第19話 改ざん

 嫌な予感がして急いだ。昨日デスクの上のメニューに気を取られていたが、何かが違っていた。それを確かめる為に田辺は部屋のドアを開けると、やはり違和感を覚えた。

 ハアハアと肩で息をしながら部屋の中を見渡す。

 特に変わったことはなかったが、デスクの上の書類が微妙にずれているのが分かった。

 呼吸を整えながら隣の仮眠室として使っている部屋のドアを開ける。誰かがいたような気がした。田辺は意識を集中して仮眠室用の部屋から通路に出るためのドアを開ける。通路に出て見渡すが誰もいなかった。気のせいか。ほっと一息つく。

 ドアを閉めて部屋に戻り副料理長から借りたファイルと田辺が見つけた別館の宿泊ファイルを隠してあったところから取り出す。どうやらこれは見つからずに済んだようだ。

 仮眠室を出て執務室の椅子に座る。

 このファイルを探しに来たのだろうか。その時、ドアのノックする音が聞こえた。田辺は二つのファイルをデスクの引き出しにしまった。

 入ってきたのは菅田だった。


「なにがあったのですか?」

「誰かがここに入って何かを調べたようだ」


 デスクの上の書類を指さしながら田辺は菅田に言う。


「誰が?」

「今日の午前中に新作メニューの書類がここに置いてあった」


 そう言いながら近くのキャビネから書類の入ったファイルを取り出し、その中から新作メニューの書類を出す。

 菅田はその書類を手に取り見て驚く。


「宇佐美さんが出勤される少し前に、総料理長が新作メニューはこれから準備するとおっしゃっていました」


 菅田が総料理長から聞いた話が本当ならこのメニューは誰が置いたのだろうか。考えられることは、ここに来た理由にする為ではないかと思った。


「誰かがここに来たのだろうな。そして、それを隠すためにこの書類を持ってきた」

「しかし、それなら田辺さんに遭遇しなければこの書類を持って帰ればいい話では」

「今朝、あの後別館に行って帰ってきたらこの書類があった。多分、その時誰かがまだこの部屋に居たのだと思っている」

「それならどうやって逃げたのですか」


 菅田の言葉に田辺は隣のドアに視線を移す。隣の部屋は田辺が仮眠室として使っている部屋だがその部屋からも外に出ることが出来るようにドアがある。


「あそこですか」


 菅田は納得したようだった。


「昨日は多分、これを探していたんじゃないかと思う」


 そう言いながら田辺は先程引き出しにしまった木内副料理長から借りたファイルを出して見せた。


「これは?」

「柏木さんが不正をしたと言われる顧客が宿泊したとされる時の料理メニューだ。木内副料理長から借りた」

「柏木さんの不正って」

「ここに載っている情報と別館の顧客データが違っているんだ」

「違うってどういうことですか?」


 菅田が訝しげ見る。田辺は一呼吸おいて話す。


「日付が違う」

「日付って」

「宿泊していない時期に食事をしたことになっている」

「単に、日付を間違えただけとか」

「一人なら分かるが数人の顧客情報が違っていた」

「副料理長が間違えるとは考えられないですね」

「それを調べたいが、何を根拠に正しいとするかが分からない」

「確かにそれは調べようがないですね。しかし、誰がデータを作ったかは調べることが出来るかもしれません」

「どうやって?」

「それはこれから考えます」


 菅田は少しいいですかと言って、真剣にそのファイルを見ていた。


「何か分かったら教えてくれ」

「分かりました」

「ところで、別館の領収書だが、すべての支払に領収書のサインはあるものなのか」

「全部あるはずです。そこにサインをもらい、支払を済ませるルールになっていますから」

「そうか」


 田辺はやはり、間違いなかった。領収書が正しいのだとしたらそこから何か分かるかも知れない。


「何かありましたか」

「いや、別館のデータを調べるのに領収書は重要になってくるのかと思っただけだ」

「重要ですね。それは顧客の同意でサインをもらうのですから」

「そうだよな」

「それより、これはどうしますか」


 菅田が言うこれとは、新作メニューの書類だった。


「これから確認する」

「一緒に行ってもいいですか」

「頼む」


 田辺は菅田が総料理長から聞いた言葉が正しければ、この書類を置いた者が分かるかもしれないと思っていた。

 田辺は菅田から新作メニューの書類を受け取り、総料理長のところへ向かった。

 丁度、夕食時のピークは過ぎていて、総料理長がレストランから出てくるところだった。


「こんばんは」

「副支配人と菅田君。二人そろってどうしかしたのか?」

「今日の午前中、私の部屋にこれが置かれていまして」


 田辺はそう言いながら、手にしたメニューの書類を総料理長に見せた。


