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1月17日午前7時42分 59


「君、転校生?」

声をかけてきたのは矢野とかいう女だった。

残念なおつむをしている事以外はよく知らない。


「……何を言っている?」


「いや、知らない人がいたから。

二人目の転校生かな?って思って」

休み明けから訳の分からない絡まれ方をした。


「俺が大神だが」


「へぇ、大神くんと同じ名字なんだ。

でもその席じゃないと思うよ?」

窓側、1番後ろ。

確かに俺の席だ。


「?」


「そこには、その「大神くん」が座ってるから」


………俺が俺だと認識されていない?

そんな馬鹿な。


「おい、「俺」が分からないのか?」

「ん?会ったことあったっけ?」


「よく思い出せ!」

「ちょ、ちょっと」


声を荒らげてしまい、教室がざわめく。


「誰だか知らないけど、あまり怒鳴らないでくれ」

眼鏡をかけた男が、格好つけて出てきた。


「知らないだと?」

「ああ」

ふざけるな、何故俺が。

消えている。


「……」

女はひどく怯えているようだ。

他の奴等もどうやら俺が分からないらしい。

俗物共のくせに生意気な。


「…………悪い、大きな声を上げて」


意識的に笑顔を浮かべた。


「ご、ごめんね。覚えてなくて」

「いや、良いんだ」


何なんだ、これは。


「おはよう」

深花が教室に入ってくる。

この状況だが普段と変わらぬ様子だった。


「………?」

周りの視線を気にせず、彼女は暫くこちらを観察していたが、


「ちょっといいかしら?」

そう言って、俺の後襟を掴み、無理矢理教室の外へ連れ出した。


「どこに行くんだ?」

「視聴覚室まで」

そう言って軽やかに歩む。

きっと、この状況についての話だろう。

手を振り払い、自ら深花に着いていった。

今度は何なんだろうか。

深花の事だって未だに何も分かっていないのに。


それについては何度も聞いたが、はぐらかされている。

調べようにもそんな手段もない。

だから、何も分からないまま、何も分からない彼女と一緒にいる。


そんな事を考えながら彼女の背中を追う。


「鍵は有るのか?」

「ええ」

何故かは聞かなかった。


解錠し、部屋に入る。

彼女はポケットから懐中時計を取り出し、開いて覗いていた。

「随分高そうだな、それ」

「あげないわよ?」

もうホームルームが終わるくらいの時間のはずだが、外から音は聞こえてこない。


「さて、気付いてる?」

「俺が俺だと認識されてない事か?」

有り得ない話だが、事実起きた。


「それもだけど………気付いてないの?」

「何が?」

「僕が俺になっている事、とでも言えば良いのかしら?」


……!


「仮面を剥がされたのは私だけじゃないみたいね」

「何故こんな事が」

「言ったでしょう?私は愛するヒトの真似をしているって。

私のが剥がされたから、貴方のも剥がれた。

そう考えるのが自然」

「そんな馬鹿な話」

「寓話みたいだけどね。

でも他に何か考えられる?」


更に深く考えてみる。

しかし明確な答は、何一つ思い浮かばない。


彼女の方を見てみると、同様の表情をしている。

………まただ。

また、自己の容貌が頭に浮かぶ。

何故なのか解らないが、少なくとも不快な感覚ではない。


最初は驚いたが。


あの日……俺が彼女の仮面を剥いだ日。

大きく開かれていた彼女の眼を見て、酷く驚いた。

そして、おはようと言った後、

「……どう?」 深花はそう続けたのだ。


その表情はいつもの余裕のある笑みではなく、何かを恐れているかのような。

素顔をさらす事を恐れて、仮面を被っていたから、というのが1番有り得そうな所だ。

失望されたくなかったのか。

だが仮面を外した彼女を見た時、こう、言葉に出来ない安心感を感じたのだ。

俺が素直に自分に似ている事や、嬉しかった事を伝えると、ほっとしたようだった。


「これも血の糸なのか?」

「そうかもね」

そうは言っていたが、どうも不可思議そうな様子に見えた。

彼女が狙って何かを起こした訳ではない、のか?


