第15話 白い小悪魔
さてそろそろ帰ろう、そう思って席を立つと正面に座っていた雫からクイッと袖を引かれた。
「もう帰るの?」
「…今帰らなかった泊まりになるだろ」
「泊まっていけばいいじゃないですか。どうせ徒歩一分で帰れるんだから」
確かにこの家とウチの距離はほんの僅か、彼女の言うように一分も歩けばすぐに辿り着くくらいに近い。
「なら帰らせろよ、俺夕飯まで世話になってんだけど」
「私の手料理美味しかった?」
「めちゃくちゃ美味かったけども」
なら良かった、と微笑む自称天才色白美少女。
案外雫は一人暮らしも普通にこなしそうだなと感じたし、それこそ徒歩一分で行き来できる距離に居るから何かあっても手伝えるだろう。
それはそうと敬語とタメ語ごっちゃごちゃだぞ、お前それで良いのか。
俺は気にしないけど、話してて違和感しか無いから統一して欲しい。
と、頭では考えながら踵を返す。
「…じゃ、帰るから」
「帰らせない。何を言ってるんですか」
今度は袖から手首を掴まれた。
「『何を言ってる』はこっちのセリフだ。帰るわ」
「退屈なんで一緒に居てください」
「そこは嘘でも『寂しいから一緒に居て?』って言えよ、同情心に語り掛けろよ、何を本音漏らしてんだ」
「嘘は付きませんから」
「…はぁ〜…全く仕方ない奴だな」
俺は雫の手を握り返して引き寄せて自分も後ろに下がる。
リビングのソファに転がり、ついでにギュッと雫を抱き寄せた。
「ほら、退屈なんだろ?これでどうだ?」
「……」
「……。おいせめてなんか言えよ。拒否される前提やってるんだよこっちは」
これだと俺がただ雫と抱き合いたかっただけになるだろうが、てか抱き心地良いなこいつ、色々柔らかい…。
「…ねえ」
「なんだ?」
「ちょっと、このまま居て良い?」
雫は俺の胸元に顔を埋めたまま小さな声で聞いてきた。
「別に良いけど…」
何故そんな事を…と思ったが取り敢えず頷く。
俺は不快じゃ無いし、寧ろなんかやましい事してる気分になる。決してそんな事は無い筈だ、やましい事は無い。椿じゃないからやらしい事もない。
しばらくの間、物音一つしない部屋の中でただ俺と雫の呼吸音だけが静かに響いた。
「…凛華」
「ん?」
「……久しぶり」
半日近く一緒に居て、やっとそれかよ。
本当に素直じゃないが、俺の記憶の中にいる雫はこれが一番しっくり来た。
「…久しぶり、雫」
白い髪を優しく撫でると、わずかに頬を赤く染めた顔を上げた。
「凛華は、覚えてる?」
「最後に会った時も、こうやってソファに転がって抱き合ってたよなって?」
先に言うと、静かに微笑んだ。
「…そこに椿が乗っかって来てワチャワチャして…。5年経ってまた、こうしてる」
「椿は今こっちに居ないけどな」
「椿と、私の居る場所が反対に変わったの」
「…ん…?」
不意に前髪を持ち上げられて、咄嗟に瞼を閉じる。
額に触れる柔らかな感触、目を開けるとすぐ近くに白い肌によく目立つ桃色の唇に視線を奪われた。
「…ここが椿の居た所。でも、私は遥香が今居る所も羨ましく思ってる」
「っ〜!」
ペロッと舌なめずりをして人差し指を濡らすと、そのまま俺の唇を優しくなぞった。
5年も経てば多少なりとも色気のある女性になるんだろうけど、これは流石に反則じゃないだろうか。
体が熱くなるのを感じて、思わず顔を背ける。
「幼馴染みで、妹で、恋人で。そう言う欲張りで贅沢な女の子…私なら凛華にとってのそう言う子になれるけど、どう?」
「…どう…って…」
「私は結構本気で、乗り気になってる」
「……俺の事、好きなの?」
凄く恥ずかしいことを聞いてる気がするが、雫は微笑みを崩すこと無くハッキリと言った。
「好きだよ」
「…なんっ…で…」
少し上擦った声で聞くと、雫は強く感情の乗った声で語り始めた。
「椿と違って顔を合わせる回数は少なかったけど…。凛華は私のことを椿と同じ、幼馴染みとして扱ってくれた。椿と私を同じ位置で見てくれた、唯一人だから」
俺が雫と会っていたのは本当に小さな時、それこそ物心がついたばかり頃から中学校に入る前くらいまでだ。
椿とその母親である小夜さんに誘われて、小夜さんの実家について行った。
当時は雫の、容姿や雰囲気から特別感のある少女だと感じたものだ。今もだが。
そんな彼女が椿と同じ様に懐いてくれたのが嬉しくて、偶にしか会えなかった雫の事をとても愛らしく思っていた。
そもそも雫だけ小夜さんの実家にいた理由が、昔はよく分からなかった。
その理由を知ったのは、彼女と会わなくなってから。
単純な話だ。
雫が小夜さんの実家に住んでいたのは、ご両親の配慮。
雫にとっては、大勢の目につく場所で生活する事が大きなストレスになるんじゃないかと心配しての事だった。
田舎の小さな学校で生活させる事で、雫の事情をよく知る人たちと長い期間の関わりを持たせた。
心身ともに成長するまで時間をかけて、今はこうして都会に出て行く事も認めた。
それを雫はどう思っていたのだろう。
雫は小さく息を吐くと、俺の膝の上に座ったまま話を続けた。
「中学二年…凛華は三年の時か。椿に、『やっと凛華と恋人になれた!』って自慢されて凄く苛々した。こっちは何年も会えてないのに…ってヤキモチ焼いて嫉妬してた!」
数分前とは打って変わって、椿の面影を感じさせる感情豊かな表情と声色。
「お母さんが私を思って実家に置いてのは分かるけど…そんな事よりも凛華の側に居れなかった事のほうが嫌だったの!だから、今度は私の番。
「…まだ…ね」
「ちゃんと、私の事見ててよ。絶対に惚れさせるから」
先回りで告白された挙げ句、これから好きになってもらう努力をします、という宣言までされてしまった。
雫は膝から降りて、俺の隣に座り直した。
「…取り敢えず、今日のノルマは達成ですが…せっかくですから泊まって行ってください」
「……えっ?ノルマって何…?」
どういう事なの?雰囲気がまた最初に戻ったんだけど。俺はなに、悪夢でも見てんのか?
俺の困惑なんて無視して、雫は三本指を立てた。
「昔みたいな行動をさせてる事、奥手な凛華兄さんに意識してもらう事、それと私の意志表明です」
計画的犯行だったもよう。
バッチリ手のひらの上で踊らされたんですが。
「……その敬語は結局なんなの?」
「困惑してる凛華が可愛いのでつい」
「…兄さん呼びはなんだったの?」
「遥香が羨ましかったので」
「………えぇ…?」
「あ、でも…一つ訂正」
「…?」
雫は思い出したように俺の方に顔を向けると、少し恥ずかしそうに頬を染めながら今日一番の満面の笑みを浮かべた。
「凛華の事は
…もうしばらく手のひらの上で踊らされるかも知れない…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます