あっという間に平らげてしまったアルアは、腹と気持ちが落ち着いたようでここを出てからのことを語り始めた。


 まず乗り合い馬車で宿舎へと赴き、宿泊の手続きと目的を告げてすぐにルクアート総領事館へと向かった。だが、そこでは受け付けていないとの言葉が返ってきた。


 これといって落胆はなかった。手紙でも自分を捜せとあったのだ、そう簡単に見つけられるのなら最初から捜せなどはいわない。尋ねたのは念のためである。


 次に公爵が所有する舘や関連施設を調べ上げ、片っ端ら訪ねたが、受け付けてはいなかった。


「姫様が在籍しているエレデリア学園や姫様が良く訪れるという天空の舘にも行きましたが、やはり受け付けてはいませんでした……」


 アルアの話を黙って聞いていたルインは、いつの間にか置かれていた黒茶に手を伸ばし、半分程口にした。


「良ければお姫さまからもらった手紙を見せてもらえるかな?」


「あ、はい。どうぞ」


 懐から封筒を取り出してルインに渡した。


 正面にはアルアの名前が書かれ、裏にはお姫さまの名前が書かれていた。


 ……住職や運送屋の印がないところを見ると、直接届けられたか。なんとも暇と金を惜しまないお姫さまだこと……。


「中を見ても良いかな?」


「はい、構いません」


 一つ頷いて封筒から手紙を取り出して広げた。


      ◇


 勇敢なアルアどのへ。


 風暖かくなるこの季節いかがお過ごしでしょうか。貴方のことだから剣に勉学に勤しんでいることでしょうね。


 ですが、余り熱中し過ぎで体を壊さないでください。貴方の優しさ、勇敢さ、勤勉さはルクアートの宝。誇りです。くれぐれも無理はしないでください。


 さて、今回このような手紙をしたためた理由ですが、レミア・オゼス・ルクアートの騎士を求めようと考えたからです。


 公爵の娘が騎士を。貴方は不思議に思うでしょう。ですが、先日のことで身に染みました。


 民の暮らし、民の思いを知るのは間違いではありません。ですが、全ての民が幸福という訳ではなく、父の統治に満足している訳でもない。街にはならず者がいて、悪巧みをする者がい多くいると学びました。


 私は公の娘として、ただの女として世界を知りたい。世界を見たいのです。


 また、なにをいっているのだと思いでしょう。不可解と思いでしょう。ですが、私が私であるために私だけの騎士が必要なのです。私と歩んでくれる騎士が欲しいのです。


 もし、私の思いになにかを感じるものがあるのなら、貴方にもその道を歩んで欲しい。貴方の力を貸して欲しいのです。


 ただし、その道は容易なものではありません。私がいうことではありませんが、とても険しいものとなるでしょう。だから、良く考えてください。自分の意志で、自分の覚悟で、決断をしてください。


 その一歩を踏み出したのなら、帝都にいる私のもとにきてください。


 勇敢で優しく、一途な貴方なら必ず私のもとへとくると信じています。


      ◇


「……ふふ。若いのに人を煽るのがお上手だ……」


 上からものをいうわけでもなく、媚を売るわけでもない。ごく自然に、真摯に、未熟に、まるで大切な友人に語りかけるように書かれてある。公国の姫にこんなこといわれたら騎士じゃなくても馳せ参じてしまうだろう。それこそ周囲の言葉など聞かず、読み終えると同時に飛び出していることだろうよ。


