第72話 祢音
帰宅後、夕方頃になってから宣言通りに祢音が荷物を持って家を訪ねてきた。
ある程度家のことは知っているだろうが、改めて遥香に案内を受けている祢音を見て、キッチンで俺の隣でカツオの柵を切っている母さんが呟いた。
「…去年までだったら、あんな姿想像もしなかったわね」
微笑んでいたのに、突然物悲しそうになった母さんの表情を見て思わず俺も言葉を投げかけた。
「『見ようともしてなかった』とか言わないでよ。今を見てるんなら、遥香はそれで嬉しいだろうし」
「……そうね」
苦笑いを見せた母さんに、ついでに小言をぶつける。
「あと、見るのは良いけど指切らないでね?なんか見てて怖いから」
言ってる俺は大量に切り過ぎたネギにどうしたもんかと視線を落とした。
薬味の量じゃねえってこれ。
「凛華それどうするの?」
「…んー…ネギ油でも…」
「兄さん」
「ん…なに、どうした?」
机を挟んで声をかけてきた遥香。
その隣で今更ながら祢音が母さんに挨拶する。
「あの、ありがとうございます東雲さん。突然無理な話を聞いていただいて」
「あら気にしないで。前から遥香が友達連れてくるなんて…」
遥香は二人のやり取りを少しだけ眺めてから、俺に目を向け直した。
「兄さん、ちょっと部屋来て」
「…分かった」
珍しく妹の表情から少し真剣さが見えたので、彼女の後ろをついて行った。
遥香の部屋に入ると、これまた珍しく深刻そうな表情でスマホの画面を見せてきた。
「……なにそれ?」
「ユリに祢音のことバレてめっちゃうるさいから、兄さんちょっと対応して来て」
「えぇ…いや、ほっとけよ…。祢音もなんか言ってたけど、どうせバレるなんてわかってたんだから」
「兄さんが適当言えば収まるから行って来て。じゃないとあっちから来そうだし…」
と、話してる内にインターホンが鳴った音が聞こえてきて、遥香が軽くうなだれた。
「……母さんなら間違いなく夜食べて行きなって言うよな」
「言うと思う。私の友達来るとうれしそうにするから」
「横で見てると母さんも、ちゃんと俺達の親なんだなって思うよ」
「…なら、兄さんも今度瑠衣君連れて来たら?お母さん喜ぶかもよ」
………瑠衣“君”……?
「…兄さん…?」
突然理解できない単語が飛んできた様な気がする。
瑠衣は確か、遥香ちゃん…と呼んでいた筈だ。
瑠衣の場合大抵の相手にそんな感じだから気にしたこと無かったが、遥香は滅多に顔合わせないくせにいつの間にそんな呼び方する様になってたんだ?
「……とりあえず如月どうにかするか」
思考を放棄して呟くと、困惑しながらの遥香も一応といった感じに頷いた。
「えっ…?うん、そうしよ」
…で、結局一緒に夜ご飯食べてるのかよ。
こうしてると如月って本当に可愛らしいんだけど、どうもそれ以上の感想が浮かんでこない。
小動物を愛でる感覚なんだろう。
俺は多分この子を恋愛的な観点で見ることはない気がする。ちょっと気の毒ではあるけど…。
「……祢音」
「はい」
「遥香と風呂入るのは止めとけ」
「…はい?」
遥香は誰かと風呂入る時に全力でいたずらしてくるから。
ギリギリ許せるラインを普通に超えてくるから。
「…リン先輩はハルとお風呂入ってたんですか…?」
「中学までは普通に」
「…そうですか」
「なんなら祢音は俺と入る?」
「「「は?」」」
………そういう冗談は許されねえのかよ。
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