「………何か企んだ訳ではないのか」

「私が?」

「そう聞いている」

「私にはそんな力無い。

それに貴方にこんな事しないよ?」

「君には隠し事が多すぎる」

「……そうね。私以外有り得ないか」

寂しそうな声色だった。

時計を握りしめながら、何か深く考え込んでいる。

その様をじっくりと観察した。


自己を思い出させるようなのは、何故なのか。

彼女が仮面を被った理由は何なのか。

俺に近付いてきた理由は何か。


そして。


「………元に戻る方法は無いのか?」

「あら、この顔は嫌い?」

いつものような冗談だが、いつものように楽しそうな様子ではなかった。


「お前じゃない、俺の話だ」

このまま認識されないままではいられない。

「そうね……」

深花はまた、深く考えていた。

何を考えているかは分からないけれど。


「暫くそのまま過ごしてみれば?」

「…………は?」


「とくに出来る事も無い訳だし」

あっけらかんと言う。

気が気じゃなかった。


「そんなの無理だ」

「何故?」

「何故って…………」


「貴方は………いえ」

深花は何かを言いかけて止めた。


「大丈夫よ、私は貴方を愛してるもの」


俺も何か言おうとしたが、止めることにした。

「悪いが帰る」

「あら、始業式からサボタージュ?」

「ただの早退だ」


部屋の時計を見ると、入ってきた時と時刻が変わらなかった。

壊れているのだろう。

「深花、今何時だ」

「ん………ホントなら、今8時32分」


それを聞いて視聴覚室から出る。

「用事があって暫く会えないけど………大丈夫、私が貴方を守るから」

彼女は寂しげにそう言った。


扉を閉め、歩き出す。

遠くの方から音が聞こえる。

ちょうどホームルーム中だろう。


そのまま学校を後にし、外に出た。


無性にイライラする。

家へ帰ろうかと思っていたが、どこかでこの衝動の発散がしたかった。

こんなのは………そうだな、夏の終わり以来か。

秋の間はこんな事は無かった。


深花の顔を思い出す。

……彼女はこの俺の状況について、本当に何も出来ないのだろうか。

いくらでも疑う事が出来た。


ここまま………このままじゃ。

俺が俺でなくなる。

俺が俺でいられない。


本当にどこの誰も俺を認識しないのなら…………

深花はいる、しかし足りない。


俺がすべての中心でなければ、必要不可欠でなければならないのだ。

そうでなければ俺じゃない。


俺は×××なのだから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


想像空想妄想、現実逃避。

だけど、針は右へ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


1月22日午前2時53分 59


「じゃあな」


通話を切る。

画面の強すぎる光が闇の中に広がっていた。

端末をベッドの上に投げる。

余韻に浸りながら、わずかに明るい天井を眺める。


学校に行かなくなってから5日。

深花の声を聞いたのもそれ以来だった。

彼女と話している時間だけは自己の存在を感じられる。

それを求めて、ずっと話していた。

ただあれから、一度も直接会ってはいない。

家に来てくれ、とは言えなかった。

一度はそう言ったのに。


依存してるだなんて、認めたくない………いや、俺は依存していない。

夜に浮かされているのだ、だからこんな戯言が思い付く。


仮に、愛であったとしても、それは依存じゃない。


今の所、俺を認識出来ているのは深花だけだった。

今あのクラス、或いはあの学校に在籍していない奴等にも連絡を取ろうとしたが、一人を除いて誰の声も聞くことが無かった。

そいつは、俺が大神である事を伝えると、詐欺であるとして通話を切った。

話も聞かずに、だ。


一人称だけ僕に替えはしたが、喋り方や声までは寄せられない。

そいつの知る俺とは違かったかもしれないが、それでもいきなり電話を切るだろうか。


今起きている事態が、いかに異常かを示す証左である。


深花が着けていた仮面が外れ、俺はNPC諸君に嘘を吐けなくなった。

そして奴らは俺を認めなくなった。


それはつまり、あの嘘………仮面こそ奴らにとっては「俺」であった、という事なのだろうか。

いや、それ以外考えられない。


闇夜から風が聞こえている。

