第三話 宇宙港

 九重は眼前にそびえる軌道エレベータを見上げた。軌道エレベータとは、惑星の静止軌道上まで物資や人員を運ぶ移動手段で、スペースシャトルなどのようにロケットで打ち上げるよりも格段に安いコストで宇宙空間への出入りを可能にする。


 北日本に軌道エレベータはない。最寄りの軌道エレベータはかつて中国大陸とよばれたところにあった。


 軌道エレベータの動作には莫大な電力が必要だ。だから乗るのにも莫大な料金がかかる。だが、銀河機構高校の生徒には、地球政府が様々な便宜をはかってくれる。銀河的エリートに各種サービスを提供しておいて損はない。いやむしろ、便宜を提供せずに覚えが悪くなるほうが困るのだ。つまり、九重の交通費は地球政府が出す。


 軌道エレベータの乗客とその関係者が一緒にいられるのは、軌道エレベータの手前百キロメートルにあるゲートまでだ。そこからは専用車両で軌道エレベータまで移動する。


「イヤになったらすぐに帰ってきなさいね」

「なんでもやってみろ!」

「お兄ちゃん、銀河最高のプリンセスになってね。くすくす」


 八重や武吉、賀恵から激励? を受けると、九重はアテンドしていた地球政府の係官に見送られ、軌道エレベータに向かう車両に乗り込んだ。


 遠近感が狂ってしまうほど、軌道エレベータはとてつもなく大きなタワーだ。そのふもとは多くの人々が行き交う巨大なロビーになっている。


 地球の静止軌道上まで移動するゴンドラ、あるいはクライマーと呼ばれる物資・人員輸送用軌道車両の発車時刻を待つため、一人になった九重がぼんやりとロビーにたたずんでいると、後ろから声をかけられた。


「もしかして、銀機の新入生?」


 ふだん、軌道エレベータの利用者に年少者はいない。宇宙船や宇宙港に用事があるのは仕事をもった大人がほとんどだ。だから、この時期にロビーにいる十代のほとんどが銀河機構高校の生徒と言っていい。九重に声をかけてきたのは、同年代にしてはでかい図体の男子だった。


 いかにも体育会の体型に若干気圧されつつも、九重はできるだけ気安いかんじで答えた。


「そうだけど。ってことはきみも?」


 ゲートで家族に別れを告げたとき、同じような家族連れがあちらこちらに見えた。だが、働きに出る親を見送るグループがほとんどだった。こんな近くに銀機の新入生がいるとは思わない。


「もちろん。ぼくはパイロット科の小坂蒼龍。よろしく」


 なるほど、パイロット科には体育会系がうかるわけね、そりゃ自分には無理か、と九重は思った。九重の体育の成績は十分に神童クラスだが、九重に体育会系だという自己認識はない。線の細さはどうにもできなかった。


 小坂は屈託のない笑顔で聞いてきた。


「で、きみは何科なの? キャプテン科?」


 なるほど、銀機七科のなかでも花形、キャプテン科なのかと問えばカドを立てずに何科なのか聞くことができる。なかなかのリテラシーだ、と九重は思った。だが小坂の予想は超えている。


