第95話 落ち椿
……あーあ、またエスパーとか言われるんだろうな。
どうしてか連絡がつかないから、仕方なく手分けして兄さんを探していた時。
偶然にも、椿ちゃんの姿を見かけた。
彼女は周囲に目もくれずに迷いなく歩を進めていたので、私は一つの予感がしてその背を追った。
そうしたら、案の定兄さんを追っていたようだった。
屋上に出る前の踊り場に座り込み、私は二人の話を聞いていた。
だから、またエスパーとか何とか兄さんに言われるんだろうなって、そんな事を思ってしまった。
「……それじゃダメだよ、椿ちゃん。兄さんの心を揺さぶるのは私に気付かれない様にやらないと」
いずれこうなるような気はしていたから、私は祢音が居た時にさり気なく兄さんに思いを伝えた。
あの時に兄さんは、私のことを常に最優先にしてると、そう言っていた。
あまりにも思い通りに、兄さんが私を想ってくれていたのが嬉しくて、少しはしゃいだりはしたけど。
それはそうと、私は二人の会話の盗み聞きを続けた。
「…そんなに大事なら、最初から俺以外に見なきゃ良かっただろ」
「私の事見てなかった君がそういう事言うんだ」
「見てただろ、“出来る限り”は」
「それなら、私もそうだよ。“出来る限り”は手を広げなかったもん」
だとしたら随分と股が緩いんだね…私は寧ろ兄さん以外の男の子とか意識にすら入って来ないのに。
「……なあ、椿」
「なあに?」
「君はどうしたいんだ?俺ばっかり一方的に気持ちを言ったって意味が無い。椿は、俺をどうしたいんだよ?」
兄さんのそんな質問に、椿ちゃんは悩むこともなく即答した。
「ずっと一緒に居たいよ。もう離れてたくない。この数ヶ月でやっぱり思い知ったよ、私には凛華しか居ないんだって」
「……そっか」
椿ちゃんの言っている事、今までの行動を考えるとあまりにも支離滅裂だけど…でも私は正直、分かってしまう。
だって、ほんの一瞬でも…兄さんが千怜さんの家に戻るんじゃないかと思ってしまった時、私は咄嗟に声を荒げたから。
…いや、荒げるまでは行ってなかったと思うけど、でも…兄さんに真剣な顔で注意された。
………あの時の兄さん、格好良かったな…。
惚れ直したけど…ってこんな事考えてる場合じゃないか。
「…ね、凛華…また一緒に居ようよ。少しの間喧嘩してたなって、笑い話できる様にしよう?」
これがきっと、椿ちゃんの本音。
本当ならこんな期間は無くて、椿ちゃんの未来図には兄さんの子供を産んで幸せな家庭を築いている姿がずっとあったんだろう。
だから少しの間だけ、喧嘩してた様な事にしたがってるのかも知れない。
…私は…兄さんと喧嘩とか想像もしたくないけど、これはまた違う感情なのかな。
なんて軽い思考は、次の瞬間に聞こえて来た兄さんの声で全て吹き飛んだ。
「…黙れよ」
「へっ……?」
壁一枚隔てているのに、まるで凶器でも向けられているかのように冷や汗が流れるような感覚。
背筋が冷たくなる程に、低く威圧感のある声だった。
そんな声は…初めて聞いた訳じゃない。
昔は、私や椿ちゃんに危害が及んだり、馬鹿にされたりしたら、明らかに雰囲気が変わっていたから。
私だって、瑠衣君や白雪さんと付き合うようになった兄さんがまた、こんな雰囲気で話す事態になるとまでは思っていなかった。
まさか自分がそんな表情を向けられる事になるなんて、椿ちゃんも思ってなかっただろう。
「り…凛華…?」
「…俺だけなら別に良いけどな。腐っても幼馴染みだ、どうなっても情くらいはあるから」
「……」
「でもお前、それは流石にダメだろ」
兄さんは声を荒げる事はしなかった。
さっきよりも、少しだけ落ち着いた様に声のトーンが落とされて言葉が続く。
