第21話 侵入者 後編

 翌日、響子と総料理長からイベントの企画についての資料が提出されてきた。それを元にイベントの企画書を作成して、瀬田にメールを送った。その直後、鍋島がやって来た。


「突然、どうしたのですか」


 なぜか楽しんでいる様子の鍋島が連れてきた人物は苦笑いを浮かべている。


「この部屋の予備鍵が盗まれた」

「これはまた物騒な」


 鍋島が言うと、一緒に来た人物が心得たようにドアノブに手をかけて何かを確認した。

 その人物はドアノブを外して、持ってきた鞄から道具を取り出して作業を始めた。朝一で鍋島に連絡して、部屋の鍵を交換したいと伝えておいたのだ。

 直ぐに折り返しの連絡が来て、今から伺いますと言ってきた。

 極秘にしたいと田辺の意向に合わせて打ち合わせに来たと見せかけ知り合いの鍵屋を連れてきてくれたのだ。鍋島が信頼を寄せる人物だと説明があったので安心して任せる。

 鍵屋が作業をしている間、田辺は鍋島にイベントの企画書を見せた。鍋島は一通り見終わると、こちらの日程は後程ご連絡しますと言った。


「終わりました」


 作業していた鍵屋はそう言うと、新しい鍵を田辺に渡した。


「ありがとう。助かった」


 田辺の様子に異変を感じた鍋島が訊いてきた。


「なにがあったのですか」

「昨夜、菅田がこの部屋に忍び込もうとした」

「菅田さんが?」


 鍋島は田辺の言葉に驚いている。


「もう、誰を信じていいのか分からないな」


 田辺の独り言のような呟きに鍋島と鍵屋は困惑しているようだった。


「どういう状況だったのですか」


 鍋島の質問に田辺は昨夜のことを話した。すると鍵屋は部屋を出て通路を見ていた。


「菅田さんは田辺さんがこの部屋に泊まり込んでいることを知っていますよね。それなのにこんな危険を冒すでしょうか」


 鍋島の話を聞いて田辺は確かに菅田がそんなことをする筈はないと思いなおした。ずっと引っかかっていたことだ。


「誰か別の人物の可能性がありますよね」


 鍵屋が言う。


「別の?」


 田辺は訊き返す。

 鍵屋は部屋を出て、通路の先の従業員用の入り口を指さす。


「あのドアを開けて、その横の柱の陰に隠れていたとしたら」

「別館には行っていない?」

「そうです。田辺さんが別館へ行っている間に逃げたか、このフロアーのどこかに忍び込んで隠れていたか」

「菅田さんに直接確認された方がいいのでは」


 今度は鍋島が言う。

 田辺はもし、菅田から自分が意図しない答えが返ってきた場合、その時考えようと思った。


「それでは私どもはこれで」そう言うと二人は帰って行った。


 鍋島が帰った後に、菅田がやって来た。

 田辺は先程、菅田に訊くと決めたがやはりどこか怖さもあった。


「副支配人。倉田がどうして勤怠を調べていたのか分かりました」


 菅田はいつもの菅田だ。それでも田辺に疑われないように誤魔化している可能性を考えた。


「何が分かったのだ」

「別館の宿泊データは早苗が偽装したようです」

「早苗が?」

「宿泊データを変えることが出来る人物は限られています。そのうち、偽装をするのに誰かに気がつかれないようにするにはある程度条件が必要になってきます」

「その条件が勤怠と関わりがあるのか」

「別館の応援に行った時、もしくは本館のフロントで事務所に居れば怪しまれない。柏木さんが辞める一カ月前から見ると早苗が一番可能性としてあります」


 田辺は顔を顰めた。


「ちょっと待て。そうすると、早苗はそのデータを偽装したことで殺されたのか」

「事情は少し違うかもしれませんが、そういうことになります」

「それなら、共犯じゃないのか。早苗は共犯に殺されたことになるのか」

「そこが謎です。何か別の事情があったのだと思います」

「別の事情か」


 倉田はその早苗のことを調べていて、殺されたとなれば、やはり柏木の不正に関わってくることになる。


「早苗は副料理長の部屋に出入りしていたか」

「はっきりしたことは分かりませんが、可能性はあると思います」

「副料理長のファイルと別館の宿泊データでは日付が違っていたんだ。それはどういうことだろうか」

「そうですね。別館の宿泊データを変えたのが早苗なら、副料理長の書類も同じ日付に出来たはずですよね」

「そこだが。副料理長の書類も早苗が作ったのだとしたら、どうして日付を間違えたのか」

「それと、松川様の部屋の盗聴器ですが、松川様がホテルに来られた直後の夜、それも松川様がホテルに泊まっていない時に行われたと考えるのがいいと思います」

「盗聴器」


 突然別の話になり、どういうことかと聞くと倉田が調べていた勤怠にある印がついている日があったと言う。それを調べて行くと丁度そのタイミングに当てはまるらしい。 

 菅田はその事が気になって、昨夜ホテルに来て調べていたと言う。田辺は昨夜、菅田がホテルに居た理由が分かって力が抜けた。

 菅田は倉田がつけていた印の一つに松川が、盗聴器がついていると言ってきた日の数日前だったことから疑いを持ったと言う。

 別館は長期滞在が多いので、部屋に異常があっても簡単に部屋を変えることは出来ない。その為、新規で宿泊予約が入った時点でかなりしっかりとメンテナンスがされると言う。もしその時、盗聴器が仕掛けられていたとしたらその時分かったはずだと。

