第23話 偽装 後編
田辺は本館のフロントへ電話をかけると運よく響子が出る。
「すまん。気になることが出てきた。傍に誰かいるか?」
「誰も」
「あの時間、渡辺智子は何処にいた」
「医務室。ごめん、瀬田さんが来たわ。切るね」
田辺は響子の慌てた言葉で驚いた。既に日付が変わろうとしている時間だ。どうしてこんな時間に瀬田が来るのか。田辺は急いで、宿泊記録を隠した。今までのことを考えると瀬田がこの部屋に来る可能性は高い。田辺が調べていることも手にしている物も知られる訳にはいかない。
椅子から立ち上がり、急いで部屋の中を見渡す。どこかに見落としはないかを確認し、もう一度椅子に座りなおし、深呼吸を何度かして気持ちを落ち着かせる。
響子はうまく誤魔化せただろうか。それにしても、医務室とはどういうことだろうか。
瀬田が来ている今、下手に動かない方がいいと思った。田辺は、総料理長が出してきたメニューを見る。
ドアがノックされる。田辺は立ち上がり、ドアを開ける。瀬田が立っていた。
「夜分遅くにすみません。今いいですか」
瀬田が来た理由が分からないが、田辺は部屋へ招き入れた。ソファーに座ると瀬田が口を開いた。
「最近、副支配人がホテルに泊まり込んでいるとお聞きしまして」
「誰が言っていましたか」
瀬田にそのことを知らせたのは内通者だろう。瀬田が話すとは思えないが一応聞いてみる。
「何人かから副支配人が夜遅くまで仕事をしていると」
「そうでしたか。最近、いろいろありましたから」
田辺は誤魔化した。
「急ぎお見せした方がいいと思いまして。これを」
そう言いながら瀬田は鞄から書類出して、田辺に見せた。
「これは!」
「何とかお願いできますか。社長が考えられたものです」
書類にはイベントの内容と、取材を受けると言うものだった。
「イベントは出来るか確認してみます。取材は、多分大丈夫だと思います。鍋島さんに連絡を入れておきます」
田辺は柏木が以前、言っていたことを思い出した。
社長はどこかで聞いたような企画を出してくると。こういうことかと思った。社長が出してきた書類には先月近辺のホテルで開催されたものと酷似している。このまま開催して、問題ないか少し調べた方がいい。
「よろしくお願いします」
では、と言って瀬田は帰って行く。田辺はこの為だけに来たのかと不思議に思った。ドアを閉めてから、田辺は瀬田がこんな時間来たことが気になってきた。もしかして昨夜の侵入者は瀬田なのかと思った。それで様子を探りに来たのだとしたら……。
部屋の窓から外を見る。瀬田が駐車場へ歩いて行くのが見える。
あの書類を持ってくるだけでこんな時間にくる必要があったのか。響子の話だと本館から入ってきたのが分かる。それが何を意味するのか。
田辺はもう一度、部屋の戸締りを確認して寝ることにした。
明日の朝、響子に確認してみよう。そんなことを考えているうちに眠りについた。
翌朝、田辺はいつものように朝食を買いに売店に向かう途中で響子に会った。
「夜、瀬田さんが来た時、何か言っていたか」
「特に何も。ただ、いつまで夜勤を続けるのかと聞かれた」
「それでなんて、答えたのだ」
「私が決められるものではないと」
「そうか。で、納得したか」
「納得したか分からないけど、それ以上は何も言ってこなかった」
「それならいいが。夜勤まだ続けるか」
「私はこのままでもいいけど」
「どちらにしろ、イベントの時には昼の勤務になってもらわないといけないから。どこかで変えるようにするよ」
「わかった」
田辺は響子と別れた後、売店で朝食のパンとコーヒーを買って部屋に戻る。パンを食べながら、瀬田が持ってきた書類に目を通す。
瀬田はこれを田辺にやらせる為に持ってきたのだろうか。田辺は残っていたコーヒーを飲みほした。
ドアがノックされて、入ってきたのは菅田だった。
「イベントのこと聞きました。決まるのが以外に早かったですね」
菅田は手にした書類をテーブルに置きながらソファーに座る。田辺は先程まで見ていた書類を菅田に見せた。ソファーに座りながら。
「昨夜、瀬田さんが持ってきた。それもイベントに加えるようにと」
「これって」
菅田が田辺をみる。
「先月、この先のホテルで開催されていたものと同じだ」
「これをそのままやるのはまずいのでは」
「そうだ。どうしようか迷っている」
「社長ですか」
「そうだ」
「こんなことはなくなったのではないのですか」
