第30話 見つかったもの 前編
田辺と鍋島は病院を出て、駐車場へ歩いて行くと丁度、吉村と佐竹に会った。
「お見舞いですか」
吉村が聞いてくる。
「検査結果を聞きに」
「結果はどうでしたか」
吉村の声は今までよりも穏やかだった。
「異常はないそうです。様子をみるために一週間ほど入院はするようですが」
「そうでしたか。では、話を聞くのは大丈夫そうですね」
「はい」
「柏木さんのことは?」
「まだ、話していません」
鍋島と相談して、落ち着くまで内緒にすることにした。
「では、私たちも話すことは止めましょう」
吉村と佐竹は顔を見合わせて頷いた。
「ありがとうございます。今は、みんなに出来るだけ動揺を与えたくないので」
「分かりました」
では、と言って吉村と佐竹は病院の建物に向かう。田辺は鍋島が運転する車に乗ってホテルまで戻る。
「柏木さんの部屋にあった、名前は松川明美の偽名だったのですね」
田辺はメモに書かれていた名前を調べると本館に宿泊していたことが分かった。何か手掛かりはないかと宿泊記録を調べていくと松川の住所が書かれていたのだ。
早苗のもう一つのロッカーに隠されていたボイスレコーダーを聞いて、松川と早苗のつながりが分かった。
柏木は不正の証拠を集めていた。それをある人物に話していて海に落ちていたところを偶然通りかかった漁船に救出されていた。
助け出されていた直後は意識があり、鍋島の名前を告げ、このことは内緒にしてほしいと言われたそうだ。
船長は事情があると考え、鍋島にだけ連絡を入れた。鍋島からも口止めをされていたため、船長は誰にも話さなかった為、柏木は行方不明のままになっていた。
鍋島に連れられて、隣県の病院に入院した柏木は病院に着くころ意識を失っていて事情を聴くことができずにいた。
田辺は鍋島から連絡を受けていたが、柏木の身の危険を考えてすべてを秘密にしていた。しかし、早苗と倉田が殺されたことで警察に事情を話したが、警察でも柏木が誰と会っていたのかまでわからないままだった。
田辺と鍋島が柏木のマンションに何か手掛かりがあるかも知れないと探しに行こうとした日、柏木の意識が戻ったと病院から連絡を受けて急いで鍋島が駆けつけた。
柏木からは不正は偽装されたものでそれを調べていたと言った。その証拠がマンションに隠してあると。更にあの夜、会っていたのは社長で不正が偽装されたことは倉田も知っているとはなし、再び眠りについたという。
柏木のつらそうな様子から、鍋島は倉田が殺されたことを話すことが出来なかったと言っていた。
柏木はホテルを辞める前に、池内麻耶という名前を倉田から聞いたと言っていたそうだ。倉田は偶然、早苗と松川が不正を偽装する話を聞いたようだが、それを柏木に伝えたのが、柏木が辞める数日前。その頃から柏木は不正について調べていたようだ。だから、宿泊データを消される前にデータのコピーを取ることが出来たのだと思う。
「本館に偽名を使って、宿泊していたのが半年前です。その頃から計画されていたことになります。早苗と松川が知り合ったのも丁度その頃だと思います」
田辺が鍋島に伝える。
「それにしても、酒井はどうして松川とそんな話になったのですか」
田辺もそこが気になっていたが、簡単なことだった。
「山本弥生の前の職場も瀬田と松川のターゲットにされていたようです。その会社では瀬田の行動に不信感を持ち、関わるのを止めたらしいのですが。瀬田達は次のターゲットを探す途中で弥生を見かけたそうです。弥生が前の職場で不正をしていたことを知っていた松川は弥生を探っていたら早苗に脅されているのを目撃して、利用できると思われたのでしょうね。丁度その頃に瀬田が社長に近づいていたようですし」
「もし、前の職場に瀬田と松川がうまく取り入ることが出来ていたら、そこで山本は利用されていたということになりますか」
「そうですね。どちらにしても、弱みを握られて利用されることに変わりはなかったということです」
田辺は弥生の不正があまりにも手際がいいので、それとなく前の職場に探りを入れてみた。そして分かったのは、弥生は前の職場でも不正をしていたという。弥生は不正が見つかりそうになり、前の職場を辞めたが、丁度その時、瀬田がその会社の社長と懇意にしていたらしい。