 ……まあ、少なくてもこの子はじっくり考え、入念な準備をしてきたようだがな……。


 不思議そうに自分を見るアルアに微笑み、最後の文に目を向けた。


     ◇


 ~~ココア・クレメール夫人は花とお茶が好き~~


     ◇


「ヤレヤレ。厳しいんだか優しいんだか」


 手紙を封筒に戻してアルアに返した。


「で、そのクレメール夫人は調べたのかい?」


「はい。ですが、姫様の友人にそのような方はいませんでした」


 そう当たり前のように答えたアルアにため息が漏れてしまった。


 六日である。この少年が帝都に点在する公の舘やお姫さま関連を調べ回った時間は。


 バカでは調べ上げることはできないし、根性がなければ帝都の広さに負けてしまう。


 ……まさか、ジリートのような者がいるとは、世界は広い……。


「君の行動力は認めるが、食事と睡眠はしっかりとりなさい」


 その言葉にアルアは恥ずかしそうに身を縮めてしまった。


「……あ、あの、それより最後の文はいったいなんなんでしょうか?」


「読んだまま、ココア・クレメール夫人は花とお茶が好きなんだよ」


 アルアは口を開いて絶句してしまった。


 可笑しそうに自分を見るルインに我を取り戻し、開きぱなしの口を閉じた。


「良いかい、アルア。目の前に道がないからといって前に進めないってことはないんだよ。右を見て、左を見て、ちょっと離れたとこから見れば他にも道があることに気がつくものだよ」


「……………」


 目を見開くアルアにルインはそうだと頷いた。


 アルアは封筒から手紙を取り出して右から左から読むが、まったくもって道が見えなかった。


「手紙を嗅いでごらん」


 いわれた通りに嗅ぐと、なにやら甘い香りが鼻腔をくすぐってきた。


「……これが、なにか……?」


 匂いがついているのは届いたときからわかっていた。この匂いにも覚えがあった。初めて姫様と会ったときもこの匂いがした。


「──あ、マオ。仕事中悪いが、これを嗅いでくれるかい?」


 注文を取ってきたそばかす少女を呼び止めた。


 アルアから手紙を借り、マオに渡す。


 受け取ったマオは、くんくんと手紙を嗅いだ。


「ヘンケラの香りですね」


 迷いなく断言した。


「ヘンケラとは北方の山に咲く花の名前だよ」


 なんのことかわからないアルアに補足してやるルイン。


「でもコレ、ヘンケラの中でも最高級の白ヘンケラかもしれませんよ。ちょっと甘い香りが強いですから」


「白ヘンケラか。確かに道を開くための鍵にはもってこいだな」


 全然話の内容を理解できないアルアは、困惑顔でルインとマオを見回した。


 取りあえずアルアの困惑をそのままにマオに礼をいい仕事に戻らせた。


「今、帝都で匂い袋が流行っててね、この紅百合亭の娘たち、とくにマオが嵌まっててね、その嗅覚能力は飛び抜けているんだよ」


「…………」


 まったくわかりませんといった顔だった。


「つまり、だ。この匂いも道を切り開く鍵というわけさ」


 それでもわかりませんといった顔だった。


「白ヘンケラ。この花はとても希少でね、大きな店でもなかなか入手するのが難しいんだよ。なんせ、一袋五〇〇タムもするからね」


「ご、五〇〇タム!?」


 庶民の家族六人が余裕で二年は暮らせる金額であった。


「ああ、そんなバカげた匂い袋を売っているとなると、そこは高位貴族の御用達となる。しかも、この匂いの強さからしてわざとつけた節がある。となればこれを売る店は少ない。いや、もしかしたら一軒だけかもしれないな。そして、そこに次の道しるべがあるのだろうよ」


「…………」


「と、なれば、だ。その店の近くにはこの手紙を扱う店があるだろう。この紙の質からいって公文書にも使用される高級紙だ。この縁を見てごらん」


 手紙をアルアへと返す。


 見ると、縁に一角馬と騎士の絵が描かれてあった。


「これは、どの店にもいえることだか、店には店の色というか、技というものがある。その手紙のようにうちは他と違いますよ、技がありますよと主張するのさ」


 食い入るように見ていたアルアが突然、肩を落としてしまった。


「どうしたんだい?」


「……なんだか、必死に帝都を駆け回っていた自分が情けないです……」


「なにが情けないんだい?」


「近くにあるものに気が付かず、ただがむしゃらに駆け回っているだけでした」


 この人は、手紙を見ただけで鍵を見つけてしまった。


 自分など帝都にいけばわかるとばかりになにも考えず、唯一気がついていた匂いを無視してしまった。


 ……自分はなんて無知なんだろう。なんて世間知らずなんだろう……!


