第八話

「おーい、へーレーナー。隠れてないで出ておいで」


 大きな屋敷の中で一人の男が四つん這いになりながら愛娘を探していた。

 何を隠そうこの屋敷の主人のリブライト・フォン・グレイスロアである。このグレイスロア王国の国王……の弟にあたる。貴族階級最上位の公爵家の人間であり、この王国の中でも一、二を争う商業都市アレイスロアの領主。容姿端麗、頭脳明晰、文武両道と誰もが認める完璧超人であった。

 ちなみに程度の豆知識ではあるが王国にある都市はどれも最後にスロアが付く。だから王都グレイスロア以外の都市の正式名称はアレイ・スロア、であったりスデラス・スロアといった感じになる。正式な書類などでは必ずそうして書かれるそうだ。うん、どうでもいいよね。

 話は戻るがそんな完璧な彼でもどうやら娘だけには弱かったようだ。とはいえ仕方ないといえば仕方の無いもので、ヘレナは彼らにとって初めて授かった子供なのだ。リブライトはもう今年で四十五歳になる。

 もう子供は諦めるしかないかと思っていた頃にできたとなればそれは嬉しいだろう。とにかくヘレナが可愛いらしく欲しがるものはダース単位で買い求めるという、まぁ、典型的な親バカである。


「……あなた? 何をしているの?」


 彼女の名はレイテ・フォン・グレイスロア。リブライトの妻である。

 透き通るような銀髪を後ろでまとめていぶかしげにリブライトのことを見下ろしている。おそらく彼女も自分の夫でなければ見て見ぬふりをしていたことだろう。


「ん? おおレイテか、ヘレナを見なかったか?」


「ヘレナはもう五歳ですよ。普通に歩けるんですからあなたが四つん這いで探す必要はないでしょう? それにいつものところにいるんじゃないですか?」


「おぉ! そうかそうだった、確かにヘレナはよくあそこにいたな。すっかり失念していた」


 レイテの言葉で思い至るやいなや即座に立ち上がり膝を払うと物の見事にきびすを返して今度は全力で廊下を走り抜けていった。

 そんな夫の様子を見て溜息をこぼしながらも彼女の顔は優しく微笑んでいた。


「昔はもっとかっこよかったのにね。それでも嫌いになんてなれないのだけれど……さてと、これでいいのかしら?」


 レイテがそう言うと近くの部屋の扉が開いた。そして腰のあたりまで伸ばした金髪を左右に振りながら赤眼の少女がひょこっと顔を出す。


「ありがとう、かーさま。これでゆっくり本が読めます」


「それにしても今日も外には出かけないのね。何かあったの?」


「? だって暑いじゃないですか? 汗でベトベトになってまで外で遊ぼうとは思いませんから。それにあと少しでここにある本を読破できるんです」


「読まない理由はないでしょう?」と言わんばかりにヘレナが熱弁する中でレイテは心の中で静かに夫に頭を下げた。というのも彼女が言った"いつもの場所"はこの屋敷の外、近くにあるの森の中のことなのだ。


 この後、夜のとばりがおり始めた頃のことだった。全身ベトベトになったリブライトがとても疲れた様子で帰ってきたのだ。

 どうやら待てど待てどもヘレナが来ないことを不審に思い街まで探しに行っていたようなのだ。ただ、表立ってヘレナの事を聞いては回れないために一人で街の隅々までくまなく探索していたそうだ。

「心配したんだぞぉぉぉおお!」と涙するリブライトから全力で逃げるヘレナを見て屋敷の者たちは笑ったり、慌てたりとてんやわんや。終わってみればリブライトは汗と涙でさらにひどい状態に、そんな父親に追いかけてヘレナは半泣き、レイテはヘレナの頭を撫でながらリブライトを説教。

 とにかくこの屋敷では毎日がこうしてにぎやかに過ぎていくのだった。

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