第5話 キラキラ、ドキドキ、クラクラ

 星凛は落ち込んでいた。中間テストの点数が振るわず、母親にくどくどと叱られてしまったのだ。

 国語はどうにかなるけれど、それ以外の教科がどうにもならないのだ。暗記が得意ではないので、社会の点数が低くなる。年号だとか、何とか条例だとかが覚えられない。英語はスペルミスさえしなければ、文章問題は駄目でも、単語の記述で点数が稼げることもある。問題は、理科と数学。実験をしないのに実験方法の名称を答えろと言われても「何ですかそれ?」しか思い浮かばないし、何とかの方程式を使って計算をしろと言われても、その方程式の存在を覚えていたとしても、それの使い方をまるで覚えていないので計算が出来ない。この二教科は本当にこれからの人生に必要なものなのか?と考えてしまうくらいに苦手で、それを心配した母親によって、学習塾に通わされる羽目になったのだから。結局のところ、塾に通っていても、理科と数学の成績はそれほど上がらない。なので、もう諦めた方が良いと、星凛は心の底から思っている。


(パパや水沼のじいじやばあばは、女の子は勉強が出来なくても、可愛くて愛嬌があれば生きていけるからっていうのに。ウチは大丈夫だって言ってくれるのに、ママは学歴は大事だって言うばっかり。でもさ、ママは四年制大学じゃなくて、短期大学卒じゃん。それも全然有名じゃないところ。どーいうつもりでウチに学歴の話してくるんだろ?)


 中学三年生は受験を控えている大事な時期だからと口酸っぱく言われても、毎日毎日何かの点数をつけられることに怯えなくてはいけないなんて、息が詰まって仕方がない。真面目に学校に行っているのだから、休みの日くらいはゆっくりと休憩させて欲しい。

 そんな思いを抱える星凛は、やっと巡ってきた休日に、同じような思いを抱えているはずの友人たちと映画館へとやって来た。雑誌やテレビのCMで見かけて以来気になっていた恋愛映画はキラキラとしていて、甘酸っぱくて、ハラハラドキドキして、最後には彼氏彼女がハッピーになったので、女子中学生たちは大変に満足した。それからはお財布に優しいウィンドウショッピングやお喋りを存分に楽しんだ。


「楽しかった!家に帰ったら直ぐにコメするね!」


 少女たちは電車組とバス組に分かれて、解散する。電車組の星凛は、同じ駅で下車するという愛月あいると共に駅を目指す。だが、途中で愛月が「親がこの近くまで車で来てるっていってきたから、そっちで帰るね」と言ったので、星凛は一人ぼっちで目的の駅に辿り着いた。


「あ~あ、泥はねしてる。最悪なんだけど……」


 駅舎のガラス窓に映る自分を見て、手にしていた傘をそれに立てかけてから、何となく全身を確認してみる。昼頃まで降っていた雨は既に止んでいるが、そこかしこに水溜りが出来ていて、それらを避けて歩いてきたはずなのに、足元には無数の泥の点がついてしまっていた。

 折角可愛らしい服を着て、母親に髪を可愛くセットしてもらって、おろしてたての可愛い白のサンダルを履いて、恋愛映画を見て胸キュンして、恋バナを沢山して。日頃の鬱憤を忘れるほどの楽しい、嬉しい時間を過ごせていたのに、どうしてテンションが下がるようなことが起こるのか。

 意識していなかった疲れが出たからか、泥はねのせいで気が滅入ったからか、足が重い。それでも歩いて券売機で切符を買い、混雑している改札へと向かおうとした時だ。通りすがりの誰かが「ねえ、あっちにイケメンがいるんだけど!」と声を弾ませた。星凛は反射的に進路方向を変えて、イケメンを探そうとした。下がってしまったテンションを上げようとしてのことかもしれない。


(あ、二連木先生だ……)


 人々が行き交う駅の構内をくまなく目を動かしていると、改札から離れた通路脇に二連木が佇んでいるのを見つけた。桜の季節に見かけた彼はラフな服装をしていたが、今日はどうしたのだろう、畏まった服装をしている。物腰柔らかな大学生ではなくて、大人の男性に見えて、星凛はドキドキと胸を弾ませる。今度こそ声をかけようか、いや、やっぱり止めておこう、と、暫くもじもじとしていると、ふと――


