「お待たせした」


 戻ってきたルインの姿にアルアは見とれてしまった。


 ルインが着ているものはそれ程珍しいものではない。華やかでもなければ高級なものでもない。意匠もどこかで見たようなものだし、生地も良く見かけるものだ。長靴や外套も派手なものではない。腰に巻かれた帯など長年使っているものだとわかるくらいくたびれているし、帯に下がった小物入れなど手作りといった感じだ。なのに、どこかの王子様がお忍びで出かけるかのような気品と風格があった。


「どうかしたかい?」


「──あ、いや、あの、す、すみません! ルインどのが余りにも素晴らしかったので、つい……」


 なぜか顔を赤らめて俯いてしまうアルア。


「ふふ。ルインさまは貫禄がありますから、服装は地味なほうが映えますから」


 厨房から出てきたへレアルは、自分の美意識に見とれたアルアに満足気に笑った。


「わたしとしては、もっと地味で楽な衣装が良いんですがね」


「こんな良い素材を腐らせるなんて神が許してもわたしが許しませんわ!」


 抵抗するルインにへレアルはぴしゃりと切り捨てた。


 ……まるで夫婦の見本のような二人なのに、なぜ夫婦じゃないんだろう……?


 確かにルインもへレアルもお互いを異姓と感じ、男と女の情も少なからずあった。だが、どちらも自分はこの人の良き理解者。良き隣人。良き家族だと思っている。だからそれ以上の感情を持とうとは思わなかったのだ。


 そんな二人の会話が途切れ、その愛情深い眼差しがアルアへと注がれた。


「さて、いこうか」


 まるで胸を突かれたように体が強張り、頷くのがやっとだった。


 石のような足を叱り付け、なんとか裏庭に出ると、そこに上半身が女性で下半身が馬という生き物がいた。


 その生き物を見るのは初めてだが、それがなんであるかは知っていた。


 しかし、その生き物はこんな人がたくさんいる場所にいる生き物でもなければいて良い生き物でもない。この生き物がいるべき場所は深い山の中。しかも聖山や神山と呼ばれるような、清らかな水と豊かな森がなければ生きて行けない生き物であった。


 頬をつねってみるが夢という訳ではない。目を擦ってみるが幻という訳でもない。まず間違いなく、聖獣の中の聖獣、ケウロンがそこにるのだ。


「……どうかしたのかい……?」


 不思議そうに自分を見るルインへとゆっくり振り向き、シリルを指差した。


「…………」


 言葉にならなかった。


 アルアの戸惑いに眉を寄せた。


「……お、おい、シリル……?」


 相棒に振り向くと、水色の瞳がアルアを霊視していた。


「……驚いた。この子、凄い霊力を宿しているわ……」


「霊力? ──『霊眼』か! ならばシリルの幻も効くわけもないか……」


「それにこの子、“加護持ち„だわ」


「加護持ち?」


 初めて聞く言葉だった。


「聖獣が子供連れ去るって話、聞いたことある?」


「ああ。霊力の弱い子供を守るために霊力の強い人の子を護符代わりに使う、ってやつだろう」


「正確には、人の子に宿すのよ。魂に宿った聖獣の子は魂を通して霊力を食らうんだけど、繋がりが濃すぎて聖獣の力が人の子に。人の子の力が聖獣の子にと流れることがあるの。それをわたしたちは“加護„と呼んでいるわ。だけど、聖獣に寄って秘める力は違うからなんの加護を宿すかまではわからないの。聖獣もいないようで結構いるからね」


「なるほどね~」


 おもしろそうにアルアを見るルインだが、見られていアルアは気が付かない。もうシリルから出る神々しい霊光に感動するので精一杯なのだ。


「……まるで、ソードビアに迷い混んだかのようだ……」


 ソードビアという言葉にルインは驚き、そして、興味深そうに笑った。


「ほぉう。アルアは幻想記愛好者だったか」


「──え? いえ、あの、違います! 一番上の姉が好きで、小さい頃良く寝物語として聞かされたんです!」


 別に慌てることではないのだが、物語というよりは童話に近いので、良い歳して愛好していると思われたくなくて必死に否定しているのだ。


「ねぇ、ルインさま。ソードビアってなんなの?」


 二人の邪魔にならないように控えていたレギニーだったが、その言葉の響きに興味を引かれ、思わずルインの外套を引っ張った。


「うん? ああ、昔の幻想記に出てきた馬の王国だよ」


「へ~馬の王国かぁ~。どんな話なの?」


 そんな純粋な好奇心に微笑み、レギニーにルインは語ってあげた。


「昔々そのまた昔。とある王国に美しい姫がおりました。その美貌は他国にも知れ渡り、沢山の騎士や王子から求婚されました。その噂を偶然耳にした灰色の魔王は、興味をそそられお姫さまを見に行きました。魔王はお姫さまを見るなりその美しさの虜となり、妻へと望みました。しかし、そのお姫さまには好きな人がいました。お姫さまの乳兄弟で、国一番の騎士を愛していたのです。その心が揺るがないと知るや魔王は怒り、お姫さまを連れ去りました。拐われたと知った騎士はお姫さまを救うために旅立ちました。数々の戦い、数々の試練。旅は波瀾と苦悩の繰り返しでした。だが、騎士は諦めなかった。希望を消さなかった。長い長い旅の末、騎士は灰色の魔王を倒しました。しかし、そこにお姫さまはいなかった。魔王の愛を拒んだことにより馬へと変えられ、ソードビアという馬の王国に送られていました。旅の途中て知り合った聖獣ケウロンの導きにより騎士はソードビアへ辿り着くことができました。だが、そこは馬の王国。ケウロンの王が支配し、数千数万の馬が暮らしていました。その中からお姫さまを見つけるなどケウロンの王でも不可能というもの。仲間となった者たちが落胆する中、騎士だけは絶望はしなかった。迷いもしなかった。数千数万の馬の中から愛する人を見つけ出し、愛の口付けで魔王の呪いを解いたのです。人へと戻れたお姫さまが尋ねました。どうして私がわかったの? 騎士は答えたました。この中で一番美しく、気高いのが貴女だと、ね」


 めでたしめでたしと笑うルインに、聖獣を世話している少年は目を輝かせて興奮していた。


「……良く、ご存知ですね。あの幻想記は五十年も前のなのな……」


「図書館に通っているとね、いろいろな愛好家と知り合うんだよ。歴史愛好家。文学愛好家。幻想記愛好家とね。アルアも一度は行って見ると良い。友好関係が広がるよ」


 ……まあ、灰汁の強い人たちだがね……。


「さて。聖獣の加護があるならローテリアを任せても良いだろう」


 レギニーから手綱を受け取り、灰色の美女をあに紹介する。


 馬から生まれた馬だが、ローテリアはシリルの園──全面を硝子で覆われ、精霊水で育てた木々で満たされた簡易の森で育った馬である。その賢さと気品は聖騎士の一角馬にも勝るものだった。


「……とても綺麗だね、君は……」


 同族の女性には決していえないセリフと眼差しをローテリアに送り、その美しい顔を優しく撫でてやった。


 アルアのしたことはそれだけである。なのに、気高く人に厳しいローテリアが恋する乙女のようにアルアへと顔を擦りつけた。


 アルアも嬉しそうに応え、ローテリアへと軽やかに跨がった。


「鮮やかなものだ。馬術でも習っていたのかい?」


「母方の家が馬場を経営してましたから良く乗りました」


 ただ馬を飼っているだけではこれ程の技術は身に付かない。良い馬がいて良い調教師がいる、という条件が揃わなければここまで到達することは不可能である。


「結構歴史がありそうだね


「え? ええ。百年以上は続いているそうです」


「なるほど。下調べ済みというわけか。なんとも周到なことだ」


「あ、あの、なにがですか?」


 突然話が変わり、着いていけないアルアは首を傾げるばかりであった。


「いや、こちらのことさ。さて、いこうか」


 戸惑いながらもルインに続くアルアだったが、ふっと、その後ろ姿に違和感を感じた。


 ……あ、剣だ。剣を差してないんだ……!


「ルインどの。剣はよろしいのですか?」


「ああ、いらない」


 素っ気ない返事だった。


「いっ、いらないって………」


 剣は貴族の証であり、たしなみである。もちろん、文官や歳をめし荒事に不向きな者は下げたりしないが、この人はそういった類の人ではない。高位貴族にも負けない風格を持つ人が剣を持たぬだとアルアには理解できなかった。なによりもったいなかった。


「今のわたしには持つ資格がないからね」


 アルアも鈍い方ではない。その言葉になにか触れてはいけないものを感じてそれ以上のことは聞けなかった。


 とはいえ、直ぐに切り替えのできず、モヤモヤした気持ちを抱きながらルインの背中を見詰めていた。


 と、突然ルインが横を振り返り、片手を挙げた。


 その優しい眼差しの先を追うと、硝子窓の向こうにへレアルがいて、ルインに優しい笑みを見せていた。


 ……本当にお似合いなのに……。


 それは心温まる光景なのに、なぜかアルアには胸を締め付けられるものだった。


 別に嫉妬しているわけではない。捻くれているわけでもない。アルアは真面目で心優しい少年である。他人の幸せを無条件で祝福できる人種である。


 なのに、心が痛かった。見ていられなかった。


 ルインが正面に向き直った瞬間、その姿が燃え上がった。


「──ルインどのっ!?」


 危機迫る声にルインが振り返った。


 その瞬間、胸の痛みが消え、燃えたはずのルインが不思議そうに自分を見ていた。


「どうしたんだい。意気なり叫んだりして?」


 ルインが首を傾げながら尋ねる。


 だが、アルアには答えられない。自分でもなにが起こったのかわからなかったからオロオロするしかできなかった。


「……あ、いや、その、すみません。な、なんでもないです……」


 ルインはしばらくアルアを見詰めてあたが、答えが出ずに思考を中断し、出発することにした。


 アルアは知らなかった。ルインもまだ見抜けなかった。


 アルア・ナジという少年の中にある小さな“加護„に……。

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