第29話 脅迫 後編
田辺は部屋を出て、別館のフロントまで行く。
さっき、河田を追いかけているエレベーターの中で瀬田の連絡を入れておいたのだ。
別館のフロントに瀬田が立っていた。
「お待ちしておりました」
「菅田さんが怪我をされたそうですが、何があったのですか」
別館のフロントにいた二人には先程、河田のことは何も言うなと口止めしていた。それを守ってくれたようだ。
「救急車で運ばれました。宇佐美がついているので何かあれば、連絡が入ると思います。部屋で話しませんか」
田辺は瀬田を連れて副支配人室ではなく隣の会議室へ行く。
瀬田は何も疑うことなく田辺の誘いに乗った。
会議室には松川と渡辺、ケーブルテレビの今西がいた。
大きなテーブルを囲むように椅子が置かれた状態で松川と少し離れて渡辺が座っている。今西はその二人の間で立っていた。
「遅くなりました」
瀬田が会議室に入ってから、田辺が言うと待ちくたびれましたと今西が笑う。
「どういうことですか」
瀬田は明らかに不機嫌な様子だ。
その直後、会議室のドアが開き、総料理長に連れられて河田が、鍋島に連れられて弥生が入ってきた。
瀬田が振り返り、入ってきた人物を見て、いつもの表情に戻った。
松川は入ってきた人物を見ようとはしなかった。松川もこの状況が許せないのだろう。明らかに苛立っているのが分かる。
「どうぞお座りください」
田辺は瀬田達に着席を促す。しぶしぶ空いている椅子に座る。
「山本さんと河田さんから先程、話を聞きました。お二人もご覧になりますか」
田辺がそう言うと、会議室の壁側に置かれたディスプレイにさっきまでいた副支配人室での出来事が映し出された。
瀬田は表情を変えることなく、弥生や河田の話を聞いているが、松川は弥生を睨み付けていた。
すべてを見終わった後、田辺は松川に問いかけた。
「何かおっしゃりたいことはありますか」
「私が関わったという証拠は? あの人がそう言っているだけでしょう」
松川が弥生を指さし、ヒステリックに言う。
「証拠ならありますよ」
田辺はそう言いながらボイスレコーダーをテーブルの上に置いた。
(書類を偽装すれば、総支配人をクビにすることは簡単よ。別館の責任者も共犯と言うことにすれば早いわ)
(書類を差し替える準備は出来ています。いつにしますか?)
(明日、出来るかしら)
(大丈夫です)
声の主は松川と早苗だった。
松川の表情がどんどん変わっていくのが分かった。特徴のある声と話し方。ここにいる人物全員がボイスレコーダーの声が松川だと分かるものだった。
あるスタッフがロッカーを二つ使っているのを偶然見かけた田辺は、早苗もロッカーを内緒で二つ使っていなかったか調べてみた。そこで見つけたのがこのボイスレコーダーと木内副料理長のファイルから抜き出したと思われる資料が見つかった。
早苗は保険のつもりだったのだろう。
「別館の責任者にと早苗に言われたのではないのですか」
松川は顔を背けたまま無言だった。
田辺はボイスレコーダーの続きを流した。
(私がお教えしなければ、この部屋での会話はすべて聞かれていたことになりますね)
(何が言いたいわけ)
(そうね。今、これ以上役職がついたら不審がられるから、お金でもいただこうかしら)
(分かったわ)
(いつにします)
(連絡するわ)
(ダメよ。そう言って約束を反故にする気?)
(分かった。明後日、漁港の近くの公園で)
早苗は弥生が仕掛けた盗聴器のことで、松川を脅していたことになる。そして、松川は公園で待ち合わせをしたことになる。
早苗の足跡が残っていたところに、松川の足跡があれば、早苗を殺したことを証明できるだろう。
松川を見るが、無反応だ。
「このボイスレコーダーはこの後、警察に届けます。松川さん、あなたのことは警察が調べることになります」
田辺はもう一つの音声データを流した。
(そちらの鍋島さんと今西さんの取材先を教えていただきたいのですが)
こちらの声も松川だ。
柏木のマンションへ行ったときに、鍋島が持ってきたものだ。
倉田の遺体を発見する前日に会社にかかってきた電話だという。鍋島曰く、倉田があの山中に埋められたのは偶然ではなく必然だったのではと。
声を聞いて田辺はすぐ、松川だと分かった。こちらも少し特徴のある声と話し方。
「倉田の遺体を埋めたのは、瀬田さんあなたですね」
「私は何もしていないですよ。今出てきているものに私の名前がありましたか?」
瀬田は不遜な笑みを浮かべて田辺をみる。瀬田は証拠が残らないように細心の注意を払っていたのだろう。早苗に指示を出すのは主に松川で、そこに瀬田は一切関わっていない。
松川も早苗以外にこの偽装のことを話すことはなかったようだ。それだからこそ、早苗は松川との会話を残していたのだろう。何かあったときの為に。
「証拠はこちらに」
鍋島がそう言うとディスプレイに今度は暗がりの中で瀬田と松川がぐったりとした倉田を運び出している様子が映っていた。