 なにも知らない姫様に得意気に語った自分がとても恥ずかしく、とても情けなかった。


「顔を上げなさい、アルア」


 それは祖父のように落ち着いたものなのに、父に怒られたときのように体が跳ねてしまった。


 恐る恐る顔を上げると、ルインの気配はとても穏やかで、いつもの優しい微笑みを浮かべていた。


「人は失敗して学ぶものであり、失敗から学ぶ方が遥かに多くのことを学べる。まあ、世の中には失敗しない天才もいる。それもまた事実だ。天才は見本とならない。してもならない。凡人には害悪でしかない。もし、君が一人前の騎士となりたいのなら失敗を恐れるな。人を羨むな。自分は自分。自分の速度で歩めば良い。そのお姫さまもそうしているじゃないか。そんなお姫さまを守ろうというのならお姫さまと同じ速度で歩めば良いさ」


 そのお姫さまは、僅か十三歳で理解している。自分が無知であり、無力なのを知っている。そうさせる理由はわからないが。


「……すみません……」


 項垂れるアルアに、自分がなにをしたのかに気が付き、しまったとばかりに顔を叩いた。


「あ、いや、すまないのはこちらの方だ。生意気なことをいってしまって……」


 どうも母親の教育が濃かったせいか、どうも説教口調になってしまうのだ。


 ……こんなところ見られたら丸二日は説教だよ……。


「いえ、そんなことありません! こんなこというのも変ですが、ルインどのにそういってもらえると嬉しいです。自信が湧いてきます。ルインどのと出会えて本当に良かったです!」


 晴れ晴れたとした笑いにつられてルインも笑った。


「そういってもらえて光栄だよ。そうだ。もし良ければわたしにも手伝わせてもらえないだろうか?」


 それは願ってもないことだ。


 即座にお願い致しますと叫びたかったが、ほんの少しだけ残っていた理性がそれを止めた。


 これは自分の問題。姫様の騎士として相応しいかを問われているのだ。しかし、自分の力で姫様を見つけ出すなど不可能だ。いや、駄目だ。諦めるのは早い。この人がいったではないか。まだ道はあると。自分の武器はこの足と突き進む精神。まだ折れてはいない。


 たぶん、そんな葛藤をしている顔を見て、ルインは穏やかな気持ちになった。


 ……この、まっすぐな心は宝だな……。


「迷惑だろうか?」


「──あ、いえ、迷惑だなんてとんでもありません! ルインどのに協力頂けるのなら百万の味方を得るより心強いです! ……ですが、わたしには返すものがなにもありません……」


 肩を落とすアルアに、ルインは満足気に頷いた。


「なにもいらないしなにも望まないよ。わたしが勝手に協力したいだけだからね」


 誠実に接し礼節を忘れない。


 それは簡単なようでととも難しいことだ。そんなことをできる者に好感を抱くのは当然だし、協力したいと思うのが人情だ。


「それに、だ。最近、気分が滅入っててね、なにか打ち込めるものが欲しかったんだよ」


「……あ、はあ、そうなんですか……」


 なんといって良いのかわからず曖昧に答えるアルア。


「あ、マオ」


 厨房からごみ箱を抱えて出てきたそばかす少女を呼び止めた。


「度々呼び止めた悪いが、アルアと出掛けるのでレギニーに馬を出すようにいってくれ。それと、ミルラを頼む」


「はい、わかりました!」


 笑顔で応えたマオがごみ箱を厨房へと戻し、朝の部を仕切る義妹のもとへと駆けていった。


「お出かけですか?」


 会話を耳にしたへレアルが厨房から出てきた。


「はい、少し放浪してきます」


 最近なかったが、帝都散策もルインの趣味。どこへとは聞かず、いつ帰るかも聞かなかった。


「兄さん、出かけるんだって?」


 ミルラがやってきて単刀直入に聞いてきた。


「ああ。そう長くはならないだろうが、あとを頼む」


「うん、わかった」


 ルインがいないときミルラが紅百合亭の戸締まりや火の始末を担当するのだ。


「アルア。ちょっと用意してくるからなにか食べて待っててくれ」


 へレアルにお願いしますと声をかけ、久しぶりに自分の部屋へと戻った。

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