第十八話

 時は十数年前まで遡る。


 アデラススロアの外れに位置する辺鄙へんぴな農村、その村長の娘が村を旅立とうとしていた。


「サリーナ、いつでも帰ってきていいんだからな」


 短く切った茶髪を撫でながらサリーナの父親は目に涙を浮かべている。


「……うん、お義父さんも元気でね」


 サリーナは捨て子だった。

 誰にも必要とされず行くあてもなかった。とはいえ生きていくためにと仕方なく盗みを働き寒空の下で小さく丸まり凍えながら満たされない空腹感に襲われながら日々を生きていた。少しだけ迫り出している屋根の下で雨宿りをしていたある日の夜。

 この村の村長がサリーナを拾った。

 彼はサリーナにこの上ない愛情を注ぎそれはもう大切に育てた。ただ彼の妻はこれをよく思わなかったのだ。妻が嫁としてこの家に嫁いできたのはサリーナが拾われてから三年ほど後の事、最初の頃は多少の嫌がらせ程度ではあったけれど気にするほどのことではなかった。

 ただ彼女が妊娠したとなると彼女の態度は一変した。あの手この手でこの家から追い出そうと躍起になっていた。別にそれに耐えかねたという訳では無いけれど彼女にとって今日ほど嬉しい日はないだろう。おそらくサリーナがいると自分の子供に財産を継ぐことができない、とりわけ村長の座に座ることができないと考えていたのだろう。


「と、まぁ、こんな感じ家を出て冒険者業をしていたんです。その後はおじょ……ヘレナの知っている通りです……くっ」


 一瞬、ほんの一瞬サリーナに動揺が生まれ若干体勢が崩れる。弾き損ねたリグニスの剣先がサリーナの肩のマントを切る。


「じゃ、じゃあ、バルトホルンっていう家名は?」


 ダレアが不審な顔をしているのを見てヘレナがすぐに質問を投げかけた。この状況で質問を投げかけるのもどうかとは思ったが身バレしたとなってはそれこそもう街へ出ることは許してもらえないだろうと考えたのだ。何よりサリーナは今まで会話しながら敵の相手をしていても何ら問題がなかったのだ。

 補足としてはこの世界であっても基本的に家名は世襲であって誰もが軽々と名乗れるものでもましてや授けられるというものでもない。任命権を持っているのは貴族、その中でも伯爵以上の上級貴族にしかなくなおかつ国王や最高機関の承認を得なければならずそうそう任命はなされない。


「それは、よっ、村長の厚意でつけてもらったんですの。まっ、後でわかったことなんですけどバルトホルンっていうのは私の元々の家名だったそうです」


 サリーナはさっきの動揺以外、会話をしながらもリグニスの剣戟けんげきを右へ左へと軽く受け流している。片手では頭を掻いたり、耳を触っているくらいだからサリーナは相当余裕があるのだろう。

 当然そんな対応をされてはリグニスも血相を変えムキになって襲い掛かってくるのだが怒れば怒るほど攻撃はどんどん単調なものへとなっていく。サリーナも最初こそ体を使って剣戟を捌いていたが今ではほとんど手だけで対処していた。


「あの、いい加減諦めてもらえませんか?」


 肩で息をするリグニスにサリーナが呆れ顔で提案をする、これ以上は時間の無駄だと考えたのだろう。ただ、激昂している相手に何を言っても無駄だった。さらにいけなかったのは完全にリグニスを見下した提案だったということだ。

 サリーナとしてはそんな気など全くなかったが、言った後に気が付いたのだろう「どうしましょう」と、困った表情でヘレナを見るサリーナ。

 どうすることもできないヘレナは「頑張って!」と、ガッツポーズと共に笑顔を送ったのだった。

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