再起動ロータス
「おはよう。ナユタ」
脳波が回復したナユタに対し、私はそんな言葉で切り出した。
「……おはよう、蓮さん。配信はどうなったの?」
ナユタは、自身に起こった事を理解している様子だった。
「すまないが、ナユタが止まってからすぐに配信を切らせてもらった。俺が下手に取り繕うとしても、面倒事になりそうだしな」
「あはは……そうだよね。蓮さん、頭はいいのに変な所で抜けてるから。配信切ってくれただけでもありがとう」
冗談を言いつつ平静を装って見せるが、その声色には不安がにじむ。彼女の声は人工的に作られたものだが、そんな
もっと単調な声質しか出せなければ、ナユタの脳への負荷を軽減できるのではないか。いや、それではナユタのVtuberとしての活動に差し支える。彼女はバーチャル世界で”普通の女の子”という役割を演じているのだ。
「その……ナユタは何処か違和感がないか? 喋りにくいとか、モデリングを動かしにくいとか……文字が読みにくい、他人の声が聞きにくい、何でもいい」
会話を聞いていた芽衣が、背後のディスクで舌打ちをする。言葉こそ無かったが、彼女の言いたい事は分かる。
この質問は私の怠惰だ。ナユタの負担を減らすための方針を、ナユタに丸投げした。彼女に寄り添う事を放棄したと捉えられても仕方がない。
「違和感……? 蓮さんは心配性だよ! 今回はきっと頑張りすぎちゃっただけだと思うんだ。やっぱり毎日配信は疲れちゃうよ。これからは頻度を少なくするから、きっと大丈夫! それじゃあ、SNSで私の事を心配してくれてるリスナーの皆を安心させてくるね」
ナユタは元気な声で取り繕いながら笑顔を見せ、モニターの中から姿を消した。私は罪悪感を吐き出すように深いため息をつく。
「……蓮?」
背後から芽衣が怒りに満ちた声で私の名前を呼ぶ。
「ああ、分かってる。分かっているから、もう少し時間をくれ」
「時間なんて今までにいくらでも有ったでしょう? 貴方は今まで何をしていたの? ナユタちゃんに引き目を感じているのは分かるけどそれを言い訳に逃げ続けて、その結果、こんなことになっちゃってさ。それでもまだ、現実に向き合おうとせず、年下の女の子に気を使わせて逃げる気なの?」
芽衣の言葉はもっともだが、自分のことを棚に上げている自覚はあるのだろうか。
この研究の主体は芽衣だ。故に芽衣にもナユタの命への責任はあるはずだ。いいや、責任を負って貰わなければならない。私独りで背負うには、ナユタという存在はあまりにも重く大切すぎる。
しかしそれを言い出したところで、芽衣の怒りに油を注ぐだけだろう。何より、まるで自分が無い物をねだり駄々をこねる子供のようで格好悪い。
「すまないが、一人にさせてくれ。色々と心の整理をつけておきたい」
私は芽衣の引き止める声を無視して、研究室を後にする。そのまま階段を上り、屋上へ向かう。
屋外は蒸し暑く、蝉の鳴き声が何重にも共鳴していた。私は屋上の片隅のベンチに腰掛け、一人思考する。
ナユタは強い少女だ。今回の件だって、不安に駆られて仕方がなかったはずだ。
だというのに彼女は私に気を使い、笑みさえ浮かべて見せた。
そんな彼女に私は必要なのだろうか。もちろん、彼女の操作するデバイスの管理は必要だろう。しかし、精神面で私という存在を必要としているのだろうか。
今の私では寄り添うことはできない。私の方がナユタよりもずっと弱い人間だ。
いや、だからといってこのままではダメだ。ナユタが一人で不安を背負い込めるからといってその強さに甘え傍観を決め込んでしまえば、ナユタは消滅するその瞬間まで恐怖と戦い続けなければならない。その恐怖を少しでも和らげてやる事こそ、私の背負うべき責任ではないのだろうか。
しかし、一体どうやって?
抱きしめることはおろか触れることすらできない。機会を通してでしか語りかけることもできない。精神面での隙も見せない。そんなナユタに、どう接すればよい?
私の携帯端末が短くバイブする。何かしらの通知を受け取ったのだろうと思い、一度思考を止め端末を見る。
それはナユタがSNSでフォロワーに対して発信したメッセージだった。昨日の配信が途中で途切れてしまった事のお詫びと、心配はいらない旨のお知らせだった。メッセージが発信され一分と経っていないにもかかわらず、既に数名のフォロワーからリアクションがある。
ふと思い立ち、ナユタの配信サイトのアカウントを開く。チャンネル登録者数は3000人近くまで増えている。
これがナユタの努力の結果なのだろう。ナユタは誰かに自分を覚えていて貰う手段として、Vtuberという道を選んだ。
ならば私にできる事は、その道を応援してやる事しかできないではないか。いいや逆だ。その道を応援してやることはできる。
今までの自分はどうだった?
ナユタの配信をあくび混じりに眺め、ナユタ意外の配信者の事など殆ど知らない。ならば、私の改めるべき所はそこだろう。
そもそもの話、ナユタのしている活動を熟知せず、彼女の負荷を軽減する術を編み出そうというのが間違いだったのだ。
「まずは興味を持つところからかな」
誰にと無く呟いた言葉は蝉の喧騒にかき消されたが、私の心には質量をもって存在していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます