第25話 記録 後編

「副支配人。最終確認をしたいのですが」

「部屋に行こうか」


 夜の見回りをしていた時、そう言いながら菅田が声をかけてきた。少し離れたところには松川がいるのは確認済みだ。必要以上の会話を避ける。

 見回りを途中で切り上げて菅田と二人で副支配人室へ行く。イベントを三日後に控え、田辺は何処か落ち着きがなかった。

 部屋に着いてから菅田は持っていた書類をテーブルの上に置き、ソファーに座った。


「今日の午後、総料理長がやって来てイベントの準備はすべて出来たと言っていた」

「そうでしたか。本館もすべて手筈を整えています」

「一週間何とか乗り切らないと」

「そうですね。ところで、以前話していたことですが」

「何か分かったのか」

「偽の宿泊記録を別館に戻したのは早苗ではないようです。宿泊記録が戻った時間を考えると早苗には不可能だと分かりました」

「早苗ではない? 中の書類を作った者がいるはずだがそれも早苗ではないのか」


 菅田は続けて言う。


「柏木さんが宿泊記録を持ちだした日、確かに早苗は一度ホテルに戻っているようですがそれも数分です。忘れ物をしたとかで。警備室の者が覚えていました」

「早苗以外の誰かが偽の宿泊記録を作って戻したということか」

「偽の宿泊記録を作成した人物と副料理長の部屋の書類を作成した人物が違っていたので日付に相違があったのだと思います」

「副料理長のファイルには元からあった顧客の情報が抜き取られた形跡があった」

「どうして元の情報を抜き取ったのでしょうか。わざわざそんなことをしなくても、不正の書類を作るだけでも良かったのでは?」

「俺もそれは考えた。もしかして元の情報の上に不正の顧客情報を上書きしたとしたらどうだ」

「上書きですか、それならその上書きした人物が宿泊記録の偽装をしたことになりますね」

「だが、副料理長のファイルは日付が違っていた」

「その人物が副料理長のファイルを偽装し、副支配人の部屋に侵入した者でしょうか」

「それも含めて、副料理長のファイルの書類を偽装して入れ替えられる人物だと言うことだ」

「書類は本館の事務所のプリンターが使われていたと思います」

「どういうことだ」

「あの書類のインクの後です。丁度あのころ、本館の事務所で使っているプリンターの調子が悪くて、紙の隅にインク染みが出来ていました。副料理長の書類にもそれが見受けられました」


 田辺は引き出しから副料理長の書類を取り出した。確かに隅にインクの染みがあるものとないものがあった。


「早苗が事務所で一人、何かをしていたというスタッフがいました。インク染みが出ていた時期と、早苗が事務所で作業をしていた時期が一致します。それは柏木さんが辞めた直後です。しかし当時、早苗は本館担当で副料理長のファイルを知っていたとは考えられないのです」


 確かに、早苗が副料理長のことを知っていたとは考えられない。


「そう言えば、過去の料理の研究がしたいと言って、総料理長から資料を借りた人物がいることが分かった。その資料には十年前の料理も載っていたそうだ」


 田辺は先程総料理長から聞いたことを菅田に伝えた。


「それは誰ですか」

「イタリアンレストランの河田料理長だ」

「河田料理長が?」

「十年前の料理のメニューを作ったのが河田料理長なら、部屋に忍び込んだのは河田料理長の可能性が出てくる」

「河田料理長なら副料理長のファイルのことは知っていますよね」

「そうだ。しかし、河田料理長の目的は何だと思う」


 河田は一年程前に料理長になり、ホテルの敷地内にある完全個室のイタリアンレストランの料理長をしている。このホテルに五人いる料理長の中でも一番若い料理長だ。


「副料理長のファイルを偽装した理由は分かりませんが、部屋に忍び込んだのはファイルを取り戻すためかと」

「証拠がいるな」


 河田が何をしようとしていたのか。副料理長のファイルと十年前の料理のメニュー、これが意味するのは何なのか。


「本館の方をもう少し探ってみます」


 菅田は何かを掴んでいるようだった。


「別館の宿泊記録は自分が調べてみる」


 田辺は柏木の不正のことに一番関わりがあるように思える宿泊記録に疑問を感じていた、それに渡辺の行動も気になる。


「イベントで何か動きがあるでしょうか」

「十年前の料理のメニューか、副料理長のファイルを狙っているのかもしれない」

「どちらにしても、この部屋が狙われていることに変わりはないでしょうね」

「対策は考えている」


 田辺は不敵な笑みを浮かべる。

 イベントで田辺は本館の手伝いに入ることになっていてその間、執務室は誰もいないことになる。いくら鍵を新しくしたと言っても、それだけでは安心できない。鍋島とも話してその間、誰かが忍び込む可能性を考えて、初日は鍋島の幼馴染の鍵屋が副支配人室で待機してくれ、二日からは鍋島と今西が交代で副支配人室を見張ってくれることになっている。


 イベントの前日、田辺は本館のフロントへ行くと菅田が駆け寄ってきた。


「少し、外で話しませんか」


 菅田はそう言うと本館を出て広場の一角へ歩いて行く。丁度、向かい側に河田のレストランが見えた。広場では明日からのイベントの準備が進められていた。広場を眺めながら二人で並んだ。


