第22話 偽装 前編

「倉田のことを調べている人物がいます」


 菅田の言葉にもう驚くことはない。次々に出てくる情報にどれだけ人を見ているのかと疑問に思う。


「誰だ?」

「宇佐美さんです」

「響子が?」


 どういうことだろうかと思った。倉田が何かを調べていたことを知っている人物こそが、倉田を殺害した者だと思っていた田辺は驚き、響子がどうして倉田のことを調べているのか気になった。


「宇佐美さんは倉田とペアを組んで仕事をしていることが多かったので、多分それで倉田の行動に気がついたのだと思います」

「それで、響子の様子はどうだ」

「今のところ特に動きはないです」

「響子は倉田のことを調べてどうすると思う」

「なんとも言えないですね。まだ、副支配人や私のことを疑っているようにも見えますから」

「疑っているか」


 それなら一番に調べられると思っていたが、それらしき行動もないと菅田は言っていた。倉田はそんな響子が怪しむほどのことを調べていたのか何かしていたということになる。


「宇佐美さんは柏木さんの不正について何か知っているのではないでしょうか」

「柏木さんの?」

「はい。宇佐美さんが副支配人や私を疑うような何かです」

「どういうことだ」

「柏木さんの不正に関わる重要な何かです。柏木さんが不正をしたと考える何か」


 柏木の不正に関わる重要なことだと宿泊記録のことくらいしか思い浮かばない。

そう言えば、あの宿泊記録はどうやって別館から持ち出したのだろうか。いくら総支配人と言え、別館の事務所にある物を無断で持ち出すことは容易ではない。それも多分、急に宿泊記録を見る必要が出来たのだと思う。その為、あの扉の中に投げ込むように入れられていたのだろう。そう考えると、誰もいない時を見計らって忍び込むといったことはやはり難しい。それなら、誰かに伝えて持ち出すしかない。

 それが響子だとしたら?

 あり得る。

 響子はもしかしたら柏木が不正を隠すためにその宿泊記録を持ち出したと勘違いしたら。瀬田が自分や菅田が共犯だと言われればそれを信じてしまうかもしれない。どうするか。田辺は考えを巡らす。


「響子に直接聞いてみよう」

「えっ? どうやって」


 菅田が驚いた様子で見る。


「それを響子に訊く」

「宇佐美さんに何を聞くのですか」


 菅田は訳が分からないと言った顔をする。


「後で、教えるよ。菅田はもう一人いるかもしれない偽装犯を探しておいてくれ」

「分かりました」

「あと、盗聴器を仕掛けたかもしれない人物はだれだ」

「山本弥生と渡辺智子です」


 田辺はため息が出る。どうしてここまで人を陥れようとするのか。そういえば、松川がクレームを言っていた時、山本がいたのを思い出した。


 菅田が部屋を出て行く。

 松川が響子をあそこまで嫌う理由が分からなかったが、それがあの二人のどちらかが仕向けた事だったらどうだろうか。このことは後で調べる必要が出てきたようだ。 その前に宿泊記録だ。田辺は響子が本当のことを言うのか賭けるしかない。 

 宿泊記録を柏木に渡したのが響子ならどうして、それを黙っていたのだろうか。先日、瀬田が極秘で宿泊記録を調べているのも気になる。瀬田が別館にある宿泊記録が偽物だと知っていたら何をするか。誰が持っているか、調べるだろうな。それが共犯だと疑われる原因だとしたら尚更、自分の行動に注意しないといけない。


「まずは、響子だな」


 田辺は響子が出社する時間を見計らって本館のフロントへ向かった。

 田辺がフロントに着いたとき、丁度前任者から引き継ぎをしているところだった。少し離れたところからその様子をみる。

 響子がどう答えるかは田辺にとっては賭けに等しい。それでも、聞く必要がある。響子がフロントで一人になったのを見て、田辺は響子のところへ行く。


「イベントの承認が下りた。今朝出してもらった日程で準備を進めてほしい」


 田辺は午後一で瀬田から社長の許可が下りたと伝えられた。早急に準備を進めるようにと。


「それと、大事な話がある」


 田辺の言葉に響子が表情を曇らせる。


「大事な話? 私、とうとうクビになるの」

「クビになんかしない」

「じゃあ、なに」


 これは本当の気持ちだ。不正を作り出したのが誰であれ、これ以上犠牲を出したくない。

 田辺は大きく息を吸い、響子を見る。


「別館の宿泊記録を柏木さんに渡したのは響子か」


 響子の顔が一瞬で変わる。明らかに動揺しているのが分かる。


「どうしてそれを」


 響子の唇が震えている。


「理由は言えないが、別館の宿泊記録は別のところにあるのがわかった」

「えっ? 宿泊記録は別館の事務所にあるはず」


 響子は事情が呑み込めないと言った様子だ。目が左右に動いて何かを必死に思い出しているようだ。


「別館の事務所にあるって、どういうことだ?」


 今度は田辺が混乱する。


「柏木さんがいなくなる前日、柏木さんが宿泊記録を見たいと言ってきて貸したの。その次の日の朝、事務所に宿泊記録は戻っていた。だから、柏木さんが返しに来たのだと思っていたけど。違うの?」