しかし、その社長はあるときから取り合わなくなったと聞いた。松川が本館に宿泊する少し前のことだ。
「山本は別館の責任者を見返りに偽装に協力していたのでしょう?」
「そうだが、それは早苗との話だけで、早苗は松川に自分を別館の責任者にするように迫っていた。だから、瀬田も早苗を責任者にするしかなかったようです」
「河田料理長の見返りも酒井早苗との話だけだった?」
鍋島は確認するように聞く。
「瀬田や松川もその話は聞いていなかったようです。さすがにそこまでは瀬田達も入りこめなかったのでしょう」
田辺はその話を河田から聞きだした時、一緒にいた総料理長の言葉を思い出していた。
【そんなことで手に入れた地位は何の意味も持たない】
総料理長だから言える言葉なのかもしれない。
「そういえば、あの後大変だったですよ。河田を指導していた木内副料理長は責任を取って辞めるとまで言いだして、責任を取るのは自分だと佐伯総料理長まで言い出す。何とか他の料理長たちと説得して思いとどまってもらいましたが、あの二人に辞められたらうちのホテルは食事を出せなくなります」
「それ、総料理長が副料理長を辞めさせないために仕組んだことかもしれませんよ」
鍋島はあの人ならやりかねないと言って笑う。
「あるかも知れません。いや、絶対そうですね。自分はまた、総料理長に嵌められたのですね」
「総料理長はどうしてあの時、私が柏木を抱えて歩いていたことを話さなかったのでしょうか」
総料理長はイベントの取材の時、漁港で鍋島を見かけたと言ってきた。その時は柏木のことがばれたと思って焦っていたが、総料理長は柏木のことに触れることなかった。
「訊いてみたのですが。それは、鍋島さんと私が何をしようとしているのか分からなかったからと言っていました」
「分からない、ですか。食えないお人だ。ちゃっかり菅田さんを見張っていたりしていたのでしょう?」
松川の偽名のことが分かってから、菅田を関わらせるのは危険だと思い、何もするなと言っておいたが、菅田は一人で河田の行動を監視していた。そしてそれを見ていたのが総料理長だった。だから、あの時、菅田の傍にいることが出来たのだ。
あの後、河田は副支配人室に忍び込んだのは確かだが、十年前の料理のメニューは作ってもいないし部屋に置いてもいないと言っていた。
河田ではないとあの十年前の料理のメニューはどんな意図があったのか。それだけが分からないままだった。
昨日、総料理長と今後の打ち合わせをしている時に何気に訊いてみた。
「そういえば、十年前の料理のメニューですが河田料理長が作ったものではないと言っていました。誰が何のためにあの資料を作って部屋に置いたのでしょうか」
田辺は河田だと思っていたので、その考えが違っていたことで誰が何の目的で置いたのかさっぱり分からなくなっていた。
特に答えを期待して言ったわけでもないが総料理長から答えが返ってきた。
「ああ、あの十年前のメニュー、私が作りました」
突然の総料理長の告白に田辺は訊き間違いかと思った。
前に田辺が聞いたときは、メニューを考えたのは自分だが、資料は作っていないとはっきり言っていたはずだ。
「すみません。作ったことを忘れていました」
追い打ちをかけるように言う総料理長に「はあ」と気の抜けた返事をして総料理長の部屋を後にした。
部屋を出てから、我に返った。
「えっ? どうして作ったことを忘れる?」
更に訳が分からなくなった。部屋に置いたのは何のためだ?
しまった。あまりのことに、そこを聞き忘れた。今から戻って訊くのも気恥ずかしくなって止めた。
確かあの時、田辺は例の扉を探していた。その扉を見つけるきっかけになったのがあのメニューだ。しかし、田辺が思い出したのは、前の総支配人との会話でその場には総料理長はいなかったはず。
もしかして、あの時の会話を聞いていた?
そう言えば、扉を探している時に総料理長に出会っている。
総料理長はあの時のことを思い出させるために十年前の料理のメニューを部屋に置いたのだろうか。
まさか?
田辺は振り返って、総料理長の部屋を見る。総料理長は何を知っていたのだろうか。そんな疑問が湧いてきた。
「食えない人。本当にそうだな」
思わず笑みがこぼれる。
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