第五章 試すこととは

 その屋敷は、想像以上に花屋敷だった。


 屋敷を囲む石壁には季節を無視した色とりどりの花が咲き乱れ、その下にある上木鉢には育てるのが大変といわれるセンシアの花が見事に咲き誇っていた。


「……なんというか、趣味の範囲を超えてませんか……?」


 もちろん、花屋敷にも驚いたが、それ以上に屋敷を包む特殊結界に呆れ果てた。


 温度を一定に保つ結界ならそれ程難しくはないが、温度を一定に保ちながら時折新鮮な空気を取り入れ、陽の光を調節する。魔導師級の者がいなければ可能だが、この魔力の一定した流れからして魔力炉を使用しているのだろう。だが、花を育てるために魔力炉を使う趣味人が自分以外にいるとは思わなかった。


「ふふ。自分でもなんて子供なのかしらと思いますわ」


 先程のセリフを真似する男爵夫人にルインは苦笑した。


 ……食えないどころではない。油断したらこちらが食われてしまうな……。


 花の門を潜ると、やはり中も花と緑に支配されていた。


 紫木蓮。薔薇。牡丹。石楠花。百合。時期も場所も無視しているのに、見た目に違和感がない。それどころか目に優しいのだから不思議である。


「──ルインどの!」


 庭に呆れ──見とれていると、屋敷の方からアルアの声が上がった。


 ゆっくり振り返り、必死な顔で駆けてくるアルアに優しく微笑んだ。


「すみませんでしたっ!」


 目の前まできたアルアは、直角に近い程頭を下げた。


「良いんだよ。君には悪いが最初から無理だとはわかっていたからね」


 顔を上げたアルアは、困惑色に染まっていた。


「まあ、あの言葉は嘘ではないが、君の良さを強調するためにわざといったんだよ」


 この少年は嘘をつくのが下手だ。いうな黙っていろといえば従うが、そのしわ寄せは顔にくる。態度に出る。そんなものを見せられたら背後に誰かいることくらいわかるだろう。勘が鋭く人生経験豊富な者ならだいたいの人物像は想像できるのだ。


「一旦、君に興味を持ったら合格したも同然。判定人は君を手放すことはない。君がいなければわたしがここにくることはないし、その義理もない、ですからね」


「だからといって気を落とさないように。貴方の後ろにルインさまがいなくてもわたしは合格を出していましたからね。貴方の正直な性格と義の厚さは立派なものでしたからね。」


 男爵夫人の言葉にルインは強く頷いた。


「前にもいったがわたしは君を気に入った。気に入ったから協力したのだ。まあ、最後は騙す形になったのはすまないが、わたしを動かしたのは君だ。動いたのはわたしの意志だ。だからなにも恥じることはない。謝る必要もない。それが君の、アルア・ナジという男の力なのだから」


 そこまでいわれて落ち込むわけにはいかない。見せるわけにもいかない。なんとか表情を引き締め、まっすぐ姿勢を正して二人を見た。


「それで良い。それが君の魅力だ」


 そんなルインとアルアを見ていた男爵夫人は、微笑みを崩さないまま感嘆としていた。


 ……いろいろ噂には耳にしていたが、まさか教師としての才能まであるとは思わなかったわ……。


「比べてわたしは駄目だな。仕官もせず職にもつかず遊んでばかり。なのに偉そうなことをいって無責任なものだ」


 笑うルインに男爵夫人は苦笑する。


 ……これがなければ素晴らしい人なのに……。


「では、ルインどのも一緒にどうですか? 元々この試練を解いたのはルインどのですし、ルインどのなら絶対に騎士に、いえ、聖騎士にだってなれると思います!」


 そんな純真アルアに男爵夫人は心の中で『良く言った』と叫んだ。


「そういってもらえるのは光栄だが、わたしに騎士は勤まらないよ。命令されるのが嫌いだし、賢苦しいのも嫌いだ。なにより許せないのは好きなときに好きなことができないことだ。こんな性格では騎士などという宮仕えは無理というもの。一日で暇を出されるのがオチさ」


 それにといって男爵夫人を見る。


「わたしは手紙をもらった訳でもないし、騎士になりたいとも思わない。そんなに己の道を歩きたいというなら、あのジャン・クーでも騎士にすれば良い。あの“死にたがり„ならうってつけだ。よそ道回り道の常習犯ではお姫さまを堕落させるだけです」


 思わず熱くなった自分に気がつき、一呼吸して気持ちを落ち着かせた。


「まあ、彼の人が誰かの騎士になるとは思えませんが、確固たる信念がある方なら武と勇に優れた騎士で充分。それ以上のものを持っていたらお姫さまの良いところを殺すだけです」


 そんなことはないとアルアは叫びたかったが、ルインの目がそれを許さなかった。


 本当にあの優しい人かと思うくらい冷たい目をし、何者にも反論を許さない意志が黙れといっていた。


「……まあ、それはルインどのの判断に任せるとして、取り敢えず中へどうぞ。美味しいお茶を淹れますわ」


 ルインの気配に飲まれなかった男爵夫人がなにもなかったように振る舞い、優しい眼差しをルインに送った。


「おっと。これは失礼しました。では、遠慮なくココア・クレメールの城へと入らせていただきます」


 ルインの目がいつものように優しくなり、男爵夫人の後に続いて屋敷の中へと入った。


 残されたアルアは後に続くことができなかった。


 ……こんな痛い空気にさらされたのは父上と兄上が初めて真剣で稽古を見せてくれた以来だ……。

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