたしの人生論は、『仕事より娯楽を楽しめ』でしてね。まあ、家族からは不評ですが」
「その気持ち、良くわかります」
同志がいたことに喜びながらルインは指先に魔を集中させた。
魔法剣を得意とするマーベラスだからわかる。その凄まじいまでの魔の集中。そして、集束された"魔弾"の威力。当たれば自分の魔法剣どころか腕の骨まで折れそうな威力を秘めていた。
慌てて炎を消し、鞘へと戻した。
「──いや、噂通りお強い。降参です」
見事な程情けない姿で修練台を下りて行ってしまった。
……一癖どころか十癖くらいありそうな御仁だな……。
次に上がってきたのはアスファルだった。
……なるほど。見た目で判断したら痛い目に合うな……。
頭一つ分低いルインを見下ろし、これまでの戦いを分析してこれまでの傲慢や油断を投げ捨てた。
アスファルは良く見た目で誤解されがちだが、決して馬鹿ではないし鈍くもない。少々熱血なところはあるが感情を制御できるし相手を観察することもできる。身分に関係なく人を見ることができた。
「自分でいうのもなんだが、わたしは幾つもの剣術大会で優勝している。だからといって剣一筋ではない。他の武術も得意だし、魔術も心得ている。だから最初から本気できてくれ」
もちろん、ルインはそれを自慢とは受け取らなかった。忠告として、この男の優しさとして受け取った。
アスファルは一礼して鞘から剣を抜き放った。
飛空船が空を飛んで約百年。技法が発達して行く中で、金属加工や合金精錬も発達して行った。
飛空船の技術は武具にも応用され、今では合金製の武具が当たり前になり、鉄製の剣など使っていたら貧乏人と見られるか、三流と見られるのどちらかであった。
二十七種ある合金製の剣の中でもアスファルが持つ剣は最強の合金といわれるキニル合金であり、ジャン・クーに破られるまで持っていた同種の剣であった。
……あのときと同じことがやってきたら今度こそと思っていたら、まさか逆でくるとは夢にも思わなかったよ……。
ルインはがっくりと肩を落とした。
その隙を突こうとはせず、アスファルはルインの様子を伺った。
「……まったく、どの道を通っても彼の人が現れる……」
なんとなく腰帯に差した枝を抜き、抜刀の構えを取った。
「なんのつもりだ?」
アスファルの癖なのか、なにか勘に触ることがあると片眉がはねる。
「久々に本気を出そうと思っている」
「それは新手の侮辱か?」
そういったとたん、両手に衝撃が走った。
ルインの手が辛うじて動いたのは見えた。だが、それがなにを意味するかはわからなかった。
どこかで響く金属音を耳にしながら震える手に目を向けると、そこにある剣が消えていた。
「……今の自分なら、とは思ったが、変形させるのが精一杯か……」
壁に激突して床に転がる剣に目を向け、彼の人との差にまだ大きな開きがあることに落胆した。
ため息一つ吐き、放心するアスファルへと目を戻した。
「……こんな顔をしていたのか。そりゃあ、彼の人が顔をしかめるのも当然だ……」
信じていたものがヘシ折られたときの顔といったら無様も良いところだ。
「枯れ枝で剣を斬られるまでわたしは自分を天才だと自負していた。自分の強さに誇っていた。たがどうだ、彼の人はどこにでもある枯れ枝で剣を、キニル合金製の剣を斬ってしまった。反応できない速さで、なんの衝撃を感じさせないで……」
彼の人がもし、騎士でなかったら。もし、良人おっとの意志を継いでいなかったら。まず間違いなく自分は死んでいた。次の一振りで首が跳ねていたことだろう。
持っていた枝を捨て、あのときから剣を持てなくなった手を見た。
「剣を持てなくなったわたしがいうのも烏滸がましいですが、負けることに恐れてはいけません。勝つことだけに執着してはいけません。歩みたくても歩めたい道でも落胆してはいけません。貴女の望む道は茨の道。一人では決して歩めない苛酷な道です。まあ、こんなこといわれなくとも貴女はわかっているでしょうが、敢えていわせてください。ここにいる五人は素晴らしい能力の持ち主だ。貴女が望む道を一緒に歩いてくれるでしょう。膝を着き、剣を持てなくなったわたしが保障します。ルクアートのお姫さま」
こちらを見詰める小間使いの少女に振り向き、にっこり笑った。
「……やはり、見抜かれていましたか……」
「憚ることなく堂々とし、わたしの挑発にも怯まなければ萎縮もしない。護衛も付けず街を歩くようなお姫さまが小間使いの格好をしていてもわたしは驚きませんよ。まあ、隠す気あるのかと突っ込みたいのを我慢するのが大変でしたけどね」
ルインの軽口に公女は笑う。
「とても勉強になりました」
公女は頭を下げた。ごく自然に、それが当たり前とばかりに。
そんな公女にルインはなにかをいいかけて止めた。ただ一礼して修練場を出ていってしまった。
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