第16話:私娼窟
「旦那、まずは鍛錬をしていただきますが、残念ながらここでは手狭です。
近くの十万坪の田んぼか、寺社の境内で鍛錬していただくことになります」
「技が覚えられるのならどこでも構わんぞ」
おりょう母子にお土産の寿司と飴玉を渡して、浪人と梅一は部屋に入って今後の相談を始めたのだが、梅一は休むことなく働いている。
元々小まめな性格なのか、井戸から水を汲んできて手炙りに火を熾し、鉄瓶で湯を沸かして茶を入れながら話している。
浪人者は堂々とそれを受けて四畳半の板の間で待っている。
「うっわああああ、座頭の熊一だ。
人攫いの熊一が来やがった」
裏長屋にいる子供達が騒ぎ出した。
十を超えるような子供は一人もいない。
貧乏裏長屋の子供達は、寺子屋で最低限の読み各算盤を覚えたら、商家に丁稚奉公に行くのが普通だからだ。
長屋に残っている子供達は、丁稚奉公にも行けない小さな子ばかりだ。
そんな小さな子供達まで座頭熊一の悪行を知っていると言うのだから、よほど多くの娘や女房が熊一に攫われていったのだろう。
梅一は殺気を表に出すような事はなかったが、何時でも動けるように構えていた。
浪人者も用心棒の話しを思い出したのか、傾奇者のような柄の長い刀を、いや、長巻擬きを手に持った。
「やい、やい、やい、やい。
りょうさんよ、借りた金を返すのは人の道じゃあないのかい。
それを返さないと言うのは人の道に反するんじゃないのかい。
しかも目の見えない可哀想な当道座から借りた金を返さないと言うのは、余りにも人の道に反しているんじゃないのかい」
浪人者と梅一は部屋を出て長屋の通路から隣のおりょうの部屋を見た。
十二人の目の見えない者達と用心棒のほかに、検校がいた。
配下の盲人達の服装をみれば、彼らを利用するだけで官位を得る資金援助をしていないのは明らかだった。
だが熊一という座頭、いや、検校は華やかな服装をしていた。
紗紋の角頭巾を燕尾で飾り、紫衣をまとい、紫素絹白の長袴を穿き、手には両撞木の杖を持っている。
明らかに検校と尊称される服装なのに、その下劣な行いから座頭と呼ばれている。
「待っていただきましょうか、検校様。
その借金は私が肩代わりさせて頂くという話がついていたはずですよ。
それとも、検校ともあろうお人が、おりょうさんを私娼窟に売ろうとして、無理矢理連れ去ろうとしているんじゃないんでしょうね。
もしそんな事をするようなら、お恐れながら田沼様に訴え出てもいいんですよ。
町奉行様には鼻薬を利かせていても、あっしら町人の陳情でもお聞きくださる田沼様にまでは、鼻薬は利きませんよ」
これまで梅一が何を言っても動じなかった浪人者が、田沼と聞いた途端、わずかに肩に力が入った。
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