菅田の言いたいことはわかっている。社長がこのホテルに来た時から何度か出してきた企画がいつもどこかで見たようなものばかりでその度に柏木が止めていたのだ。この半年ほどはそんな話は聞かなくなっていた。
「無くなったはずだ」
「どうして今更」
「分からないが、持ってきたのは夜一時すぎだ」
「そんなに遅くに。何か理由がありそうですね」
「理由か」
「踏み絵みたいですね」
菅田の言葉にはっとする。
「踏み絵か。そうかもしれないな」
「社長に従順な者かどうか。もし違うならクビでしょうか」
菅田が笑いながら言う。
「柏木さんの疑いも晴れていないし、早苗や倉田を殺した犯人も見つかっていない。まだ、辞めるわけにはいかない」
「同感です」
田辺はこの踏み絵は誰に対してなのか考えていた。
「どうしますか。それ」
菅田は目で資料を見ながら言う。
「探りを入れてみる」
「で、この後どうしますか」
「昨日言っていたこと、響子は関わっていた」
「それはどういうことですか」
「柏木さんは不正をしていない。それを確かめるために別館の宿泊記録を響子から借りていた。しかし、翌日それは別館に返却されていたという」
「宿泊記録?」
「別館に返却された宿泊記録は多分、偽物だ」
「偽物ってどういうことですか」
「理由は言えないが別館の宿泊記録をみた。別館以外の場所で」
「別の場所にあるという宿泊記録の方が偽物と言うことではないのですか」
「別の場所にある宿泊記録は、領収書に顧客のサインがあった」
「以前、聞かれたのはこのことですか」
菅田は以前、田辺が聞いたことを思い出したようだ。
「そうだ。だからだ」
「別館に偽の宿泊記録を戻したのは柏木さんではないのですか」
「柏木さんは多分、そんな時間はなかったはずだ。響子から宿泊記録を受け取ったのは午後九時過ぎ」
「あっ!」
菅田は社長が来た時間を思い出した。
「しかし、それなら宇佐美さんが柏木さんに宿泊記録を渡したことを知っていて、翌日までに偽の宿泊記録を作成して戻すことが出来る人物ということになりますね」
「そうだ。響子は柏木に宿泊記録を渡した時は誰もいなかったと言っていた」
「誰も?しかし、別館の夜勤は二人体制のはず」
「その日の担当は、渡辺智子と倉田だ」
「倉田?」
菅田は何かを思い出した。
「柏木さんが辞める前日の話ですよね」
菅田はそう言いながらスマートフォンで何やら操作していた。
「多分、その日、倉田は早苗を見たのだと思います」
「早苗を? しかし、早苗はもっと前に退社していたはずだ」
「一度帰った後、もう一度戻ってきたとしたら。倉田が以前、夜勤の時に早苗を見たと言っていたことがありました。記憶が曖昧ですが、確かこのころだったと思います」
「もう一つ、渡辺は響子に体調が悪いと医務室に行くと言って別館を離れている。その時間は九時ごろから十時過ぎ。ただ、渡辺は医務室に行っていない」
「行っていない?」
「医務室に行こうと思ったが、途中で体調が良くなったとかで別館に戻ったと言っていた。しかし、時間的に響子の話と辻褄が合わない」
「渡辺智子も怪しいですね」
「柏木が宿泊記録を持ちだしたことを見ていたとして、偽の宿泊記録をその夜に作っていたとしたら、倉田に気づかれるはずだ」
「そうですね。もし、柏木さんが返却してきたら、偽物がばれてしまいますよね」
「柏木が返却していないことを知ることが出来る人物」
「それだと渡辺くらいだが、いつ偽の宿泊記録を作れるのか」
「別館のフロントが不在の時、本館へ電話が転送されるだろ。そうすると、別館のフロントに人がいないことが分かる」
「本館の者も怪しいと言うことになりますね」
菅田は私が調べてみますと言ってきた。
「倉田は相手にとって都合の悪いことを見つけたのだと思います。そこも調べてみようと思います」
「いいのか」
「副支配人が動くより、この件は私が動いた方が怪しまれません」
田辺は納得した。
「調べられる限りやってみます」
菅田はそう言うと、部屋を出て行った。
田辺は柏木のことを調べることを一旦止めて、イベントのことに集中することにした。
瀬田には持ってきた企画を少し手直ししたいというとあっさり許可が下りた。田辺としては、もっと何か言われるのではないかと身構えていたが、拍子抜けに終わった。社長の取材も鍋島に話すと、すぐに動いてくれた。
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