 菅田はもう一つ疑問があると言う。松川はどうしてそんなに早く盗聴器が仕掛けられていることに気がついたのかと言うことだ。

 盗聴器は松川の自作自演だと思い込んでいた田辺だが、菅田はそうは思っていなかったようだ。


「倉田が調べていた勤怠につけられた印の後、数日間、松川様はホテルに宿泊していません。その後、ホテルに戻った日に盗聴器を見つけたと言っています」


 自作自演には無理があったということか?


「初めから盗聴器が仕掛けられていることを知っていた?」

「その可能性はあります」

「だが、あの盗聴器は偽物のはずだ。この間、カマを掛けたら焦っていた」


 盗聴器のことを鍋島に話したとき、傍にいた今西に盗聴器の形などを詳しく聞かれた。そして分かったのは、その盗聴器はコンセントに仕込むものではないらしい。だからカマをかけてみた。松川のあの態度はあたりということだ。


「仕組んだ者とそれを暴いた者がいたとしたら」


 菅田はその先を推理していた。仕組んだものと暴いたもの……。


「宇佐美さんを陥れる為だけなら、他の方法でもよかったと思います」

「確かにそうだ」


 松川は書類が無くなったことも大げさにしたくないと口止めをしていた。そのことを考えると自作自演はないかと思ったが、そうではないのかも知れないと思い始めていた。

 このホテルの誰かが松川のことを探るために仕掛けたとしたら。

 響子の話だと瀬田と松川はやはり社長の新規事業に関わっていることになる。その事が関係するのだろうか。

 それでいくと、響子以外にも松川の仕事のことを知っている人物になる。

 別館の担当であれば全員、松川のことを知っている可能性がある。それなら何の目的でと考えた方がいいのかもしれない。

 田辺はこれ以上話す前に確認しておきたいことがあった。


「昨夜、忘れ物を取りに来たらしいな。何を忘れたんだ」


 さりげなく聞き出そうとした。


「時間を計っていました」

「時間? 別館で何を計ると言うのだ」


 田辺は菅田のしようとしていることが分からなかった。


「盗聴器を仕掛けるのにかかる時間です」

「それでどれくらいの時間がかかる?」

「時間というより、部屋に誰もいなければ合鍵を手に出来る者は全員可能性があります」

「それなら、早苗や倉田も出来ると言うことだよな」

「倉田は無理ですね。彼は別館に応援要員としてはいることはありますが、夜勤は一度しかありません。それも松川様が宿泊される前です」

「夜なら出来るのか」

「そうです。昨夜、松川様の部屋の前まで行きましたが、誰にも会うことなく部屋まで辿りつけました」


 田辺が聞きたいことを菅田の方から話してきた。


「誰にも会っていないのか?」

「誰にも会いませんでした」


 菅田の言葉に、鍋島達が言っていたどこかに潜んでいたと言うことが現実味を帯びてきた。田辺は菅田の昨夜のことを話した。


「忍び込んだ理由は、副料理長のファイルではないのですか」

「多分、そうだと思う。見られて困る何かがそこにあるとしたら、早苗以外にも偽装した書類のことを知っている人物がいるということだ」

「早苗以外ですか」


 昨夜、薄明りで見えた人影は、比較的体型がしっかりしていた。

 鍵を持っていたことから考えるとこのホテルの関係者だと思うが、昨夜の勤務でそれらしき従業員は見当たらなかった。それに今朝、警備室に確認してみたが、あの時間前後は菅田以外、誰も通らなかったと言っていた。

 別館のフロントも、本館のフロントにも確認したが、やはり同じ答えが返ってきた。

 深夜、外部からホテルに入るにはこの三か所しかないはずだ。そこで誰にも見られずにホテル内に入りこむことは不可能だ。かといって、昨夜勤務していた従業員に不審な行動をしたものはいなかった。一体、昨夜の男は誰だったのだろうか。そしてその目的は。


「副支配人。そんなに睨み付けられても、すぐには分かりませんよ」


 菅田の言葉で田辺は現実に呼び戻された。


「そうだな」


 菅田の言っていることはもっともだと思う。それに昨夜の男のこともどうやって調べればいいのか既にお手上げの状態だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る