第111話 雪化粧では隠せない物
「今日、楽しかった?」
「……一人で勝手にはしゃぐ程度には、楽しませてもらったよ」
夕飯のしゃぶしゃぶに舌鼓を打ってから、部屋に戻ろうと歩く淡い照明の下。
薄暗い廊下に響く柔らかなスリッパの音。
凛華はどこか緊張した様子で、その足取りは重い。
嫌でも何かに悩んでいて、とても考え込んでいる事が伝わってくる。
…今日くらいは、何も悩まないで楽しんで欲しかったんだけどな…。
勿論その悩みのタネは紛れもなく自分だから、一日を二人っきりで過ごそうとした時点でこうなる事は何となく分かっていた。
…本当は、こうしてずっと悩んでて欲しいくらいなんだよ。
少なくともその間はずっと、私の事を考えていてくれてるんだから。
そんな凛華の肩に手をおいて、少しだけからかうように声をかけた。
「お風呂、一緒に入る?」
「えっ…いや…」
そうだよね、凛華は断る。
私も、この後どうしようか考えたいし……
「……そう、だな…。今日くらい、良いか」
「…ぇ……?」
うそ…?
…本気で言ってる?
本当に?
…んー…雪見風呂かぁ…。
幸いというべきか空気はとても澄んでいて、はっきりと美しい小望月が雲一つ無い星空に浮かんでいる。
そんな夜空を見上げる凛華の横顔には、普段と違って一本たりとも前髪が降りておらず、少し濡れた髪と紅潮した頬からは、いつもの姿からは想像がつかないくらいに色気を感じる。
庭園に積もった残雪がキラキラと月明かりを反射して、淡い証明だけの露天風呂に光与えてくれるお陰で湯船は透き通ってよく見えた。
とても静かな露天風呂で、二人きり。
温泉なのだから当然、お互いに一糸まとわぬ姿をさらけ出している。
……まさか、凛華が…。あの性欲なんて欠片も無さそうで常に女の子に対して一線を引いている凛華が、二人でお風呂に入る事を了承するなんて思う訳がないでしょ!
せいぜい、彼が入っている所に自分が乱入する事を想像する程度だったのに……。
いつもは女の子みたいだなと思う彼の顔立ちだが、こうして見ると…彼の妹である遥香と同じ長さ、同じ色、同じ髪型をしている事で「女の子っぽい」という先入観的な印象にかなり引っ張られてる様に思う。
少なくとも、こうして今私の目に映る彼の姿は…きっと金村君と並んでても全く見劣りしないどころか、凛華の方が好みだと言う人も少なくないだろうと思う。
…このシチュエーションとか関係なく…。髪切ったら後輩とか関係なく絶対にモテるんだろうな……。
こんな姿は恐らく、きっと他の誰も知らないんだろう。
一度、学校で金村君がいたずらで彼の頭に髪留めを付けていた事があったが…あの時は寧ろ女の子っぽさに拍車をかけていた。
でも、今の彼は長い前髪を全て後ろに流して、その中性的な少年らしい顔立ちを惜しげもなくさらけ出している。
その気になれば手の届く位置で、他の誰も見たことない姿を私の瞳に映している。
この状況に、どうしようもなく胸が高鳴っている。気分が昂ぶっている。
端的に言うと、とても興奮している。
今すぐに彼の肩に頬に触れて、指を絡めて、唇を奪ったとしたら、どんな反応を見せるんだろう。
雰囲気の流れに任せるだろうか?
多少でも抵抗を見せるだろうか?
