第73話 秘密
皆が寝静まった深夜、俺は一人キッチンで冷蔵庫を漁っていた。
帰ってきてから作っていたプリンがきっちりと冷えた頃だろう。
「……凛華先輩…?」
不意に聞こえてきた少し低めの声。
今この家にいる人で、俺をそう呼ぶのは一人しか居ない。
「よう祢音、こんな深夜にどうした?」
「いえ…。トイレに起きたら、キッチンが明るかったので」
普通に生活していたらまずお目にかかることは無いであろう、祢音のパジャマ姿にどことなく背徳感を覚えながら…彼女にカップとスプーンを見せる。
「食べるか?」
「……いえ、止めておきます」
「そっか」
流石にここで自制する女の子の前で一人でプリン食べ始めるのは人の心が無いよな…。
「…寝ないなら、少し話しませんか?」
「良いよ」
祢音のお誘いに頷き、少し遅れてソファに向かった。
照明をつけなくても良いほど明るい月明かりが入ってくる部屋、彼女の前にホットココアを置いて隣に座る。
「…友梨奈、かなり不満そうなまま帰っていきましたけど、放置で良いんですか?」
「まあ、あの子からすれば今この状況が羨ましいんだろうな…とは思う。客観的に見て、自分の好きな人が、自分と仲の良い同級生の女の子と深夜に二人で話してるとか、嫌で仕方ないし」
「言葉にするとそう…ですね」
「例えばだけど、君の好きな男が朝比奈さんあたりとイチャイチャしてたら気に入らないだろ」
かなり適当な例えばだった気がするが、祢音は小さく笑うとさり気なく俺の手を握った。
「案外シャイな友梨奈はできませんからね、こういう事は」
「…君は割とすんなりやるよな。膝枕とか」
「受け入れる先輩も先輩じゃないですか?」
「そりゃ、美人な子に膝枕してもらえるチャンスだったら受け入れるだろ」
今だって急に「美人な子」とか言ってもクスッと微笑むだけで言及はしないからね。
こういう対応してくれる子が個人的には付き合いやすい。
「でも、凛華先輩はこういう話…私にしかしませんよね」
「君は本気にしないからな。冗談が通じるし、乗ってくれるから話してて楽しいんだよ」
「初めてですよそんな事言われたの。でも…家のことを知ると、皆遠慮しちゃうので…。私としても、友梨奈達や凛華先輩といる時間は好きです」
屈托のない「好きです」という言葉。純粋で無垢な表情からは邪さを全く感じない。
そんな彼女を見て、俺は意識するでもなく呟いた。
「……似てるな」
「…えっ…と…?誰にですか?」
そう聞かれて、すぐに首を横振った。これは思っても口に出す様なことじゃなかったからだ。
「ごめん、何でもない。本当に…忘れて…」
「先輩」
グイッ…と体を近付けて来た。
真実を問う様にジッと瞳を向けてくる。
「………ごめん、一瞬昔の椿に似てるなって思っちゃった」
「…昔ってどれくらいですか?」
「……10年くらい前の…だな」
純真で美しい祢音の表情に、幼さを覚えた。
常日頃から人の悪や憎の感情を他人よりも目の当たりにしてるだろう彼女は、俺の知る限りで誰よりも“純粋”という言葉が似合う。
それこそ、幼い子どものように。
ただどこにでもいる子供達とは違う。
椿の様に、誰よりも特別感のある少女だ。
周囲の誰とも違う。普通、平凡、といった言葉からかけ離れている存在。
そんな面影を感じ取って、思わず呟いてしまったのだ。
「……先輩は本当に昔の黒崎さんが好きだったんですね」
「否定はできないな…」
返事を聞くと満足そうに一度目を閉じて、もう一度笑顔を浮かべた。
「私何となく、気付いてましたよ」
「…なにを?」
「凛華先輩が、私にだけ皆と違う態度で接してく事」
「それは……なんか、ごめん」
「特別扱いされてるのかと思ったら、私に元カノの面影を感じてたんですね」
「それはちょっと違う、俺が好きだったのは付き合う前の椿だったって気付いたから…」
特別扱いしていた、というのは否定し切れないかも知れないが。
「…なら」
祢音は近付いていた顔を離して、ぺたんとソファに座り直した。
そして握ったままの俺の手をゆっくりと胸元に引いた。
「……私とお付き合いしませんか?」
「…えっ……?」
まさかそんな提案をされるなんて思ってなかった。
その言葉の意味を理解したとき、他の誰かに言われた時には無かった高揚感を覚えた。
「ただ、誰にも言わない広めない、秘密の関係にはなってしまいますけど。それでも私は、凛華先輩の恋人になってみたいと、強く願ってます」
「………後悔するかもよ、そんな事言ってると…」
「そっちこそ、ここで頷かなかった事を後悔するかも知れませんよ?」
強気な言葉を返す少女は、いたずらっぽく笑うだけ。
彼女は「もしも中川祢音が東雲凛華に告白した時、どんな言葉を使うと成功するのか」を知っているかのようだった。
誰に何を言われると、関係値が変わるのか。
誰がどう言葉を紡ぐ事で関係が変化していくのか。
1か100かも分からない筈の可能性を全て見透かしてるかのようで、どことなく遥香と同じ香りを感じた。
きっと同じシャンプーを使ったんだろう、このエスパーもそれが原因だろうか。
「最近女たらしみたいになってるけど、それでも良いのか?」
「
そんな返しを聞いて、思わず笑ってしまった。
これは降参するしかない。
何よりも、中川祢音と恋人になるという状況に感じた事がない程の魅力を見出してしまった時点で、これは彼女の勝ちだ。
彼女が俺の態度に気付いた時点で、元々勝ち戦ではあったのかも知れないが。
「…祢音」
「はい」
「君の虜にしてくれて良いよ」
「でしたら、遠慮なく…」
重ねられた唇は甘い甘いココアの味に包まれていた。
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