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姉弟の思いとは裏腹に、ルインはこの生活に満足し、永遠に続けば良いと願っていた。
朝昼晩とヘレアルが美味しい食事を作ってくれるし、飲みたいときに飲みたいだけお茶を淹れてくれる。この北エルレードには図書館や本屋が多くあり、溢れる探求心を満たしてくれた。欲しいものがすぐに手に入る程度には発展した街であるから生活にも困らない。金も発明品や道具製作で稼いでいるので懐は温かい。なにより素晴らしいのは、この自由な時間があることだ。
本は読み放題。外出は自由。誰に指図されることもなく好きなことを好きなだけできる。これ以上の贅沢がどこにあるという。
家柄? 資産? 名誉? それがなんだ。この自由と比べたらゴミにも劣る。
──自由労働士。
もし、世間にそんな道があったなら自分は絶体に歩んでいる。どんな困難な道だろうと極める自信がある。
だが、世間にはそんなものなかった。どんなに主張しようが誰も認めはしなかった。
遊び人。ごくつぶし。脱落者。そんな括りに入れられてしまう。
そんな世間の目に負ける自分ではないのだが、親からの目には人並みに弱かった。
……まったく、この自由を謳歌していたというのに……!
母親からの手紙を届けた者へと非難の目を向けた。
「なんですか、人の顔を見るなり怖い顔して?」
ルインより年下の、まだ青年とは呼べない顔立ちの少年は、敬愛する人へと抗議した。
この義弟のジリートと偶然再会したのは約八ヶ月前。帝都外周部の街まで遠出したときのことだった。
シリルに任せながら商店街を眺めていると、後ろから強い視線を感じた。
振り向いたそこには、ボロボロの旅衣装を纏った男がいて、まっすぐ自分を見詰めていた。
最初はジリートとはわからず無視して立ち去ったが、いつまでも付いてくるのでしょうがなくシリルから下りて近づき、その顔を良く見てやっと義弟だと理解できたのだ。
その場で号泣するジリートを慰めながら事情を聞くと、唯一の肉親たる祖父が死んでしまったそうだ。
一番の幼なじみの口利きで騎士団の馬番見習いとしてやっていたが、このまま馬番で終わるのは嫌だと、自分を追ってきたという。
無茶苦茶だと、顎が地面につくくらい呆れた果ててしまった。
故郷のグロート伯爵領から帝都まで七六〇リグもある。途中にはメギルム大陸の屋根と呼ばれるルルリーム大山脈がある。何百という難所に山賊盗賊がうようよいる。馬を使ったのならまだ納得できるが徒歩で、しかも一人で越えたというのだから頭が痛くなる。
……まあ、それをできるのがこいつの凄いところではあるんだがな……。
「なんでもないよ。それよりここでなにをしてるんだ? しかも一人で?」
その問いにジリートは満面の笑みを浮かべ、下げていた鞄から『
それは現代技法の粋であり、真実を伝える文士ふみしの証しであった。
元々記者は文字と絵で真実を伝えてきたが、約一〇〇年前、光人の遺跡から発掘された『星渡る船』から出てきた遺産により技術が爆発的に発達し、伝紙は『見聞紙』と名を変え、文明人の象徴として帝国や発展した種族に広まった。
奇蹟の姫による写光器の改良小型化により見聞紙は部数を伸ばし、文士の数も四倍に増えたという。
見聞屋の数も増え、街には必ず一軒はあるというくらい見聞紙は中層階級まで浸透していた。
ジリートが勤めるギート見聞屋は、二年前にできた新しいところだが、やり手の見聞長の働きによりエルレード地区では一番の部数を誇り、文士も二十人も所属しているそうだ。
とはいえ、文士は政治に経済に税や法律に詳しくなければならない知識人だ。それが数ヵ月前に帝都にきた田舎者に勤まるほど易しくはない。
眉を寄せるルインに気がついたジリートは、悪戯小僧のように笑った。
「おれの担当は事件事故。新規開拓ってヤツです」
なるほどと納得する。
見聞紙が増えたことで他と差別化しなければ飽きられてしまう。政治経済など富裕層くらいしか読まない。圧倒的に多い中級層にはどこの店が安いか麦の値段が高くなるか安くなるしか関心がない。あとは、野菜をくるむのに便利くらいなものだ。
さらなる発展を望むギート見聞長に相談を受け、民衆が喜ぶ"ネタ"を載せれば良いのではと、そんなことをいったことを思い出した。
「つまり、お前の『兄貴を頼って七〇〇リグ』に白羽の矢が立ったわけか」
どこで起きるかわからない事件事故。体力と執念がなければ帝都の広さに負けてしまうことだろう。
「へへっ。おれの鼻の良さに勝てるヤツはいませんからね」
「ったく。自分でいうな」
……とはいえ、こいつの鼻の良さと行動力には頭が下がるのも事実なんだよな……。
誰にもいわず朝早く出かけたにも関わらず昼前には見つけられるし、山の幼なじみと密かに計画していた冒険まで嗅ぎつけ、口八丁手八丁でいつの間にか皆を説得してしまうのだ。
……たまたまいた見聞長に押し付けたが、良く良く考えたらこいつの能力って文士に必要なものばかりじゃないか……?
