第49話 幸先

 とある日、車の後部座席に遥香と二人並んで座っていた。


 俺と遥香は、母さんの休みに合わせてクラスメイトに連絡を入れて文化祭の準備を休む旨を伝えてあった。


 夏休みが折り返しに差し掛かる頃、家族三人で温泉旅行に行くことになっていたのだ。


 その道中、コンビニに寄り道していた時の出来事だった。


 それは偶然か必然か、眼の前に止まった車を見ると「……最悪」と遥香が愚痴を零し、俺は思わず頷いた。


「…気持ちは分かる、でもせめて、私の居ない所で言って」


 車から降りて来た雫がそう返して、その後ろから酷く気まずそうに雫達の母親が姿を見せた。


 運転席と助手席に座る二人はそれ以上に気まずそうにして、最早こちらを見てないが。

 とりあえず椿のそんな反応に、ホッとする俺と遥香だった。


 まあそれは良い。

 俺達の後ろで心を落ち着かせようと深呼吸をし続ける母さんを放置して、俺は雫達の母親に話しかけた。


小夜さよさん、久しぶりです。俺は正月以来ですかね」


 椿と雫という美少女姉妹の母親なだけあって、とても美人。アラフォーにそぐわない抜群のスタイルによる色気と、物腰柔らかい母性あふれる雰囲気を纏っている。


「そうねぇ…。娘達が色々と迷惑かけてるみたいで、ごめんなさいね、凛華。遥香もね」

「いえ…」


 遥香は昔からこの人の事を苦手そうにしてる。理由は分からないけど、察するにこの人の雰囲気だろうな。


 どちらかと言えばツンツンしてるからな、うちの母親は。遥香もどちらかと言えばそのタイプだし。


 ………そう言えばこの人16歳の時に椿のこと産んでるんだよな…。

 …まさかとは思うけど、椿が卓三さんの娘じゃない可能性があったりなかったり気の所為だったりするのか?


 なんて失礼極まりない思考を一旦頭から放り出し、俺は遥香とアイコンタクトを取ってから小夜さんに目を向け直した。

 一方で、遥香は母さんの腕を掴んで車に向かった。

 ここが駐車場で、立ち話をする様な場所じゃなくて本当に良かった。


「俺達、これから温泉旅行なんで…母さんが爆発する前に行きますね」

「…あんまり、家の旦那に熱い視線を送らない様に言っておいてね」

「盛大な誤解を生みそうですよ、その言い方だと」

「大丈夫よ、凛華はちゃんと伝えるもの」


 …正しい意味で伝えるけどさ。


「……俺が変な軽口言うようになったのって、多分小夜さんのせいだよ」


 言いながら俺も遥香の所に行こうとしたら、小夜さんにトントンっと肩を叩かれた。


「そうそう…凛華」

「…なんですか?」


 フッと微笑んだ小夜さんのその表情。

 雫や椿が俺に向かって見せる自然な笑顔と同じ。


 万人を魅了する姉妹の母親なだけあって、やっぱりこの人の笑顔も“美しい”という言葉がよく似合う。


 …昔の椿はこれくらい魅力的に見えたんだけどなぁ…。

 とか考えていると…


「雫の事…よろしくね、凛華」


 …なんて、小夜さんは酷く意味深な事を言った。


 困惑したのは俺だけじゃなく、そばで話を聞いていた雫もだった。


「えっ…お母さん?」

「……あの、どういう意味で……?」


 小夜さんはくすくすと笑みを浮かべて肩を揺らすだけで、そのまま店に入って行った。


「…なんかごめん、凛華」

「……いや、まあ…。うん、あんな人だったなそう言えば…」


 小夜さんの背中を見送り、雫に目を向けた。

 その瞬間、雫は俺の頬にキスをした。


「…よろしくって、多分こういう事」

「……あのさ…。…もう良いや、何でも無い」


 人目をはばかる事なくそういう事はするもんじゃないとか、椿とか卓三さんの前でそういう事すんなよとか。

 何を言ってもこいつには無駄な気がして来た。


 すぐ近くの車の中から感じる視線と殺気を意識の外へと追い出して、俺は踵を返した。


 多分、椿は卓三さんに似てて…雫は小夜さんに似てるんだろうな。

 根拠は全く無いが、何となくそんな気がする。


 ……この旅行、めっちゃ幸先悪いなぁ…。

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