「おれは布川九重。プリンセス科だよ」

「え? 冗談でしょ」


 九重が黙って合格通知を見せると、小坂は驚きでいっしゅん固まった。


「ちなみに、おれはオトコだ」

「凄いね! 本当にあったんだ。伝説のクラス!」


 小坂の興奮は本物だ。プリンセス科のインパクトの前にはオトコでも合格するということなどたいしたことではないかのようだ。


「ちなみに、おれの第一志望はパイロット科だったんだ」


 少しは目の前の人物とのあいだに接点をもちたい。でないと話を進めにくい。それに、第一志望がプリンセス科だったとは思われたくなかった。


 小坂は、いきなり自分の科が第一志望だったと告げられ、照れ笑いした。


「あはは。光栄だね。プリンセス科なんて願書に書く場所なかったしね。第一志望がプリンセス科なわけないか。でも、願書もないのに合格なんて、どういう理屈だろ」


 小坂の疑問はもっともだった。だが、そもそも考査自体がブラックボックスなのだ。


「まったくわからない。おれも突然、こんな科の合格通知が来て驚いたんだ。だが、貴重な合格通知だからな。よくわからんが入学することにした」


 小坂は親しみやすそうな笑みを浮かべた。


「もちろん、ぼくも第一志望は違うよ。第一志望はキャプテン科」

「そりゃ凄い」


 九重は驚いた。目の前の体格に恵まれたおぼっちゃんふうのひとの良さそうな男子が七科筆頭の科を志望していたなんて。だが、その驚きはすぐに掻き消えた。


「いや全然凄くないよ。だって、試験がないブラックボックス考査なんだからさ。一番いいとこ書いてみるのはふつうだよ」

「でも他校と併願できないだろう」

「浪人上等で何年かサイコロ振れるだけ振る。ぼくもそうだけど、周りのみんなもそうだよ。だいたい三から五年くらいかな。サイコロ振るのは。ぼくは三回目で行けたけど」

「へ、へー……」


 九重は初めて知る「常識」にまたも驚いた。確かに、完全ブラックボックスならそうしたほうがいいかもしれない。だが、三から五年も浪人できるものだろうか。周りにはそんなクラスメイトはいなかった。いや、そもそも銀河機構高校に願書を出そうとする者が周囲にいなかった。


 金があればそんなヤツもいたかもしれない。九重は、自分の置かれていた境遇に気づかされた。誰もが自分のように両親が金にならない仕事をしているわけではないのだ。


 無言の九重を見つめながら、しばらく合格通知を覗き込んでいた小坂はふたたび驚いた。


「まさか、きみ、現役ストレート!? すごいね!」

「まあね。つまり、年下です」


 プリンセス科よりはすごくないだろうよ、と九重は思った。


 そのとき携帯端末からアナウンスが流れた。そろそろ集合時刻だ。


 ゴンドラといっても、数百人の乗れるカゴだ。そんなカゴが一定間隔でいくつも並んでいる。ほかのカゴにも銀機の新入生が乗っているはずだ。中国大陸にある軌道エレベータはその一基なのだから。乗客に対する銀機生の割合と待合時間の短さを考えれば、たった一人とはいえ出会えたのは奇跡に近い。


 その貴重な一人と座席が遠く離れていた九重は、自分に割り当てられたシンプルなデザインの座席でシートベルトを締めた。軌道エレベータは重力制御でほとんど揺れないし移動時間も一瞬だ。だが、シートベルトは念のために必要ということらしい。席についてからのほとんどの時間は、これから始まる寄宿学校のパンフレットの精読に使われた。





 音もしない一瞬の後、九重たちは静止軌道上についた。重力制御のため、みな、ふつうに歩いたり、車両に乗ったりだ。


 軌道エレベータの先から宇宙港までは、宇宙リムジンで向かう。軌道エレベータは大陸ごとにあるが、地球の宇宙港は一つだけだからだ。






 宇宙港は、銀河系各所に出向く宇宙船が集まる。人間が圧倒的多数を占める地球の宇宙港でも異星人は多い。異星人はさまざまな姿をしている。多いのは人間型で、耳が長いタイプだ。


 「おのぼりさん」は、まずは異星人にみとれてしまうのですぐにそれとわかる。九重も例外ではない。


 九重がリュックを背に辺りを睥睨へいげいしていると。


 ドン!


 今度は誰かが後ろからぶつかった。リュックのおかげか九重には衝撃はない。だが、体重が軽いのか、ぶつかったほうは尻もちをついていた。


「いった〜い……え。人間!? リュック星人かと思った。ごめんなさい」


 やはりリュックを背にし、フード付きコートにスカートという出立ちの少女のような姿が九重を見上げていた。

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