この壁の向こうが寒いのは考えるまでもない。

ついさっきまで握っていた端末は、もう冷たさを帯びていた。


朝日が昇るまでには眠ろう、そう考え布団に入る。

意識は冴えたまま、目を瞑っていた。


思えば。

もうこれは、現実でないのかもしれない。

俺の知らない女が俺を知っていて、そいつが物理的に仮面を被っている事は俺以外知らない。

その仮面を外した結果、俺の仮面にまで剥がされた。

こんなのはファンタジーだ。


最初、俺は興奮していたのだ。

やっと面白そうなイベントが起こった。

やっと×××に相応しい、非日常が巻き起こったと。


だが、今のこれは違う。

俺は×××なのだ。

俺が世界であるべきで、認識されない等あってはならない。


………そもそも、現実って何だよ。

この世界の事か。

それとも俺の認識の中の「世界」か。

前者と後者は大きくずれていた、そう言えるのだろう。

彼女の仮面に誰も気付かず、それが剥がされて俺が俺でなくなる…………いや、俺でない俺が奪われ、俺になった。

それは俺の知る「世界」では起こり得ない。

しかし起きた。

いかにも隠喩めいた、出来すぎている、まるでフィクションの様な事が。


………本当に、フィクションだとしたら。


自分でも何を言っているか分からない。

だが頭にそんな言葉が生まれた。

虚構が現実と混ざって、融けて溶ける。


妄想。


その2文字が現実を指し示すだなんて。

有り得るのか。


時計の針は刻々と刻を刻み、

夜がふける。

月が綺麗だったが、伝えようとは思わなかった。


そんな事を思うくらいには、眠れなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


それでも彼女の名前は、思い出せない

遡れたのは、深花と出会う前日、あの暑い日までだった


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


1月23日午前11時59分 59


……………………………………………………あー。


目が醒めると、自宅ではなかった。

知らない天井がぼんやりと視界に映る。

ここは、どこだ。


「…………」

何か、良い臭いがする。

甘い、どこかで知っている様な香り。

どこか?

どこだ………


「………………っ!」


事の異常さに気付いて体を起こす。


左に傾くと、直ぐそこに微笑みがあった。


「説明してくれ、深花」

彼女に連れてこられたのか………何故?どうやって?


「おはよう、可愛いかったわよ?」

「寝顔」

「見るな」

「写真撮れば良かった」

「撮るな」

「もう撮ったけど」

「………は?」


深花は満足げな様子だった。

朦朧とした意識が少しずつ、醒める。


「貴方だって私の寝顔見たでしょ?」

「ありゃ顔じゃなくて仮面だろ」

「顔も見ようとしたじゃない」

「……」

「……やらしいなあ」

「……」


彼女は立ち上がった。

袖の余る黒いパーカー。

………あの夜、こいつの寝間着と化した俺の服。


「さて、ここがどこだか解ったかしら?」


辺りを見回す。

窓は軽く開かれ、水玉のカーテンが踊っている。

学習机の上の棚には、どこかで見たようなキャラクターのぬいぐるみが置かれ、室内には甘い香りが漂っていた。


………良くない予感がした。

「お前の部屋か」

「うん、正解です」


となるとだ。

俺がついさっきまで寝てたこのベッドは。


深花がこちらをニヤニヤしながら眺めている。


「…………俺は悪くない」

「…………っ………………!」


必死に笑いを抑えているようだった。

何か言い返したくなったが、やめる。

俺は冷静だ。


「で?」

「…………………!…………………ぜーはーぜーはー…………」


いい加減笑い止んでほしい。


「……………それで、何だったかしら?」

「何で俺がここにいる」

「私が連れてきたのよ、安心して?」


安心。

散々笑った後はこっちを笑わせようとしているのだろうか。

笑えないが。


「つまり寝ている俺を拉致したわけだ」

「少し拐かしただけよ」

「未成年者略取に盗撮、反省の色も無し…………実刑もやむを得ないな」

「同意の上だから大丈夫」

やはり警察を呼ぶべきだろうか。


「…………それで、何で誘拐されたんだ、俺は」

「特に理由なんて無いわ」

「は?」

「良いでしょう?