 どういうことだろうか。あの扉に隠されていた宿泊記録は柏木が隠したものではないのか。


「そのことを誰かに言ったか」

「言っていない。言えないわ。だって、柏木さんは不正をしたと言われる宿泊記録を持ち出していたのよ。不正を隠す為だったと疑っていたから」

「その事、誰にも言わないでいてくれるか。それと、さっき言った宿泊記録が別のところにあることも」

「分かった」


 響子は不安そうに返事をする。


「倉田のことを調べているそうだが」


 響子は顔を背ける。


「倉田は柏木さんのことを調べていて、殺された可能性が高い。これ以上、危ないことをしない方がいい」


 響子は倉田のことを調べることが危険だと改めて感じたようだ。


「ねぇ、柏木さんは本当に死んじゃったの」

「警察はそう見ている」


 田辺は目を伏せる。


「そうよね」


 響子は何かを諦めた表情を見せる。響子はまだ、自分を不正の共犯だと思っているのだろうか。問いただしたい気もするが、今は止めておくことにした。


「イベントと夜勤、よろしくお願いします」


 田辺はそう言って、その場を離れた。

 副支配人室に戻る途中で松川に会った。そう言えば、最近、ホテルに籠っていると聞いていた。響子のことで何もなければいいと思っていたが、今のところ何かを言ってくることはなかった。

 今夜の松川は以前のような部屋を開けようとした行動はとっていなかったが、通路を歩きながら周囲に視線を向けて何かを探しているようだ。

 今度は何を企んでいるのか。田辺は松川の行動に気付かなかった振りをしてそばまで近づく。


「遅くまでお仕事ですか」


 この間のことは無かったかのように松川から話しかけてきた。


「はい。松川様はこんな時間にどうされましたか」


 田辺は出会った場所が、別館と本館を繋ぐ通路だったので少し疑問に思った。


「少し気分転換に歩いていました」

「そうでしたか。気分転換になりましたか」

「えぇ。とっても」


 松川はそう言うと、自分の部屋に戻っていった。

 気分転換? もしかして、また響子に何かを言うために歩いていたのではないかと思えてきた。

 田辺は部屋に戻って、柏木が辞める前日の勤怠をもう一度調べる。やはり、響子が柏木に宿泊記録を渡していたのだ。しかし、響子は違うことも言っていた。翌日、宿泊記録は事務所に戻っていたとはどういうことだ。

 柏木は偽の宿泊記録を作成する時間はなかったはずだ。それなら、誰がそんなことをしたのだろう。それよりもどうして宿泊記録が持ち出されたことを知っていた人物がいたのだろうか。

 早苗か?いや、しかし、早苗はあの日、別館には居なかったはずだ。

 早苗はその日、本館担当になっている。勤怠データも午後八時十二分で退出と出ている。響子が柏木に宿泊記録を渡したのが午後九時近くだと言っていた。早苗が帰った後だ。どうやって、早苗が宿泊記録のことを知ったのだろうか。やはり、もう一人の偽装犯がいるということか。

 田辺はもう一度勤怠を確認する。別館担当者すべてを。そこで分かったのは、響子が柏木に宿泊記録を渡した時に別館に居たと思われる人物は渡辺智子と倉田だった。

 倉田は何かを見ていたのだろう。それで、勤怠を調べていた可能性が出てきた。


 田辺は別の方から調べることにした。当日別館に宿泊していた顧客のデータを調べて行くと倉田の行動が分かった。あの日、響子が柏木に宿泊記録を渡したとされる時間、倉田は別館の顧客のところにいた。

 渡辺智子のその時間、フロントに居たことになる。響子は柏木が来た時、誰もいなかったと言っていたが、渡辺智子は何処にいたのか。渡辺智子がもう一人の偽装犯なのか。ふとそこで気になったことがあった。響子はその日夜勤ではなかったはずだ。しかし、勤怠データは十時五分で退出となっている。どうしてそんなに遅くまで残っていたのか。

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