その3 これからのご飯

「とりあえず朝ごはん食べに行こう―――」


「とりあえず服を着てくれ……」


 どうも、俺と瑠璃川の価値観は相当ズレているようだ。

 服で自分の胸を隠すことより飯を優先する女子高生はいかがなものかと。


 俺も男の子だ。雑誌のグラビアでアイドルの上乳とか下乳はよく見てるから、ある程度耐性はあるけど、立ち上がって万歳するように両手を広げている瑠璃川の胸はさすがに目の毒だ。

 立ち上がった拍子にぷるんと揺れたあれはもはや凶器。

 しかも全体的に綺麗な形をしていて、それなりにボリュームがあるから余計にタチが悪い。

 見まいと目を逸らそうにもどうしても見てしまうのは男のさがなのだろうか。


「でも、着替えがないよ?」


「これ着て」


 首を傾げる瑠璃川に俺は自分のTシャツを渡す。

 だから、人のTシャツの匂い嗅ぐのやめてくれないかな。

 それはちゃんと洗濯してるやつだから。


「じゃ―――ん!」


 俺のTシャツを頭から一気に被ったあと、瑠璃川はぐるっと一回転してみせた。


「これがいわゆる彼シャツってやつかな」


「それはワイシャツのことだ。今はTシャツだから違う」


「ぶかぶかだね」


 俺の指摘を無視して、瑠璃川は自分の手を隠しているほど長いTシャツの袖をぶんぶんと振っている。

 その仕草に、俺は思わずドキドキしてしまった。ほんと、華奢な体なんだな。俺が着ると余裕で手が出るのに―――


 まさか学校一の美少女が俺の服を着て、「彼シャツ」なんて言ってくるとは思わなかった。

 瑠璃川に興味を持ってなかったのは、彼女とは別の世界の住人だと思ったからで、こうやって彼女と会話してみたら、案外普通の女の子なんだなって認識させられた。


「それじゃ、朝食を食べに行こうか―――」


「待て!!」


 俺のTシャツを着ただけで、下は相変わらずパンツ丸見えの格好のまま、瑠璃川は玄関に向かおうとしたから、俺は慌てて止めた。

 しかも、ブラつけていないせいで、彼女の双丘の先端はTシャツ越しでもその存在を確認できる。

 今どきの女子高生はみんなこんなに開放的なのだろうか。

 俺は少年漫画の主人公じゃないから、「なんて格好してるんだ!」と言いながらわざとらしく目を背けたりしないけどね。


「えぇ―――お腹空いたよ!」


「その格好で外出しようとしているのか!? 朝食は俺が作るから、大人しく洗濯物が乾くの待ってろ」


「ご飯作れるの?」


「こっちは2年も一人暮らししてるんだよ! 昨日は疲れたから、仕方なくコンビニの弁当にしただけで……」


「ふーん」


 なぜか、瑠璃川は軽く鼻を鳴らした。

 俺の言葉を信じてないのか。だとしたら、めっちゃくちゃ美味しい料理を作って、その舌を唸らせてやるまでだ。


「これからさ、わたしがご飯作るよ?」


「え?」


 瑠璃川が何言っているのか咄嗟に理解できなかった。


