「……落ち着いたかい?」


 主が去り、三杯目の半分くらいを飲んだ頃、やっとここにきた理由を理解したアルアが目覚めた。


 周りを見て、目の前にある茶器を見て、そして、お茶を味わうルインを見た。


「……では、君の疑問から解消しようか」


 残りの東方茶を飲み干し、そういって語り出した。


 ここへ真っ直ぐきた理由は、クレメール夫人が恋愛系幻想記作家のココア・クレメールであり、本名をララシー・カルント男爵夫人といい、このメログリア侯爵領区に住んでいると知っていたから。どうして知っていたかというと、幻想記を愛する者なら知っていなければならない常識だからだ。


 ちなみに、カルント男爵夫人は、中流貴族の生まれで、初めて書いた物語は十五歳。『姫と騎士』である。


「……それって……」


「ソードビアの原作はシャーニー・ロントンという百年前の人物だが、恋愛風に手直ししたのがココア・クレメール夫人だ」


 もう三十年以上も作家を続けている人だが、未だに夢見る乙女らの恋の手引き書。愛の手本であった。


 そして、ココア・クレメールを愛する者なら会いたいと、話したいと思うのが人情であり、どんな人? どこに住んでいるの? そんな声が出てくるのも当然。で、愛好者連盟が樹立し、その輪はどんどん大きくなり、やがて帝都中に情報網ができあがる、というわけである。


「わたしが通う図書館にもココア・クレメールの信奉者がたくさんいてね、一度、その輪に入ったら閉館時間まで解放してくれなかったもんだよ」


 ……自分もココア・クレメールの本は好きだし、良く読んだが、あの人たちの前では素人も良いところだったよ……。


「まあ、知っていたからもあるが、ここにまっすぐきた最大の理由は、締め切りが近いと思ったからさ」


 手紙にはいついつまでとは書かれてはいなかったが、無限に公募しているわけがない。どこかで一旦区切り、試験するなり面接することだろう。そして、お姫さまの騎士になるのなら第一回で選ばれていたほうが待遇も発言権も強いだろうと判断したからである。


「まあ、一つ一つ扉を開けて印象付けるのも良いし、あの匂いは女性がいれば気がつく。あとは金と人を使えば捜すのも簡単だ。なら、誰もしない方法で、第一回に選ばれていたほうが得というものさ」


 その方が他の者たちとの差を見せ付け、自分の位置を高く置けるというものだ。


「そして、ここからが重要だ」


 真剣な顔するルインに、アルアは唾を飲み込んだ。


「この"第一試験"は、無能な公募者を選別するものであり、心せねばならないのは第二試験からだろう」


「──まだあるんですかっ!?」


「ある、というよりは、そこからが本当の試験だろうね」


 茶瓶から東方茶を茶器へと注ぎ、口を潤した。


「わたしもココア・クレメール──いや、ララシー・カルント男爵夫人と面識はない。噂に聞くていどだ。だが、そのお姫さまと知り合いなら愛や恋に生きるだけの人ではないはずだ。人を見て、人の心を感じられるからこそ、ココア・クレメールの本は三十年以上も愛されるんだ」


「…………」


「そういう人の人物鑑定は厳しいものだ。並大抵のことでは合格できないだろう」


「……剣の達人に剣で挑むようなものですね……」


 アルアの悲壮な呟きにルインは微笑んで見せた。


「ある意味正しい。が、見方を変えれば間違いでもある。カルント男爵夫人は、なにもお姫さまの敵を見つけ出しているわけではない。お姫さまの味方を探しているんだ。だから素直に自分を出せば良い。知ってもらえば良い。アルア・ナジがどんな人であるかを、ね」


 ……たぶん、そのためにカルント男爵夫人に協力を願ったのであろう──が、そんな人物から合格をもらえる人が何人いることやら。下手したらアルア以外不合格になるんじゃないか……?


「さて、どうする?」


「へ? あ、あの、なにがですか?」


 突然の問いに戸惑うアルア。


「第二の扉を開くかどうかだよ」


「──開きますっ!」


 戸惑っていたにも関わらず即答だった。


「た、確かに厳しいかもしれません。自分が未熟なのも事実です。ですが、ここまできたんです! やっときたんです!」


 椅子か勢い良く立ち上がった。


「ルインどのを見て、話をして、自分は思いました。手本はどこにでもいる。学ぶことはたくさんあると。だから、わたしは進みます。自分の力はどれ程のものか、クレメール夫人はどういった人物なのか、自分を高めるためにこの機会を大切に使います!」


 熱く語るアルアに、ルインは満足そうに頷いた。


「わたしの力もここまで。あとは自分の足で進みなさい。立派な騎士になるために。立派な人になるために」


「はいっ!」


 大きく返事し、やるぞと自分に気合いを入れた。


「──あ、それともう一つ」


 出鼻を挫かれたアルアは、少しずっこけた形でルインへと振り向いた。


「ここまできたのは自分の力できたことにしなさい」


 なにをいっているか理解できなかったアルアは、きょとんした顔になる。


「わたしのことはいわないこと。これは、君のためではなくわたしのためにいっていることだよ」


「──そっ、そんなことできませんッ!」


 このことを黙っていたら自分は卑怯者に成り下がる。騎士を目指す者として、いや、人として失格である。


「わたしは自由が好きだ。この自由を愛している。有名になる気もなければ偉くもなりたくない。君には不可解に聞こえるだろうが、わたしは静かに、自由に暮らしたいんだ。だから、そんな有名人と関わり合うなんて遠慮したいし、名を覚えられるのもごめんだ」


 まったくもって不可解だった。


 自分とは違う人とは嫌という程見せられた。そういう人だと無理矢理納得した。だが、これは無茶苦茶だ。まるで隠遁者の弁である。


「ルイン・カーク一生のお願いだ。このことは黙っててくれ」


 ルインは深々と頭を下げた。


 それで充分だった。これ以上ないくらいの説得だった。


「わ、わかりました! いいません! 絶対にしゃべりませんから頭を上げてくださいっ!」


 慌てて駆け寄り、無理矢理頭を上げさせた。


 ほっとするルインだが、それ以上にほっとしたのはアルアのほうである。


 ……帝都を駆け回るより疲れたぞ……。


 がっくり崩れ落ちたアルアだったが、なんとか気力を振り絞って立ち上がると、ルインは満足そうな顔してお茶を楽しんでいた。


「では、健闘を祈る」


「……が、がんばります……」


 そういって香麓亭を出ていくアルアを消えるまで見送り、先程の給仕の男性を呼んでお代わりを注文した。


 残りを飲み干し、曇り掛かった空を眺めてから重いため息を吐いた。


「……もっとも、それをさせる人ではないだろうがな……」

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