気分的には凄く試したい。
あわよくば、そのまま最後まで体を重ねて関係を持ちたい。
けれど、それはできない。
そんな事をしてしまったら…また、今度は別の形で彼の心に大きな傷を作ることになるから。
今日に至る前に、椿から聞いた。
その椿も、小夜さんが通話をしている所で偶然耳にしてしまったのだと言っていた。
凛華は、椿の妹である雫さんと恋人同士になったそうだ。
雫さんに押し倒された時、拒むこと無く関係を受け入れたとか。
その関係は表に出そうとはしてない事とか。
雫さんは確かに積極的だったけれど、その一方で引き際はしっかりしていた。
それに、彼女の妹で…凛華にとってはもう一人の幼馴染みなのだ。遥香さんの言葉を借りるとすれば、彼にとっては雫さんもまさに「家族の一人」なのだと思う。
……やっぱり、羨ましいな…。
私は多分…いや、絶対に…凛華とはそういう関係に、なれそうにない。
凛華の口から直接そう言われたのだから、納得するしかない。
……なんでなんだろう…なんで、私じゃだめなの?
いや、分かっている。理由だって、彼の口から聞いたのだ。ちゃんと分かっているから、理解した。納得もした。
……でも、やっぱり嫌だ。
納得したくない。
この行き場の無い気持ちを、どこに捨てる事も、吐き出す事もできないこの気持ちを、どうしても彼に、凛華にぶつけたい。そして受け入れて欲しい。
ワガママなのはわかっている。
だから、絶対に口には出さない。心の中に留めておくんだ。
ほんの少しずつだけ、金村君に愚痴として聞いてもらうけど。そうやって発散していけば、前と同じ関係で居られる。
今日はその区切りを付けたかった。
恋人ではなく親友として二人の時間を過ごして、その時間の尊さを再確認したかった。
微笑ましい凛華の姿を見て「これで良い」って、「連れてきて良かった」って、「今度は三人でかな」って思った。
思っていた、それなのに……。
「……っ……ぅ…」
凛華を見ていた筈の瞳から、そっと涙が頬を伝って、僅かに
…ズルい、本当に……ズルいよ。
「……白雪……?なんで、泣いてんの……?」
月明かりの下に居る彼の対角線上、淡い証明からも遠い所で湯船に入ったまま片膝を抱えていた私の様子を見て、凛華は小さく首を傾げた。
暗い所に居る私の姿なんて殆ど見えてない筈なのに、私が小さく漏らした嗚咽にすぐに気付いたのだ。
「っ…ぐすっ……。なんで、こういうとき…っ…ばっかり、気付くのかな…」
ぎゅっと瞳を閉じて涙を払い落とした。
…やっぱり、ダメだ。
抑えられない……………抑えたく、ない。
………でも、だめだよ……。
「…白雪…?」
何度か息を呑み込んで、震える声を絞り出そうとした。
でもそれすら出来なくて、小さく漏れた息は白い湯気に消えていった。
きっと、心配そうな表情で私の事を見ているんだろう。でも、その元凶が自分だと分かっているから、声をかけられないでいる。
そんな凛華の事が、私はどうしようもなく大好きだ。この世界の何よりも愛おしく思っている。
他の何かでは、誰かでは満たせない。
小さい頃からずっと胸の中に燻っている孤独感を払拭してくれたのは凛華しか居なかったのだ。
どれだけ努力しても家族からは見てもらえず、学校の皆は見て見ぬ振りをする、先生は目をかける必要が無いと言って他に目を移す。
金村君は、確かに私を見てくれた。
でも彼は親友であって…「理解者」じゃない。
誰にも見てもらえない恐怖を知らない彼には、話せない。
凛華はそれを知っている。その上で私と違って、上手くやってきた。同じ孤独を理解し合える雫さんと寄り添い合った。
だから、私は一歩引いた場所で少しだけでいいから、その理解を分けてもらうだけで良い。
そうじゃなきゃいけない。
「…ごめん、先上がる」
私は湯船から立ち上がって、足早にその場を立ち去ろうとした。
もう少しでもここに居たら、何もかも口走ってしまいそうだった。
「待って!白雪!!」
凛華の静止の声は聞かずに、脱衣所に駆け込んでバスタオルに包まった。
着替えだけ回収してベッドに直行し、髪を拭く事もしないで布団に潜り込む。
とめどなく溢れてくる涙が、一刻も早く枯れて欲しかった。
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