第313話 異世界からの帰還(2)
「どうなっているんだ?」
額に手を当てたあと、とりあえず夢だと思いながら――、それを求めているように考えつつも、洗面台の蛇口を回し水を出したあと、顔を洗う。
適度に冷えた水温が、モヤの掛かった意識をクリアにしていくように感じる。
そしてトイレの個室に置かれていた真新しいトイレットペーパーを袋の中から取り出し、洗面台に向かいながら濡れた顔を拭く。
「やっぱり……見間違いではないのか……」
俺は鏡に映った高校生時代の自分の顔を見ながらため息をつく。
そしてトイレから出たところで、俺が寝ていたであろう病室に慌てて数人の白衣を着た人間が入っていく姿を見た。
「何だ?」
思わず小声になってしまう。
何かを病室の前で話しているようだが、距離があるせいで聞き取れ――、
――アルドガルド・オンラインのシステムユーザーIDとのリンクを確立しました。
――ステータスの更新を行います。
唐突に頭の中に流れる音声。
鈍器で頭を殴られるような痛みを感じた瞬間――、
「患者は、どこに? 2年近く意識が戻らなかったのに一体どこに?」
「分かりません。ただ、無意識のまま出歩いたという感じではないようです」
距離があるというのに、次々と飛び込んでくる医師や看護師たちの声。
それはステータスの更新を行いますという声が聞こえたあとに聞こえてきた。
「一体、何の話をしているんだ? それに一体、何なんだ?」
何が起きているのか、さっぱり分からない。
それに医師と看護師の話を信じるのならば、俺は2年近く意識を失っていたという事になる。
そんなに長い間、人は意識を失い寝ている状態で筋力が低下しないことなんてありえない。
「情報が足りなさすぎるな……」
少なくとも、今が令和何年かくらいは確認しておきたいし、エミリア達がどうなったかを――、情報を得たい。
「――さて、どうしたものか……」
俺はトイレのドアを閉めたあと、個室に入りドアを閉めてから鍵をかける。
唐突に聞こえてきたシステムメッセージ。
それに伴う五感の強化。
本当に訳が分からないことだらけだ。
「病院の人間に話を聞くか?」
そう考えて俺は頭を振るう。
「それは悪手か……」
ここが普通の病院のように見えるが、システムメッセージが聞こえてきた以上、ここは現実世界ではない可能性が非常に高い。
そうなった場合、この病院自体が、俺を騙すために作られたマップという可能性も捨てきれない。
だが、それだったら――、あの医師と看護師たちとの会話。それに俺が意識を失ってから2年という情報。それらを俺に教える意味があるのか? という疑問がぶち当たる。
「駄目だな……。とりあえず――」
そこまで言いかけたところで五感が強化された俺の聴覚はトイレに近づいてくる足音を感知する。
「俺が、ここに居ることがバレたか? ――いや……だが……」
もしかしたら、俺がトイレに入る場面を他の患者から聞いて知って確かめるために来たのかも知れない。
ただ、それが杞憂な可能性も考えられるが、楽観視するには……。
「仕方ないな」
トイレの個室から出たあと、俺はトイレの中を見渡す。
すると丁度、トイレの奥の方。
突き当りの部分に窓がある。
窓は、完全に開かない。
それでも、高校生まで若がってスリムになった俺の肉体ならギリギリ、窓の隙間から外へと出ることが出来た。
窓から身を乗り出し、外へと出たあとは、壁の突起に指をかけて壁に張り付く。
どうやら、身体能力も強化されているようだ。
そうじゃなかったら、僅か1センチの凸凹の壁に張り付くことなんてでないからな。
そうしている内に、トイレのドアが開く音がする。
「田中さん、居ますか?」
ドアが開くと同時に男の声で俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
どうやら、トイレに来たのは俺の考えうる中で最悪の想定通りだったらしい。
「田中一馬さんは、トイレに居たか?」
「――いえ、いません。病室から出た田中さんがトイレに入ったのを入院患者は見たそうです。ですがトイレには――」
「そうか……。それよりも君。あの窓が開いているようだが?」
「あっ! ――でも……」
「一応、念のためだ」
「分かりました」
窓の外――、建物の壁にへばり付いている俺を確認するために命令を受けた人物が、トイレの中を歩き、窓の方へと近づいてくる。
俺は慌てて壁をよじ登る。
幸い、でっぱりは至るところにあって壁を登っていくにあたって、助けになる事はあっても邪魔になるような事はなかった。
そして、俺が入院している階数は殆ど屋上に近かったこともあり、すぐに登りきることが出来て姿を隠すことが出来た。
「いませんね。それに、ここは9階ですよ? こんなところから普通に考えて降りるなんて考えられませんよ」
「そうじゃない。連続不審死事件があったからだ」
「つまり自殺とでも?」
「ああ。ただ、とくに死体が無いのなら別のルートで移動したのかも知れない。病院内を、すぐにくまなく調べさせよう」
「分かりました。院長にも――」
「――いや、君は、警察に連絡をしてくれたまえ」
「分かりました」
そのようなやり取りの会話が聞こえてきた後、声の主だった二人の会話は聞こえなくなると、トイレのドアの開閉音が聞こえてきた。
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