第十七話 メイフェア
エトアルの部屋には誰もいないようだった。九重が呼び鈴を押しても応答がない。
「また詰まってるね」
ソラが不穏なことを言い出した。
「やめろ。どう考えても留守なだけだろ。ニココみたいに無断欠席してたわけじゃない」
「ふーん」
ソラはつまらなさそうだ。宇宙生まれだからといってプライバシーというものを知らないわけじゃないだろうに、と九重は言いたくなる。だが、ソラがどんな家庭環境で育ったかなど、九重が知る由もない。もしかしたら狭い船室に家族みんながひしめき合うように暮らしていたかもしれないのだ。
「先に寄居さんの部屋に行こう。中条さんはそのうちに帰ってくるかもしれない」
「わかったー」
銀機高が物騒なことに巻き込まれているというのに、ソラはどこか楽しんでいるようで、まるで興味なさそうでもある。
ネモローサ寮は円形の塔のような構造をしている。エトアルの部屋から中庭を挟んでほぼ向かいにメイフェアの部屋はあった。廊下を歩いていると何人かの生徒とすれ違うが、とくに変わった様子はない。今のところ、異変はキャプテン科に限られているようだった。いざコトを起こすときまでは秘密にしておくのだろう。ニココが廊下は安全だと言ったのは、廊下を歩いている一般生徒の前で仕掛けてくることはないと踏んだからだ。
九重がメイフェアの部屋の呼び鈴を押すと扉は開いた。
「これはこれは布川さま、ソラさま。ごきげんよう」
扉から入ってすぐのリビング中央にあるテーブルの前にメイフェアが座っていた。
二人が進み出ると九重の死角になっていた両脇の隅から影がゆらめき、二人のタテ耳長人の男が現れた。一人は背が高く細身で、一人は背が低くがっしりしている。銀機高の制服ではないが、二人とも何かの制服のようなコスチュームを身にまとっていた。
「その二人はわたしの近衛です。気になさらないでください」
メイフェアはそう言うと微笑んだ。二人の近衛は押し黙ったまま二人分の椅子を引いた。
「さて、何の御用でしょうか」
メイフェアは変わらず微笑んでいるが心中は笑っていない。九重にははっきりとわかった。
「なんか人間至上主義? っていう人たちがキャプテン科にいっぱいいて、人間じゃない人たちをどこかに仕舞い込んじゃったんだって。で、エトアルちゃんやメイフェアちゃんも危ないって思って。それで来ました」
九重が何から話そうか迷う間もなく、ソラが一気にしゃべった。
「……ニココが休んだのは逃げてきたキャプテン科のルーマンの生徒を匿ってるからなんだ」
九重は、いっしゅんリュンヌの話をするのを躊躇した。メイフェアがどっちの側なのか、実のところ定かでないからだ。駆逐されようとしているのは実はヨコ耳長人や鬼巨人だけという可能性はある。だがニココはエトアルとメイフェアの二人を訪ねろと言った。それを九重は信じた。
「……なるほど、関川さまという方が何やら企んでおられる、と」
メイフェアは九重の話を聞くとうなずいた。すると、座っている九重たちの後ろに控えていた男の背が高い方が携帯端末を取り出し、操作し始めた。そして、しばらくすると言った。
「今宿に緊急コールをかけても応答ありません」
メイフェアは深くため息をついた。
「先手を取られてしまいましたわ。キャプテン科の今宿にリゲルの生徒をまとめてもらうように依頼したところでしたのに。それにしても、その関川さま、キャプテン科をまとめるのが早すぎますわ。いくら人間が多数派だといっても布川さまのように異星人好きの少数派もいらっしゃるはずですのに」
そう言うと、メイフェアは九重の手をとろうとした。九重はビクッとして手をテーブルの下に隠した。
「それに、入学式までは誰がどの科に合格したのかわからない。わたしなどはみなさまのお顔をしげしげ眺める趣味はもちませんので、今宿がキャプテン科に合格したのを知ったのもついさっきですのよ。それもこの二日、この二人を使って調べてようやくですわ。会ったばかりなのに人間というだけでそんなにうまくまとめられるものでしょうか」
メイフェアは指を頬に当てて首を傾げた。
「人質でも取られてるんじゃないのー?」
ソラがあっけらかんと言った。
その瞬間、九重の背中に冷水を浴びせられたかのような感覚が走った。
人間なら言うことを聞かざるをえない、人質。一つしか思い当たらない。
それは地球だ。
もちろん九重にも賀恵、八重、武吉という家族がいる。
「動くな」
九重が緊張に耐えられなくなり身をよじった瞬間、首筋に何か硬いものが当てられた。鍛え上げられた男の指だ。九重の細い頸骨などすぐに手折られてしまうだろう。
「あらあら。舟橋、おやめなさいな。無礼ですわよ。その方は地球のプリンセスなのですから。地球を守るためなら何でもするのは当然。ですがわたしに危害をお加えになるとは限りませんわ。現にキャプテン科の現況を教えてくださいましたし。もし布川さまがおいでにならなければさらに後手にまわることになりましてよ。どうもリギルが追い込まれつつあるのは確かなようです」
メイフェアは立ち上がった。
「布川さま。このたびはまことにありがとうございました。ですが、一つお聞きしたい。あなたは、地球と平和のどちらをとりますか」
そんな質問、九重には愚問だった。
「地球と宇宙の平和だよ」
九重は毅然と即答した。ソラはそんな九重をじっと見ていた。
「……よくわかりました。さすがは地球のプリンセス。リギルの王族にお迎えしたいほどですわ。オトコでなければ」
ケンタウリ主星国は連合王国だ。そのなかで最大の経済力を持つリギル王国は女系に王位が継承される。
「ですが、人質が地球なら、人質のためにわたしたちと敵対することもありえますわ。残念ですが、ご一緒はできませんわ」
「それは違うよ、メイフェアちゃん。九重もわたしもニココちゃんに言われてここに来たんだよ。ニココちゃんはメイフェアちゃんが協力してくれれば人質を解放できる、つまり解決が早いとみてるんだよ」
ソラが熱っぽく訴えた。しかし、メイフェアは首を振った。
「わたしは可能性を問題にしているのです。ご家族が地球におありなのでしょう。わたしが逆の立場で人質に危害が加えられそうになったらと思うとどうしても不安なのです。弱いわたしをどうかお許しください」
メイフェアは深く頭を下げた。だが、顔を上げると違う声音ではっきりと言い捨てた。
「ニココさまはヨコ耳長人に雇われになったのでしょう? ヨコ耳長人がわたしたちと敵対する可能性は高いです。布川さまとソラさまがニココさまのお味方であるというのなら、ヨコ耳長人をそこに入れた時点でご一緒はいたしかねますわ」
「そんなにルーマンが嫌いなのか」
九重は星間関係に関心がなかった。だから、祖先を同じくするといわれているが、一方は武断政治で地球との戦争に突入し、一方は中立を維持して国力を維持したルーマンとケンタウリが永く遺恨を抱えていることを知らなかった。
「嫌いなのではありません。敵対する可能性が高いと申し上げているのです。申し訳ないのですが、わたしたちには急ぎでやらなければならないことがあります。お引き取りくださいませ」
もはやメイフェアにはとりつくしまもなかった。二人の近衛も無言で九重とソラに圧力をかけていた。
「あっそ。行こう、九重」
ソラはまるで友達と遊ぶ約束がつまらない理由で前日にキャンセルされたかのような冷たい声を出すと、九重と一緒にメイフェアの部屋を退出した。
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