「まあ、なんにせよ、良かったじゃないか。お前なら帝都一の文士になれるよ」
「へへ。兄貴にそういってもらえると嬉しいッス!」
「それで、この付近でなにかあったのか?」
「いえ、あったのは隣のオルデリア侯爵領区で、貿易商の店が強盗団に襲われたんです」
「あの強盗団か?」
強盗話は帝都で良く聞く事件だが、今噂になっている強盗団はとても残虐で、全員皆殺しという荒々しいことをするのだ。だが、そんな荒々しいにも関わらず襲撃緻密で手がかりという手がかりをまったく残さないのだ。
一度、帝都中の警備隊が総出で網を張り追い詰めたが、誰一人捕まえられることなく、十七人もの警備隊士を殺して逃げたという。
その話が本当ならその強盗団はただの強盗団ではない。なにか尋常ではない集団が行っているとルインは見ていた。
「いえ、それはまだわかりません。けど、デッド副長が調査にいったっていうから探りにいくんです」
その軽く出てきた事実にルインは苦笑する。
「……そういう内部情報をどこで仕入れてくるんだよ、お前は……」
治安を守る警備隊士には守秘義務がある。例え親兄弟でも内部情報をしゃべったら罪になる。しかも、この北エルレードを守る第一分隊の結束は固い。この北エルレードを仕切っていた一家にも屈することはなかった英雄たちでもある。そんなところから情報が漏れるわけがない。ならばオルデリア侯爵領区の警備隊からだろうが、いつどうやってかがわからなかった。
「兄貴とはいえ、情報の出所はしゃべれません」
……文士の口は岩より固くその目は雲の上まで見通す、か。立派になりやがって……。
「わかったよ。じゃあ、がんばれよ、未来の一流文士」
「え? 兄貴はいかないんでしか?」
義弟の問いに義兄が不思議そうに首を傾げる。
「なんでおれがいかなくちゃならないんだ?」
そう問い返されてジリートは固まってしまった。
「……あ、いや、そ、そーですよね。おれったらなにいってんですかね……?」
ジリートの記憶にはいつもルインがいる。いつも仲間たちの中心にいて、行動するときはいつも一番前にいた。なにか難題が出たらルインの出番だと、ジリートの頭の中にはそう刻まれているのだ。
「帝都にはおれより優秀な警備隊士が何百人といるんだ、無職で青二才に出る幕はないよ」
「そんな、特殊警備隊の立役者がなにいってるんですよ。ノルベット総隊長なんかぜひうちに欲しいっていってるし、あのルディー分隊長ですら兄貴をべた褒めだよ。兄貴が入隊してくれたら帝都一安全な街になるっていってるんですから! もう入隊したら良いじゃないですか? 例の強盗団を捕まえたら侯爵直属の親衛警備隊の隊長だってなれますよ!」
「バカいってるんじゃないよ」
付き合ってられないとばかりにシリルを歩ませた。
「あ、待ってくださいよ!」
ジリートが慌ててあとを追う。
「本気の話、入隊したらどうです? 兄貴の腕と頭脳なら直ぐにでも隊長──ううん。総隊長だって夢じゃない。それに、ロレアかあさんだって兄貴のこと心配してましたよ。未だ仕官もせず遊び回ってるって。おれだって心配ですよ。故郷じゃ伯爵からの誘いを蹴るし、こっちではあの猛勇伯爵やあの聖ロネアム騎士団からの誘いも蹴ったそうじゃないですか。騎士より茶舞店の用心棒が楽しいんですか?」
「これってないくらい楽しいよ」
いってシリルの背中(半人側の方)を軽く叩いて命じた。走れと。
「ちょっ、兄貴っ!」
さらに速度を上げ、ルインたちは雑路の中に消えていった。
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