「あの山は松茸が取れると、この近辺では知らない人はいないのですよ。その為、盗みに入る人がいるのです。防犯カメラが設置されていましたが、前日に壊されているのが分かって地主とその知り合いたちが、見回りをしていたそうです。その見回りをしていた車のドライブレコーダーにあなたが倉田さんを車から降ろしているところが映っていました」
倉田を山に埋めたという証拠がどうしても出てこなくて焦っていた田辺だが、鍋島と今西が何か手掛かりがないか地元のネットワークを使って調べ上げた物だ。
「倉田を殺したのはあなたですね。瀬田さん」
瀬田は小さく息をした。それを見て今西は小さくガッツポーズをしていた。
田辺の目に涙が浮かんできた。これで、早苗と倉田のことは解決に向かうだろう。
田辺は翌日、入院中の菅田を鍋島と見舞った。
「なにやってたんだ」
田辺が聞くと菅田が「河田を見張っていました」と言った。
ここに来る前に総料理長に話を聞いてきた。総料理長も同じことを言っていた。
菅田が河田を見張っていることに気がついた総料理長は菅田が無茶をしないように様子を伺っていたそうだ。
河田が副支配人室に忍び込むために別館から従業員通路へ行くところを菅田が見つけて声をかけたところ、河田は持っていたスパナを菅田の頭めがけて振り下ろしたという。その後、河田は逃げ出したが、菅田はそれを追いかけ、総料理長はその菅田を追いかけていたところへ、田辺がやってきたという。
「危険だから関わるなと言ったはずだ」
「しかし!」
「田辺さんは菅田さんの身に何かあってはと思って、関わるなと言っていたのですよ。これ以上誰かを死なせたくないという思いから」
鍋島も菅田を諭すように言う。
「柏木さんの不正を調べていて倉田が殺されたのだぞ。お前も殺されていたかもしれないのに」
「田辺さん。もういいじゃないですか。検査の結果も異状は見られなかったのでしょう」
「そうだが」
鍋島の言うことは分かるが、田辺は怒りの納めどころが分からず菅田を睨み付ける。隣で鍋島が笑っていた。
「もうしばらく入院していろ!」
「でも、別館は二人も抜けて、そのうえ私までとなると」
菅田は申し訳なさそうに言う。
「菅田さん、大丈夫です。私の知り合いが以前、ホテルに勤務していた人がいまして、その方に暫く来てもらうことになりました。それに、本社の方も来てくださるのでしょう」
鍋島が田辺に確認するように言う。
「前の総支配人が落ち着くまで来てくれることになった」
やっと納得した菅田だが、まだ何やら呟いていた。
「しっかり治してから戻ってくればいい。帰ってきた時にやることは沢山ある」
「はい」
救急車で運ばれた時、本当は田辺がついて行きたかった。しかし、あの時田辺にはやることがあった。柏木を陥れ、早苗と倉田を殺した犯人を見つけるという仕事が。
副支配人室で弥生たちに話している時も、会議室で松川や瀬田に話している時も菅田のことが気になって仕方がなかった。
すべてを終えた後に、響子から菅田は無事だと連絡が入ったときは力が抜けて座り込んでしまった。
その後、鍋島達が協力してくれて、警察に連絡。集めた証拠の品と、今西がとったビデオを証拠として提出した。
副支配人室に忍び込んでくることは分かっていたので、松川を予め会議室に呼び出して見張っていた。そして、渡辺も弥生のことで証言が必要になってくるかもしれないので、あの場で待機してもらっていた。
すべては、瀬田をおびき出すために。
本当は、松川をだしに呼び出すつもりだったが、菅田が怪我をしたことで、それを利用することを思い立った。
河田を追いかけている最中だったので、田辺はかなり焦っていたが、それが功を奏したようだ。
菅田が襲われたというだけで、瀬田は飛んできたのだから。今思うと、瀬田にも心があったのかと思えてきた。
倉田を山に埋めたくらいの人だ。菅田が襲われたくらいですぐに来るとは思っていなかった。もし来なかった時は、当初の予定通り松川をだしに呼び出すつもりでいた。
田辺はイベントの時に流したとされる噂について鍋島に訊いてみた。どんなふうに広めたのかと。
「菅田さんが、効率よく広めるには、話好きの人に聞かせるのが一番だと言っていました。それで、話す内容と、誰に聞かせるか。それも、自分たちが広めたと思わせないようにと言ってマニュアルみたいなものをいくつか用意してくれて」
鍋島と今西がターゲットを絞って、バザー会場の人に広め始めたという。菅田は本館に来た人に広めて、それを従業員に聞かせるという。菅田らしいアイデアだ。
「面白かったですよ。あっという間に広まって。最終日にはホテルの従業員の方が話しているのを何人も確認できました」
やはり鍋島達にはあの噂を流すのが楽しかったようだ。あのおかげで犯人をあぶりだすことが出来た。瀬田もその話を聞きつけてくるとは思っていなかったが。
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