第三十九話

「ヘレナ、大丈夫ですか? あの、本当に大丈夫ですか?」


 階段をおりても広間についても焦点の合っていない視線で上の空のヘレナにソフィアは不安を隠せなかった。


「大丈夫ですよ。ソフィア様、私はもう七歳なんです、これくらいなんでもないですよぉ」


「いやいや、どう見ても大丈夫じゃないですよね。私の呼び方も戻ってますよ、というかどこ見てるんですか。私を見て話してくださいよ、ヘレナ、ねぇ」


 ヘレナの両肩を掴んで揺するが全くもって反応が変わらない。なされるがままに前後に揺れている。


「……どうかしたんですか?」


 騒がしくなった広間が気になったようでサリーナがドアから顔をのぞかせた。


「サリーナ様! ヘレナがヘレナが大変なんです」


 中に入ってきたサリーナはヘレナを見て一瞬驚きで目を開いたがすぐに原因が分かったようで困った顔で二人の顔を見比べた。


「……久しぶりに見ました。前はお気に入りの本が水没したときにそんな状態になったんですよ。一応、聞いておきますけど何があったのですか?」


「えぇっと、お父様が……」


 何から話せばいいのかどこから話せばいいのかが分からず言葉が詰まったソフィアをサリーナは優しく制止した。


「やっぱりそういう事ですか。はぁー、レバノス様を信じたのが間違いでしたか……いえ、多分私とあの人の感覚に差異があるんでしょうね。こんな状況になっているというのにあの人の中では別に何もしてないという認識なのでしょう。まぁ、とりあえず状況は分かりました。ソフィア様はヘレナを裏庭に連れて行ってあげてください」


「分かり、ました? サリーナ様は?」


 ソフィアは唐突に出てきた裏庭という言葉に首をかしげる。この屋敷に来るまでに馬車の中から見ていたがこの屋敷の後ろには広場に隣接する大きな雑木林があるだけだと思っていたし事実その通りに雑木林は存在していた。


「私は説教です。どうせ、私の子供なのかを確かめたのでしょう。あれだけ普通に接してとお願いしていたのに、誰だって突然赤子のように持ち上げられれば驚いて素っ頓狂な声をあげてしまうものなのに」


「それで、私はヘレナを庭に連れて行ったら何をすればいいのですか?」


「別に何もしなくて大丈夫ですよ?」


「あれ? ヘレナを元に戻す何かがあるのですよね?」


 どうにも二人の間には認識の差があるようだった。


「あぁ、失礼しました。ヘレナは嫌なことがあると、きまって森とか林とかとにかく自然の中に潜り込むんです。小さい時からの癖といいますか習慣のようなものです。一番奥にある大きな木の根本に座らせてもらえればすぐに戻ると思いますよ」


「分かりました。とりあえず連れていきます」


 呆れ顔で二階に上がっていくサリーナを見送ってヘレナを連れながら広間を出た時にソフィアはふと思い出したことがあった。


(あのセレスティアって人が管理していた庭園? みたいなところで迷った時もヘレナはなんだか少し楽しそうだったけどそういうことだったのかな……そういえば、結局聞けずじまいだったけれど、どうしてヘレナは詠唱をしなくても魔法を発動できたんだろう)


 屋敷の後ろにはそれこそ森、とでもいうような庭が広がっていた。


「……森の前に屋敷があるんじゃなくて屋敷の中に森があったんだ。凄い、こんなに広い庭初めて見たぁ! それに広場に直接つながってるんだぁ」


「ソフィア様、こちらです」


 ソフィアが興奮のあまり軽く叫ぶとうっすらと続く細い道の向こうからレナリアが手招きをしていた。


「凄いですね! 屋敷に森があるなんて!」


「そうですね、流石はリ……サリーナ様、英雄の力は今も尚健在という訳です。さ、行きましょうか」


 危うく口を滑らせるところだったレナリアはヘレナを背負っているせいで拭えない額の冷や汗をソフィアに見られないように素早く立ち上がったのだった。

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