第二話 家庭の事情

 とりあえず、九重は家族と相談することにした。


 通知は自宅の居間で開封した。木造モルタル二階建て。宇宙船で異なる恒星系を行き来する世の中でも、そこはそれほど変わらなかった。もちろん都会の金持ちはそんな家には住んでいないだろうが。


 仕事で家を空けている母親に電話する。ほどなくして、地球名産の生物織物のデザイナーをしている母親、八重やえが携帯端末に映し出された。


「パイロット科、不合格だったの。まあ、いいんじゃない? ふつうの高校に行けば。え、プリンセス科? なにそれ」


 九重はネットで調べたことを話した。


「うわ。怪しげ。つか、学校に聞きなよ。というかさ、あんたオトコじゃん。それはいいの? 辞めときなよ。キモいって」


 それもそうだ。確かにキモい。だが、確認すべき連絡先は学校だ。九重は合格通知にあった連絡先にようやく電話してみた。


「はい。銀河機構高校地球分校です。プリンセス科? おめでとうございます! 応募してない? それは関係ありません。非公募ですから。それにしても情報がない? およそ千年に一度しか募集しないので寿命の短い人間がほとんどの地球では知られてないんですよ。詳細は入学時オリエンテーションで。え、男子なんですか。でもお声は。はあ、声変わりがまだ、だと。少々お待ちください」


 そこで電話は保留された。しばらくして。


「はい。問題ないそうです。それでは入学式で会えるのを楽しみにしていますね」


 どう問題ないのかわからなかったが、とにかく問題ないのだろう。九重はもう一度、合格通知にある連絡先を見てみた。いくら見ても、書いてある連絡先に間違いはない。妙に調子のいい窓口対応だったが、たまたまだろう。


 念のため、やはり家にいない父親、武吉ぶきちにも電話をかけてみた。頼りない父親だが家族だ。


 なかなか出ない。三度ほどかけてようやく出た。陶芸家をしており、自宅から車で数十分の距離の窯に所属している。


 携帯端末から野太い声。


「パイロット科、無理だったかー。おれの子だから夢を追うのはわかるけどなー。ほどほどにな。あ? プリンセス科? 知らんけど、そんな科あるのか。あ、それは確かなのね。ま、入学してみれば? 銀河機構高校なんて行けないだろ、ふつー。行ってみてダメならダメでそんとき辞めれば」


 相変わらず親父はテキトーだな、と思いながら、九重はプリンセス科に興味をそそられている自分に気づかされた。


「へー。お兄ちゃん、『銀機』うかったんだ。つか、プリンセス科とかマジであったんだ……って、お兄ちゃん、オトコだよね?」


 いつのまにか妹の賀恵かえが後ろから覗き込んでいた。四歳下で、来年には中学受験を控えている。「銀機」とは銀河機構高校の略で、銀機高ともいわれることがある。


「あー。お兄ちゃんもそう思ってたんだけどな。って、おまえ、プリンセス科、知ってんの?」


 九重は母親似で線が細く声も高い。賀恵は逆に父親似ではっきりした顔立ちだ。


「まあねー。っても噂話だけどね」

「おれもそれくらいは調べたぜ。王制をとる星に嫁がせるハニートラップ要員育成だってやつだろ」


 王制をとる星のなかには効率を極めた政策運営で極めて巨大な経済圏を確立している星もある。そんな星には銀河機構とて人を送りたいに違いない。ハニートラップ要員育成説は比較的理解可能だった。


「うわあ。さすがお兄ちゃん。ロマンない。わたしが知ってるのは、本物のプリンセスになれるってヤツだよー。行ってみてよ。お兄ちゃん。で、プリンセスになって。そしたらわたしたち、ロイヤルファミリーだよ」

「そんなん、興味ねーよ」


 九重は、小さい頃に見た宇宙冒険もののドラマの影響ですっかり宇宙の冒険家になるつもりでいた。だから、勉強も運動もがんばったし、地球基準なら神童としての成績を記録してきた。だから、銀河機構高校でも、パイロット科なら合格するかもしれない、いや、合格するはずだと思っていた。だから、パイロット科については調べたし、動機も形成してきた。未知の惑星に自分の力で到達する。そのためには操縦桿を握るパイロットにならなければならない。


