第二話

「……はぁ? 黙って聞いていれば意味が分かんないだけど?」


 理由も告げられずに強制的にこの部屋に連行された彼女が遂に怒りを露わにして机を殴る。神速と言っても過言ではない速さで繰り出された拳は本来なら傷すらつかないように思える黒い石の机に亀裂を走らせた。彼女がゆらりと頭を持ち上げると前へと垂れ下がった黒髪の隙間から真っ赤な眼光を飛ばしている。その光景に彼女と話す男の後ろに立つ従者の一人が短い悲鳴をこぼす。


「だから言っているではないか、今日から君には期間内に五十億の魂の行き先を決めてもらいたいと。大丈夫だ、ちゃんと応援も用意している」


 何も問題はないと怒る彼女に困った表情をしながら男は繰り返す。

 ただ、男も彼女とは付き合いが長い。当然彼女がそのようなことを聞いているのではないと分かってはいた。そしてそれは彼女の真っ直ぐな信念の元に成り立っているということも。しかし、真っ直ぐすぎるがゆえにさっきのようにすぐに行動に出てしまうというのが玉に瑕ではある。

 

「違う、そうじゃない、そういうことじゃない。私が聞きたいのはどうしていきなりそんな数の……」


 我慢ならないといった表情で彼女が立ち上がる。

 すると男が手を突き出しそこまで言いかけた彼女の口を閉ざす。いわゆる不思議な力、超能力にも似たそれで男は彼女に触れることなくそれどころか自らの座る席から動くことなく彼女の口をふさいでいた。


「すまない、それは禁則事項だ。いかに私と君の仲でもそれに答えることはできない、今回ばかりは黙って従ってくれ」


 男の表情を確認して彼女は両手を左右に広げる。

 どうやら不思議な力を解除しろ、という合図らしい。男が突き出していた手を下げる。


「………理解はした、が納得はしない。この貸しはは大きいからな。それと最後に聞かせてくれ。今回の事件はあいつの差し金か、いやあいつが引き起こしたのか?」


「………禁則事項だ」


 若干の沈黙の後に紡がれた言葉。もはやそれは彼女の指摘が正しいということの証明に他ならなかった。

 普段の彼であればおそらくこんな失態はさらさなかっただろう。

 管理上彼女よりも少しだけ詳しく知っているというだけであり、彼ですら本当の状況を理解できてはいない、そこからくる焦りや困惑が彼の思考を邪魔している。


「ちっ……」


 大きな舌打ちを残し悔しそうな顔をして彼女が席を立ち上がる。扉の前で何か言いたげに男に振り返ったが結局彼女は言葉を交わすことはなく乱暴に扉を閉めて出ていった。


「…………すまないヤエ。だが、お前にも私にも逆らうすべはない、今は、今は従うしかないんだ。お願いだから早まるようなことはしないでくれよ……もう、これ以上失うわけにはいかないんだからな…………」


 小さく口元を隠し後ろに控える従者にも聞こえない声で呟いた後男は従者達に「すまないが、少し一人にしてくれないか」とそう告げた。

 男にそう言われた二人の従者は顔を見合わせ少しの間逡巡していたがやがて頭を下げて下がっていった。

 一人になった男はしばらくの間組んだ手を額に当ててうつむいていた。


「いつまでも逃げている訳にはいかない、ということか」


 頭を上げた男の目にはさっきまでの迷いは消えたようで真っ直ぐとこの先を見据えていた。

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