「毎日美味しいもの作るから、任せて!」


 どうやら、瑠璃川はこれからの2人のご飯を

彼女が作ると言っているらしい。


「悪いよ、そんなの」


「なんで?」


「俺、あんまりに人に甘えたことないから……」


「甘えたことがないなら、これから甘えればいい。甘え方が分からなかったら、これから勉強すればいい」


 正直、誰かになにかしてもらうのはかなり気が引ける。

 両親がいなくなってから、俺は余計に人と距離を保つようになった。

 だから、誰かに甘えたことはもちろん、お願いを言ったこともない。


 瑠璃川の提案に、俺は喜びよりも戸惑いが勝っていた。彼女にご飯作ってもらうのは、なぜか悪いことのように思えて仕方なかった。

 なのになぜ、お前はまたこうして、俺の心を揺さぶるような言葉を言うのだろう……


「どうしたの? 伊桜くん、目が赤いよ?」


「……寝不足」


「わたしという抱き枕がありながら、寝不足とは何事だ!?」


 怒るのそこですか。

 何気に人間やめてますよね。

 泣きそうになったのを寝不足と誤魔化したら、なぜか瑠璃川の地雷を踏んだみたい。


「それだよ! 抱きつかれていたから、暑くて眠れなかったんだ」


「くっ! 学校一の美少女の抱擁を迷惑そうに言うなんて伊桜くんの思考回路はほんとに根本的に作り直す必要があるよね!!」


「だから、余計なお世話だって」


 暑い以外は、悪くなかったよ……


「今から朝食作るから、眠いなら伊桜くんは2度寝でもして待ってて?」


「ほんとに、甘えてもいいの?」


 瑠璃川は俺の肩を推して、無理やり俺を布団の上に寝かせた。

 その無駄にセクシーなパンツを隠して欲しいのは俺のわがままですか。

 眠るどころか、覚醒しちゃいそうだ。

 でも、やはり、人に甘えるのが気が引けるから、俺は一応確認してみた。


「こうやって女の子に甘えるのも、伊桜くんの恋愛描写に役立つと思うよ?」


 あくまでも俺の恋愛描写がよくなるためにやっているわけか……

 寂しい言い方だが、これで気兼ねなく彼女にご飯を作ってもらえる。

 彼女はなぜか俺の作品に恋していて、俺のリアリティの欠ける恋愛描写をなんとかしようとしている。

 俺はというと、自分でご飯作らなくて楽というか、むしろ女の子の手料理が食べれて嬉しいというか。

 こういうギブアンドテイクのような利害が一致した関係なら、確かに俺は気兼ねなく甘えられそうだ。


「それに、擬似恋愛の一環として、彼女の手料理を食べるのもすごい大事なイベントだと思うんだよね〜」


「擬似なんだよな! 彼女というのはあくまでも擬似の彼女なんだよな!」


 ほんと、朝から瑠璃川にドキドキさせられっぱなしだ。

 寝相の悪さといい、俺のTシャツを着た時の緩んだ顔といい、俺の知っている学校一の美少女―瑠璃川羽澄のイメージとは随分と違った。

 