『ウジウジしてるばっかりじゃ、チャンスが逃げていくだけだよ!そんなの勿体無い!』

『勇気を出して一歩進めば、キラキラした恋があっちからやって来るんだから!』


 先程見た恋愛映画の主人公の女子高生が言っていた脳裏に浮かぶ。

 ――そうだね、憧れて、見つめてるだけじゃ何にもならないね。

 星凛は何処から湧いてきたのかよく分からない勇気を胸に、泥はねのついたサンダルで一歩を踏み出して、憧れの人の前に立つ。


「二連木先生、久しぶり!」

「ええと……何方ですか?」


 声をかけることが出来て喜ぶ星凛とは違い、二連木は困惑した様子で彼女を見てきた。

 顔を覚えられていなかったショックで怯んでしまいそうになったが、勇気凛々の星凛はめげない。


「青春学習塾の中学二年生Bクラスにいた水沼星凛だよ!制服じゃなかったから分からなかったかな?」

「ああ……塾の生徒の……直ぐに思い出せなくて申し訳なかったね、星凛さん」


 忘れ去られてしまっていた訳ではないと分かって安堵した星凛は、更に二連木と言葉を交わそうとして、会話を続ける。


「二連木先生ってば急に辞めちゃうんだもん。みんな吃驚してたし、寂しがってるよ?」

「これから就職活動で忙しくなるから、どうしても其方に意識がいってしまって……塾の仕事が疎かになってしまうのが嫌だったんだよ」

「……そっかあ。でも、また会えて嬉しい」


 それも、二人だけで。それは、心の中で呟いて。


「こんな所にいるってことは、二連木先生は誰かと待ち合わせをしてるの?」

「うん。大切な人を此処で待っているんだ」


 そんなことだろうとは予測していたけれど、甘やかな笑みを湛える二連木の口から”大切な人”という言葉が出ると、胸がモヤモヤとする。”大切な人”の正体はきっと、あの衝撃のブスに違いないからと思うと、自ずと苛立ちが顔に出てくる。


「ああ、丁度来てくれた。にこさん!」


 嬉しそうな二連木の声に反応して、星凛は彼と同じ方向へと目を向ける。予想通り、此方に向かって歩いてくる”にこ”を見つけた。以前に見明けた時と、”にこ”の服装が違う。淡いグリーンのワンピースに、ヒールの高い白い靴を履いて、髪を綺麗にまとめて、化粧までしているということは、お洒落をしているということ。それなのに”にこ”は、決して美しくは見えない。可愛くもない。二連木はどうしてコレを選んでしまったのか、頑張って想像してみるが、正解の断片も見つけられず、星凛は不躾に”にこ”をじろじろと物色する。


「お待たせ、槐。……その子、知り合い?」

「塾で講師のアルバイトをしていた時に担当していたクラスにいた生徒さん。僕を見かけて、声をかけてきてくれたんだ」


 二連木が彼女のことを”にこさん”と呼んでいるのに対し、彼女は二連木を下の名前で呼び捨てにしている。とんでもないブスの分際でイケメンを呼び捨てにするなんてどういう神経をしているのか。星凛の幼い心の中で嫉妬の炎が燃え上がる。


「こんにちは、水沼星凛です!」


 勢いに任せて名乗ると、”にこ”がぎょっとして、星凛から目線を外し、考え事をする様子を見せた。だんまりを決め込んでいる”にこ”に勝ったと確信した星凛は追撃をする。


「挨拶をされたら返すのがマナーだと思うんですけど!?アナタ、大人ですよね!?」


 こんな簡単なことも出来ない大人なんて、どうかしている。幼稚園や小学校の時点でも習うことだし、家庭でも両親や祖父母に教わることだろう。

 未成年の苦情を耳にした大人の”にこ”は多分に面倒臭そうに息を吐いて、漸く真正面から星凛を見た。


「こんにちは。初めまして、媚山にこと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 ”にこ”の姓名を耳にして、今度は星凛が黙り込む。

 祖父母から聞いているので、星凛はその名前を知っている――異母姉のものであると。二連木のとんでもないブスのカノジョの正体は、異母姉だった。その衝撃は凄まじく、体がガクガクを震えるものの、意識は遠のいてくれず、星凛は死んだような目で虚空を見つめることしか出来なかった。

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