「河田料理長がプリンターを借りに来ていたようです」


 菅田は広場を見ながら言う。


「では、副料理長のファイルは河田料理長の可能性があると言うことだな」

「そうです。早苗の関わりを証明するものが無くなりました」

「しかし、それならどうして早苗は殺されたのだ」


 早苗が関わっていたと思われていたことが違っていた。早苗の殺された理由が見当たらない。早苗は一体何をしたのか。


「もしかしたら、早苗はもっと別の理由で殺されたのでは」

「別の理由……」


 早苗は響子の後任で別館の責任者になった。その異動はかなり異例だった。その直後、早苗は殺されている。

 別館の責任者だった響子はクレームを理由に担当を外された。後任の早苗は殺されている。そこに何か理由があるとしたら。

 松川がクレームを言ってきた時、早苗は別館にいた。あれはどういうことか。何かが田辺の脳裏で弾けた。


「逆だ!」

「逆?」

「響子が別館の担当を外れたから早苗が後任に決まったが、それが仕組まれたことならどうか」

「仕組まれたこと」

「早苗が別館の責任者にするため、響子を排除した。その後、何かあって早苗は殺されたとしたら」

「あの時、早苗が別館に居たようですね。それなら、仕組んだのは瀬田さんでしょうか」

「否、瀬田さんはあの時、予定外だと言っていた。響子はあくまでも不正の証拠を固めてそれで処分すると」

「瀬田さんは不正があったと思っているのですね」

「そうだ。その証拠だというものも持っていた」

「副料理長のファイルから書類を抜き取ったのは河田料理長だろうな」


 副料理長のファイルと柏木が残した別館の宿泊記録から二つの不正が存在することは菅田に昨日話していた。


 昨日、鍋島と柏木のマンションに行ってきた。本当はもっと早くに行くつもりだったが、鍋島に急用が出来たのと、田辺はイベントの準備に追われていたため昨夜になった。

 田辺はホテルの仕事を終わらせてからホテルを抜け出して鍋島と合流してから柏木のマンションへ向かった。


「柏木が隠すところと言ったら、多分ここだと思います」


 そう言って鍋島は本棚の中に並んだトロフィーを数個取り出す。どれも高校や大学でとったもののようだ。

 田辺はそこで初めて知った。柏木は国体まで出た短距離ランナーだと言うことを。

 鍋島が本棚から出していくトロフィーを手に見ていく。いろいろな形のトロフィーのどこに隠すところがあるのかと首を傾げた。


「そっちではないです。こっちです」


 鍋島はいつの間にか本棚に並んだトロフィーをすべて出していた。


「見ていないで、手伝ってください」


 何が何だか分からずに、鍋島から手渡される本を次々と床に並べていく。気がつくと棚二段分の本が出されていた。

 鍋島は本が入っていた奥の板を動かし始めた。しかし、なかなか取れないようで、拳で板をたたき始めた。呆然と見ている田辺に再度鍋島から声がかかる。仕方なく、田辺も鍋島と同じように拳で板を叩き壊す。破片となった板の隙間から茶封筒が出てきた。

 鍋島はその茶封筒を取り出し、開いている床に座り込んだ。田辺もその隣に座る。

 茶封筒に入っていた物は柏木が調べ上げた物だ。

 鍋島と二人でその書類を見る。


「田辺さん、これは」


 田辺は鞄から別館の宿泊記録と副料理長のファイルを取り出した。

 鍋島と二人で全ての顧客の書類を床に並べていく。柏木が調べた物は別館の宿泊記録にある顧客だった。それにより、副料理長のファイルにある顧客の一部の人は宿泊していないことも分かった。


「柏木は短期間でこんなにも調べていたのですね」


 田辺も驚いた。不正があったと思われる顧客の記憶を頼りに、宿泊時の行動を調べ上げていた。

 それはどの人に不正が行われたのかもある程度分かった。その反対も。副料理長のファイルの中で偽装されたものも分かってきた。不正は行われていたのだ。

 書類をすべて見終わると、最後のページにメモが挟んであった。


「これって」

「何でしょうか。それよりこれ」


 田辺は鍋島に訊く。

 先ほどから鍋島が見ていたのは茶封筒に入っていたUSBだった。


「これって」


 鍋島は鞄からパソコン取り出し起動しUSBを差し込んだ。画面に現れたのは別館の宿泊データだった。


「消される前ですか?」

「多分、そうだとおもいます。日付は柏木さんが辞める二週間前のものです」

「鍋島さん」


 柏木がここまで調べたことをそのままには出来ないという強い思いが湧いてきた。


「やりましょう」


 鍋島も力強くいう。

 柏木のマンションで見つかったメモが気になり、マンションから戻ると何か手掛かりがないかとホテルの宿泊記録を調べてみた。そこで分かったのが【池内麻耶】は半年前に本館に宿泊して、その時の受付担当が倉田だと分かった。

 これが何を意味するのか分からなかった。多分、柏木も分からなかったのだろう。しかし、不正の証拠と共にあったと言うことは何か関係があるはずだ。

田辺は調べられるだけ【池内麻耶】のことを調べ上げた。

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