「そうだよ、こうやって同棲してるのも毎日擬似恋愛するのに便利だから―――わたしは伊桜くんの作品を1番素晴らしいものにしたいから」


 そう言う瑠璃川の目は本気だった。

 もし彼女の双丘の先端が尖って、Tシャツ越しでもその存在が分からなければ―――もし、彼女はパンツが丸見えの状態じゃなければ、今の彼女の姿は絵になっていたのだろう。

 彼女はこのことを自覚しているのだろうか。これはギャップじゃなくて、アンバランスだと俺は思うんだよね。


「……ありがとう」


「ただし―――」


 俺のためにここまでしてくれるなんてと少し感動して、素直にお礼を言ったら、彼女は急に大声を発した。


「―――わたしもただで毎日ご飯を作ってるわけじゃないんだよね。今日の晩飯は焼肉ね! もちろん伊桜くんの奢りで!」


「そんなことなら、いいよ……でも、ちゃんと外に出れる格好に着替えるのが条件だから」


 何を言い出すのかと思ったら、焼肉が食べたいってことなのか。

 それにしても、何気にすでに毎日ご飯を作っているような言い方。

 そういうのは1ヶ月くらいちゃんと毎日ご飯作ってからやっと言えるセリフだと思うけど、違うかな。




「やい! お肉がいっぱい!! でもさ、伊桜くん、わたしこんなに食べられないよ?」


「なに全部1人で食べようとしてるんだよ。半分は俺のだから」


 夜、瑠璃川にちゃんとした格好に着替えてもらってから、俺らは近所の焼肉屋に来た。

 そして、肉が運ばれてきたら、彼女はいきなりドン引きするような発言をしてきた。

 ナチュラルにテーブルの肉を全部食べようとするところ、瑠璃川はまたもや俺の彼女へのイメージを覆した。

 俺の作品が良くなるために、同棲までしてくれたから、献身的だと思えば、案外エゴイストなのかもしれない。

 そもそも、俺の作品を良くしたいと同棲してきたのも彼女のわがままなんだよね。


「それにしてもやはり肉の量って多くない? とても2人分だとは思えないよ―――」


「大丈夫。焼肉を食べる時の俺の胃はブラックホールだから」


「あはは、なにそれ? うける」


 実際、焼肉は俺の数少ない好物だから、肉がいくらあっても食べ切れる自信はある。

 にしても、うけるって、俺は至って真面目に話してるんだけど。


「俺ってなんか変なこと言ったのかな?」


「あははっ、そのどうしようもない鈍感さに乾杯!!」


 そう言って、瑠璃川はメロンソーダの入っているコップを持って、俺のコップに当ててきた。

 彼女のその無邪気な素振りを、俺は可愛いと思ってしまった。

 でも、なんかバカにされている気がするけど、気のせいだろうか。




「ねえねえ、スープも注文してもいい?」


 肉の量が多すぎると言っておきながら、平然と半分以上平らげてから、瑠璃川はスープも飲みたいと言ってきた。


「なあ、その華奢な体のどこに、さっきまで食べた肉を保管する場所があるんだよ?」


 実際、瑠璃川のお腹の大きさは肉を食べる前とまったく変わらない。

 女の子の体の構造ってどうなってんのだろう。

 学校では見てないけど、彼女はいつもこんなに大食いなのかな。そういう噂は聞いてないから、違うとは思うけど。

 ということは、今の瑠璃川を知っている男子って俺だけなのかな。

 そう思うと、なぜか心が暖かくなった。


「華奢って……急に褒めると……照れるから……」


 なぜか、俺の質問に、瑠璃川は体をもじもじさせはじめた。

 胸とパンツを見られても平気だったあの瑠璃川が―――

 ほんと、彼女の価値観はよく分からない。


「……ねえ、スープ注文するよ?」


「あっ、うん」


 瑠璃川はちっちゃい声のまま、話題を戻した。


「1人じゃ飲みきれないから、伊桜くんも半分飲んで?」


「……うん」


 だから、やめろって。

 お前が何も気にしてなかったから、俺は朝堂々としていられたのに。

 こうして、照れられるとこっちまで調子が狂う。




「はい、あーんして?」


「自分で飲めるって」


「ダメだよ、擬似恋愛しないといけないから、わたしが飲ませないと意味がないじゃん」


「わ、分かったよ」


 店員がスープと共に、茶碗2つ置いてくれたから、自分で半分よそって飲もうとしていたところに、瑠璃川はレンゲをふーふーと冷まして、俺の口の前に持ってきた。

 擬似恋愛なんだから、こっちが感情を押し殺して、ただシチュエーションを覚えていけばいいと思っていたけど、案外それが難しい。


 今にも心臓が飛び出しそうなくらい、俺は不覚にもドキドキしてしまっている。

 改めて見ると、瑠璃川の目はほんとに綺麗だ。

 整った二重に、長いまつ毛。そして宝石のようなキラキラしている瞳―――どれもすごく美しい。


「どう? 美味しい?」


「うん、たまごの栄養素とわかめのエキスが溶け込んでいて美味しいよ」


「あはは、うける」


「だから、変なこと言ってないだろう!?」


「伊桜くんは食レポとかやったら人気出そうね〜」


 そう言って、瑠璃川は満足そうに俺が口に含んでいたレンゲでスープを飲み始める。

 これって、完全に間接キスだよね……瑠璃川、お前はなんでまたそうやって俺の心をまさぐってくるのだろう。



 焼肉のあと、俺らはスーパーに寄って、食材をいっぱい買ってから、家に帰った。

 お菓子が袋に沢山入っていたが、気にしないことにした。

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