「…私にそんな顔向けないでよ…」
「……なら、二度と俺の前に顔出すなよ…」
怒声は抑えられた、でも…感情までは抑えきれなかったみたいで、兄さんの声は少しずつ震えていった。
「お前一人の身勝手のせいで、如月や遥香、雫が…祢音が涙を流したんだよ…。頼むからもう、俺達に……俺に関わらないでくれよ…」
兄さんは、自分の事になるとほとんど怒ったりできないけれど。
…家族や、友達、大切な人たちの為には怒れるし、行動できるし、涙を流してくれる。
……でももう、その中に……椿ちゃんは居ない。
一度は、自らの言葉で幼馴染みを傷つけて泣いていた兄さんだけど、もう兄さんの心の中に黒崎椿という少女は居なかった。
今、眼の前に居る少女は、兄さんにとっての“大切な人”じゃ無くなっていた。
そしてそれは、少女にとって一番嫌なこと。
認めたくないこと。
信じたくないこと。
……ねえ、分かるでしょ、椿ちゃん……幼馴染みなんだから。今…兄さんが椿ちゃんをどう思ってるのか。
「……やだよ」
二人は今どんな顔をしてるんだろうな。
きっと、二人共泣いている。
全く同じ理由で泣いてる。
兄さんにとって、大切な人が自分の中から居なくなった事。
椿ちゃんにとって、大切な人の中から自分が居なくなった事。
足音が聞こえた。
きっと、現実から目を逸らしたくて逃げ出したんだろうね。
自分が悪いのに、何してるんだろ。
すぐ隣を通って、階段で転びそうになる少女の後ろ姿に声をかけた。
「…自業自得だよ、椿ちゃん」
「……はる…か…ちゃ…ん?」
酷い顔をした、私にとっても幼馴染みと言えるその少女を、私はあえて笑顔で見送ることにした。
「悪いけど、私の一人勝ちになるよ。椿ちゃんはもう少し兄さんの事、知ろうとすれば良かったのに」
「……なに、言ってるの…?」
「…あ、そっか…椿ちゃんは知らないか」
確かに、椿ちゃんだけは知るタイミング無かったんだった。
せっかくの最後だし、教えてあげようか。
「…私と兄さん、
「…え…っ…?」
「そして私は兄さんの事が好き。椿ちゃんと違って……“15年間も片想い”してるけどね。誰かさんのせいで」
「…なに、それ…」
「あれ、分かんない?」
兄さんに拒絶されて、ちょっと思考が鈍ってるのかも知れない。
少しだけ時間をあげると、椿ちゃんはゆっくりと顔を青くしていった。
「…遥香…アンタもしかして……!」
「ごめんね、椿ちゃん。“妹”の私が兄さんの側に立つには、これが一番早かったんだ。まあ……椿ちゃんがちょっと…うん、淫乱過ぎて想定外は多かったけど…お陰で楽にはなったよ」
元々私は、兄さんが椿ちゃんを拒絶する事になる様に行動し続けたし、言葉を選び続けた。
椿ちゃんを拒絶したあとに、兄さんの胸には少しだけ穴が開く。
“妹”というしがらみがある私にとっては、そこを乗っ取るのが一番…兄さんに振り向いてもらう可能性を高められる。
…小さい頃から、ずっとこの時を待っていたんだから…その前に少しくらいは、言っても良いよね。
ずっ………と私の邪魔をしてた恋敵、なのに…私の事は眼中に無かったんだろうね。
「……ざまぁみろ、眼中に無かった奴に恋人取られるのはどんな気持ちかな」
「…クズ」
「拉致
好きな人の側に居たいのに、その人の周囲やその人までも傷つけてたら意味無いって。
私はこれから、その好きな人を慰める事になるんだけど。
……泣いてる兄さんを慰めるのは、これで二回目…だっけ。
タイミングを間違えない辺り、私は結構運も良いのかな。
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