孤独は人の心を蝕むもの」


蝕まれていたのは、彼女か俺か。


「寂しかったのか」

「貴方と同じくらい」


否定も反論もする気にはならない。


「ごめんね。

このところ、少し用事があって」


それが何か、想像がつかなかった。


「……そうか」

考え込む。

深花の言う、用事とは何なのか。

暫く考えていると、彼女の声が思考を妨げた。


「調べなきゃならない事があったの」

「?」

「失いたくないものを失わない方法について」

随分と抽象的だ。


「で、分かったのか?」

「ダメだった」

「いいのか?」

「……言ったでしょう?

ぼっちなんてくそくらえって」


衝撃。

そして温もり。


「………。

何してるんだ」

抱きついてきた彼女に訪ねる。


「ん…………生まれてきた意味を探してる?」

抱きついたまま彼女は答えた。


無理矢理引き剥がす。


「所で、どうやって俺をここまで運んだんだ」

まさかお姫様抱っこという訳でも無いだろうし。

物理的に難しい。


「聞きたい?」

「ああ」

「長くなるわよ?」

「どれくらいだ?」

「まず時空間歪曲基礎理論、認識時間と暫定的実時間流動の差異の話から」

「案外興味深そうだな」

「聞かなきゃ良かった乙女の秘密まで」

「やはり遠慮する」

「残念ね」


深花は楽しそうに言った。

「で、何をしましょうか」

「本当にただ連れてきただけなのか」

「そういったでしょう?」

「……」

「強引に連れてきて、気を悪くしたなら謝る。

でも、何の企みが有るわけでもなくて。

有るとしたら」

「有ると、したら?」

「君のあたふたしてるとこ見れるかなって」


「………悪い、疑ったんじゃない。

予定くらいあるんだろうと思っただけなんだ」

「そっか、よかったよ。

………予定なんて特に無いわ、大切なのはその場のノリよ」

「じゃ何かしたい事は?」


そう聞くと、彼女は暫くの間考え、ベッドの上に飛び乗った。

弾みが体に伝わる。


「もう少し、お話しましょう?」

「………分かった」


そっと手を握られた。


「最初に……ごめんね」

「?」

「このところ、1人にして」

「それはさっき聞いた。

……いや、というか何でお前が謝る」

「何でって………んー………


………飼い主の義務?」

「おい」

「冗談も嗜みって言ったでしょ?」

「化粧と仮面と冗談だったか」

「ん。よく覚えてるね、感心」

「要するに全部嘘ってことだろ」

「あんまり賢いと幸せになれないよ」

「俺は賢いまま幸せになりたいんだがな」

「……ともかく、ごめんなさい。

貴方がどんな思いでいるか、分かっていたのに」


「有難な。

でももういい、終わった事だから」


そう止めると、彼女はまた顔を上げた。


「なら、先の話をしましょう?」

「そうだな」

「そうね、…………学校はどうする?」

「不審者が行っても仕方ないだろ」

「先生も憶えてないみたいだったしね。

そういう扱いになるのかな」

「俺の席は」

「そのまま。

皆心配してたのよ、優等生さん?」


「それは俺じゃない」


「………そうね、あれは貴方じゃない」

「なあ、どうしてこんな訳の分からない事が起きてるんだ」

「事実は小説より奇なり、だなんて使い古された言葉を賢しらに振りかざしたくはないけど」

「だが事実起きている」

「ええ」

しかし、この一連の理解できない事実の始まりは、深花なのだ。

「なあ深花」

「なに?」


暫く考える。

この世界は俺が思っていたよりもずっと奇妙で、非論理的だ。

それが俺に牙を剥けてきた。


だが、それは実はとても、喜ばしい事なんじゃないのか。

今になってそう思えてきた。

それを探求し、味わう。

それは×××に相応しい行いだ。

そして、

「?」

俺には深花がいる。

そう考えると、ひどく安心した。


「出かけるか」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


〈甦る、記憶。〉


…………

…………………

…………………………

…………………………………

…………………………………………そうか。


「どうかしたのかい?」

分かったんだよ。

今いる、この世界が何なのか。

今まで、どこにいたのか。


「……遅かったわね」


教壇の方に、深花がいた。


「僕にも教えて欲しいな、長い事付き合わされてるんだから」


「最後の夢だよ、俺のな」


______________________


/continue…


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