 だが、パイロット科がそもそも他の科より簡単かどうかさえわからない。九重が簡単そうだと思ったにすぎない。


 現実を突きつけられた今、パイロット科の不合格通知だけなら、まだあきらめもつく。いや、あきらめわるく、なんとか両親をごまかして、来年度にまたしれっと出願することも考えなくはない。


 しかし、九重の手元にあるプリンセス科の合格通知はどうする。どうせ何かの間違いだと無視するか。それとも。


「お兄ちゃん、妙に冷めたとこあるよね。こんなチャンスなかなかないよ。でも、どうせ適当な地球政府系の学校に行って、そこでも神童とかいわれて、テキトーにやるんでしょ。あーあ」


 賀恵は兄をせせら笑った。四歳も下なのに、九重はしばしば妹に煽られる。


 九重は、賀恵の煽りの才能とリア充ぶりにはいつも舌を巻いていた。賀恵は、同性異性を問わず人気者で、しょっちゅう友達に呼ばれたりイベントで出かけたりしている。彼氏も数人いるとかいないとか。小学生なのに。


「なんだよ、賀恵。おれの合格通知だぞ。いいよ。行ってやんよ!」


 実際、武吉が言ったように、イヤになれば辞めればいい。そもそも人違いといったふざけたミスもありそうな話だ。なにしろ九重はオトコなのだ。


「あはは。お兄ちゃん、大変かもよ。生物学的にはどうでもいいってことで」


 賀恵はほがらかに笑った。クソかわいくない、と九重は思った。


「バッカ、おめー、おれがそれを考えないとでも思ったかよ」


 銀河の知的生命体は、人間ばかりではない。生物学的な性が三つある種族もあれば、生物学的な性が存在しない種族もある。「自分で認めている自分の性別」、つまり性自認が「女子」であること。それが入学の要件だということは十分ありうる。


 生物学的な性別を変える技術は、今の銀河にはないとされている。


「お兄ちゃん。宇宙で大冒険するんでしょ? 今の『女の腐ったような』キャラより、女の子そのものになったほうが冒険に役立つんじゃないの」

「性自認を変えるってことは、人格が変わるってことだ。大変とかじゃ済まねーよ」

「そうゆうとこが優柔不断なの。だからモテないんだよ。せっかく外見だけはイケてんのに」

「妹に言われてもフォローにならねえ」


 中学時代、九重は周囲から「惜しい」と言われていた。神童にしてイケてるルックス。だが悪く言えば線が細すぎる。慎重すぎる。現実的すぎる。神童と呼ばれた各種試験の成績は、そうした努力ゆえだ。その慎重さは、プリンセス科に二の足を踏ませてもいた。行ってやんよ、と啖呵を切っても、その実、迷っている。彼女がいたこともない。


 逆に賀恵は「男気」があった。そんな兄の優柔不断を見抜いていた。


「どうせ行くしかないと思ってるくせに。行っちゃいなよ。わたしたちのことは心配しないでいいからさ」


 九重の割り当てられた銀河機構高校地球分校は衛生軌道上にあり、行き来は軌道エレベータで行う。だから自宅から通うことはできない。全寮制だ。


 賀恵はそう言ったが、モテそうでモテない兄貴のことをからかうのは日課だった。寂しくないわけがなかった。


 九重は思った。賀恵の言う通りだ。どこか、自分がしくじったら家族に負担をかけることになると恐れていたのではなかったか。だから、安全なほうに舵を切ろうとしていたのではなかったか。地球での栄達。家族も豊かな生活ができる。それに、何十年後かには、自分で宇宙冒険隊を雇えるほどになるかもしれない。


 だが、いったい何歳なんだ? そのときのおれは、今のおれと同じなのか。夢をあきらめて同じ人格でいられるのか。九重はいつしか心を固めていた。

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