第四章 賢き者とは
1
二人は、昼前にメログリア侯爵領区にやってきた。
中心区から東に延びるオーヘル大通りを進んでいると、右前方に小高い丘が見えてきた。
この領区内でもっとも有名な高級住宅地らしく、家より緑が視界を占め、そこを歩く人はかなり少なかった。
「なるほど、良く整備されている」
統治する侯爵に寄って街の造りはそれぞれだが、現メログリア侯爵は、街の美観を守ることを信条にしている、ということを思い出しながら街並みを眺めていた。
「空から見たときは平地が多いと思いましたが、結構起伏があるんですね」
「人が増えるととも街が広がり山が削られていったからね」
そんなことを話ながら進んでいると、丸太小屋が見えてきた。
なぜこんな高級住宅地に丸太小屋がと、思いながらその建物の前までくると、それは以前よりきて見たかった茶屋であった。
「これが
良く手入れされた店先の庭には、真っ白な円卓と椅子がいくつも置かれ、見るからに裕福そうなご婦人方が楽しそうにお茶やおしゃべりを楽しんでいた。
「有名な店なんですか?」
「ああ。リニラ・オックスという人が経営しててね、確か、帝都に四〇以上もの茶屋を出しているんだよ。他にも貿易もやっていてその資産は伯爵にも勝るといわれているくらいだ」
アルアは目を大きくして驚いた。
こんな店が四〇以上。それだけでも凄まじい売上げだろうに、更に貿易で儲けていたらいくらになるのだ? 想像するだけで目眩がしてきた。
「せっかくだ。一杯頂いていこうじゃないか」
アルアの返事を待たずにルインはシリルから降りてしまった。
門を潜ると、店先に立っていた身形の良い少年が二人、近づいてきた。
「いらっしゃいませ。お馬さまはこちらでお預かり致します」
さすが香麓亭。馬番といえどもその振る舞いは完璧だった。
「では、こちらの灰色の美女を頼むよ」
困惑顔をしているアルアに預けるよう促した。
「……あ、あの、こちらのお馬さまは……?」
シリルの手綱を預かろうとした少年が戸惑いを見せる。
「こちらの美女は良いんだよ」
そうよとばかりに尻尾を一振りさせたシリルは、門から出て行ってしまった。
こんなことはいつものことだし、いつでも連絡は取れる。なるがままに、ならないのならならないままに、これがルインの放浪であるのだ。
そんなルインは店には入らず、庭にある円卓の一つを選んで椅子に座った。
まだ困惑中のアルアも椅子に座った。
すると、店から庭へと続く硝子扉の横に立っていた給仕の男性が品書きを持ってやってきた。
差し出された品書きを受け取り、中を見て感嘆とする。
「さすがというべきか、良い茶ばかりだ」
自分もお茶好きになり、茶について学んだり、いろいろ集めてきたが、ここの品揃えときたら紅百合亭の倍はあり、葉や豆の質といったら献上級であった。
「おお! 東方茶まであるじゃないか。しかもオルピル産とは。なかなか通な人がいる。採算度外視だね」
もはや着いていくことができないアルアは、右から左へと聞き流していた。
「この東方茶は、今年のものかい?」
「はい。初物でございます」
「初物とは凄い。飛空船を所有したのか、優秀な冒険商人でも雇ったのかな?」
給仕の男性は心の中で驚いていたが、それを顔に出すことはせず、極めて冷静に「自前でございます」とだけ答えた。
「ふふ。では、わたしは東方茶を。あと、木苺の焼き菓子を頼む。アルアはなににする?」
「──えっ、あ、えーと、同じものを!」
畏まりましたと給仕が下がり、しばらくして注文の品を運んできた。
二人は同時に茶器へと手を伸ばし、同時に東方茶を口にした。
「……良い味だ……」
「はい。最初口に含んだときは苦かったのに、飲み干したら甘味が口いっぱいに広がりました!」
もう一口飲み、焼き菓子に手を伸ばした。
「こちらも負けてない。まさに頬が落ちる美味しさだ」
「はい。このパリパリ感といい、適度な甘さといい、絶妙過ぎます。姉上より美味しい焼き菓子があるなんてびっくりです!」
感動するアルアになぜか満足したルインは、先ほどの給仕を目で呼んだ。
「すまないが主を呼んでもらえないかな。少し尋ねたいことがあるものでね」
目を少しだけ大きくさせた給仕は、少々お待ちくださいと下がっていった。
茶器から中身がなくなる前に、見るからに品の良さそうな初老の男性がやってきた。
「いらっしゃいませ。この店の主をしています、セレド・マーキュアと申します」
支店とはいえ、店を任せられるだけあって、立ち振舞いは素晴らしく、その動きに隙はない。まるで有能な執事を思わせるような人物であった。
「お呼び立てて申し訳ありません」
「とんでもございません。我が店に入ったお客様は我が主。遠慮など無用でございます」
「実に立派な精神です」
「ありがとうございます。それで、ご用はなんでしょうか?」
「おっと。そうでした。いや実は、この近辺てお茶と花が好きなご夫人はいないかを尋ねたかったんですよ」
主は目を大きくして驚いたが、アルアは破裂しそうなくらい目を大きくさせて驚いた。
そんな主に、ルインは悪戯が成功したかのように微笑んだ。
「おや、誰もきませんでしたか?」
隙を突かれたことに気がついた主は、すぐに営業用の笑顔を復活させた。
「はい。誰もお出でにはなりませんでした。せっかくあの方の“趣味„を書いたというのに……」
「まったくです。こんな美味しいお茶との出会いが待っているというのに……」
どちらも言葉は沈んでいるが、顔は悪戯小僧のように笑っていた。
「やはりカルント男爵夫人のお屋敷は近くで?」
「はい。この通りを百メローグ程進みますと、大きなカシヤの木が生えています。そこの交差路を右に曲がってください。しばらく進むと、なるほどといいたいくらいのお屋敷が見えてきますから」
「だ、そうだよ」
主から再び困惑顔を見せるアルアに目を向けた。
だが、アルアはなにもいえない。ことの顛末を理解しようと、お姫さまから手紙をもらったときまで遡っていたのだ。
「……失礼ですが、貴方様ではないので?」
主の戸惑いをルインは真っ正面から受け止めた。
「選ばれたのはこの少年。わたしはたんなるお手伝いです」
宮廷を見たことがある主は、まだまだこの世が広いことを思い知らされた。
……いるのだな、世に出ぬ賢人とは……。
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