ルインはそのまま外へと出た。


 男爵夫人が丹精込めて育てた乙女たちを眺め、その見事なまでの咲きっぷりに感心した。


 ゆっくりとした足取りで庭園を散策していると、物置小屋から庭師と思われる老人が長梯子を担いで出てくるのが見えた。


 まあ、これだけの広さを一人で世話をするなど不可能。庭師の一人や二人いても不思議ではないと、次なる乙女に目を向けようとして、なにか違和感を感じた。 


 良く庭師を見るが、どこからどう見ても庭師にしか見えない。だが、これまでの経験と直感が納得してくれないのだ。


 年相応の歩みのまま樹木が植えられた一角に向かうと、立派な紅熊べにぐまの木へと長梯子を立て掛けた。


「……今頃剪定ですか?」


 老庭師へと歩み寄ったルインは、切り落とされた枝を拾い、唐突に声をかけた。


 次の枝に移ろうとした老庭師の手が止まり、下にいるルインへとゆっくり目を向けた。


「二軒先のお屋敷に植えられた紅熊の木に白虫しろむしがつきましてな、つかれる前に切ろうと思いまして」


「白虫? アレは確か、白熊の木につく虫ではありませんでしたか?」


 紅熊の木は広葉樹で、西方の島国で育つ紅香べにかおりの木と北欧の熊柄くまがらの木を掛け合わせ、六代かけて帝都の気候に合わせて品種改良したものだ。


 双方の良いところを合わせ持つ紅熊の木は、素人でも簡単に育てられ、見た目も綺麗と、庭木として定番のものであった。


「若様は草木に詳しいので?」


「うちの母も庭いじりが好きな人でしてね」


 母唯一の趣味であり、踊りと同じくらい叩き込まれたものだ。


 それ程興味を引かれるものではなかったが、嫌という気持ちもなかったため、“カーク家の花園„と呼ばれるまで極めてしまったのは良い思い出である。


「二ヶ月前の大嵐は知っていますかな?」


「ええ。これまでにない大粒の雹が降りましたね」


「へい。その雹が植木市を襲いましてな、ほとんどのものが全滅してしまいました。仲買としては一大事。急いで集めたものですから虫の駆除を忘れてしまったそうです」


 白虫はとても繁殖力が強く三日で孵化してしまう最強最悪の害虫である。まあ、十匹くらいなら潰してしまえば問題ないが、葉一面につかれたら半径十メローグにある木々を燃やさなければ多大な被害を受けてしまうことだろう。


「この木はまだ寄生されてはいないんですよね?」


「へい。今のところは、ですが……」


「なら、切るのではなく寄せつけないようにしましょう」


 老庭師を長梯子から下ろすと、ルインは瞼を閉じてなにかを呟き出した。


 それは言葉ではない言葉。歌のようであり笛のような響きでもある、なんとも不可思議な力がルインの口から世界に放たれた。


「……良し。これで白虫はつきませんよ」


 見た目はなにも変わらない。だが今、ルインがしたのは『精霊術』だ。しかも、地の精霊王カシュラと風の精霊王リバトラの二大精霊に呼び掛け、この一帯に白虫が近寄らないようにお願いし、“聞き入れてもらった„のだ。


「……いや、精霊エルフ族顔負けですな……」


 自分がなにをしたのか見抜いた老庭師へと振り向き、破裂しそうなくらい目を大きくさせた。


「……まさかとは思っていましたが、本当に“六天拳神ろくてんけんしん„のジュロー様でしたか……」


 ルインに負けないくらい目を大きくなり、自分の正体を見抜いたことに驚いた。


「……その名を呼び覚ますようなことをいいましたかな……?」


「貴方から感じた違和感がなんであるかわかりませんでしたが、貴方と話していてやっとわかりました。貴方の動きが完璧すぎたのです。それがわかれば気配も完璧に消されていることに気が付く。それだけのことができる達人がここにいる理由はなんだ? そう、ここはココア・クレメールの家で夫は双月の騎士。ならば、忠実な家来で無二の親友たるジュロー・セムがいないはずがない。六天拳史上最強の使い手でありながら村を救ってくれたという恩だけで双月の騎士にはその身を捧げた人。亡くなったから帰ります、なんてことできるはずがない。双月の騎士の代わりに花乙女を守ることを選ぶ方がよっぽど拳神らしい。この屋敷を全て見たわけではありませんが、精霊術を知り、精霊王の名を口にでくるとなれば……」


 この方が六天拳神と思うのが自然であった。


 ……なるほど。ララシー様じゃなくても興味が湧いてくるな……。


 少し、昔の自分に戻ってこの青年と語らいたいと思った瞬間、屋敷から主人の声が上がった。


 純朴な庭師に戻った拳神は、三歩後退して主人に場を譲った。


 どこまでも真面目で、不器用なまでの生きように敬意を表し、ルインはなにもなかったかのようにやってきた男爵夫人へと笑みを見せた。


「試験は終わりですか?」


「はい。ルインさまの刺激的な回答に皆様賛否両論でして、収集がつかないので次の試験に移ることにしましたわ」


「申し訳ありません。他人事だとつい口が軽くなりました」


「責めている訳ではありませんわ。ああなることを……いえ、想像もしないことになってしまいましたが、質問の意味に気がついてもらうように振ったのですからね」


 公女からの質問は、確かに裏を読めというものだった。だが、それを見抜ける者などそうはいない。誰も気がつかぬまま、単調な問答になっていたことだろう。


「できれば次もルインさまにご協力いただきたいのですが?」


「また、場を壊すかもしれませんよ?」


「遠慮なく」


 男爵夫人の爽やかな笑顔に、ルインは眉を寄せた。


 ……なにやらわたしの試験になってるのは気のせいか……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る