「これは。私のではないですね」


 総料理長は田辺が渡したメニューを見ながら言う。


「総料理長ではない?」

「そうです。私が今度のイベントで出そうとしているのは、地元の食材を使用したものを出す予定で考えています」

「では、これは誰の物か分かりますか」

「誰の物かはと言うと、そのメニューを考えたのは私です。しかし、その書類を作成したのは私ではありません」

「メニューを考えた……」


 言っている意味が分からない。

 菅田は疑惑の眼差しで総料理長を見ている。


「そのメニューはかなり以前のものです。はっきりした時期は資料を見ないと分かりませんが、多分、十年程前だと」

「それがどうして?」

「それは分かりませんが、その書類は私ではないです」


 田辺と菅田は顔を見合わせた。

 誰かが、総料理長のふりをしてこの書類を作ったと言うことか。


「今回のイベント用は、この後出す予定です」

「お待ちしています」


 総料理長に不審な点はなかった。それなら、この書類は別の誰かが作って、田辺の部屋に侵入したことになる。

 田辺は取り敢えず、一度部屋に戻ることにした。菅田も、今日のところは帰って、別館のデータのことを調べると言っていた。


 田辺は部屋に戻るとすぐに周囲を見渡した。変わった様子はなかった。さっき、ここを出る時は部屋の鍵をかけて出たのだ。

 ここに侵入した人物の目的が何かが分かるまで用心に越したことはないと思った。そして、田辺は柏木が残したと思われるファイルを引き出しから出してもう一度見直す。

 菅田の話だと、領収書が正しいことになる。

 このファイルを何度見ても、柏木が不正をしたとされる顧客の名前はなかった。どういうことなのだろうか。綴り忘れか。それとも、柏木が持っているのか……。

違うな、柏木の家にも、車にも、ホテルに関するものは何もなかったと聞いている。


 菅田の言うようにこの領収書が正しいのなら、被害にあった顧客は宿泊していなかったことになる。見つけたファイルは田辺の記憶にある宿泊客たちばかりだ。腑に落ちるところが多々あるからか妙な安心感が出てくる。


 別館のデータは誰かが、操作したとしても、副料理長のファイルまで誰が手を加えたのだろうか。

 副料理長自身?

 それも違う。副料理長が自分でこのファイルの書類を作ったのだったら、田辺に貸し出すようなことはしないはずだ。

 ファイルの書類を別の誰かが作ったが、副料理長が田辺にこのファイルを貸し出したため、別の誰かがこのファイルを取り返しに来た。それであれば、辻褄はあう。しかし、一体誰が?


 副料理長の部屋に入れて、それでいて、副料理長から田辺がこのファイルを借りたことを知ることが出来る人物。

 田辺が副料理長からファイルを借りた時、あの部屋にはだれもいなかった。副料理長自身が誰かにあのファイルを貸したことを話したのだとしたら。それなら、考えられる。

 田辺は、時計を見た。午後十時過ぎだ。ファイルを引き出しにしまった。部屋のドアの鍵をかけて、副料理長のところへ向かう。この時間なら副料理長は部屋にいるだろう。

 田辺が副料理長の部屋の前まで来ると、響子と遭遇した。


「どうかしたか」

「それが、また、別館のフロントに誰もいないみたいで本館に電話がつながったのよ」

「また?」

「どこの部屋だ」

「三階」


 田辺は松川なら自分が行こうかと思っていたが、違ったので少し安心した。


「行ってくるわ」

「別館のフロントの様子をみてくるよ」

「お願い」


 響子はそう言いながら、三階の客室へと向かう。その後姿を見送った後、田辺は副料理長の部屋のドアをノックした。ドアが開き、副料理長が出てきた。


「すみません。お忙しいところ」

「構いませんよ」


 副料理長は既に着替えを終えて帰り支度を始めていたようだ。


「実は、先日お借りしたファイルですが、私が持っていることを知っている者はいますか」

「あのファイルは私が見るだけですから、ファイルの存在自体も誰も知らないと思いますよ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「何かありましたか」

「いえ、副料理長以外に誰か見ている人がいるのか気になって」

「あれは、私が次の料理を決める為だけにあるものです。他の者が見てもあまり参考になるものでもないですから」


 副料理長が笑いながら言う。

 田辺はもうしばらく借りていいかと聞くと「問題ない」と返ってきた。田辺は、副料理長が知らないだけなのかもしれないと思った。

 副料理長が自分の為にしていることを知っていた人物。やはり、この部屋に入りこむことの出来た人物があの書類を作ったのだとしたら、このホテルの従業員の誰かだと言うことだ。

 田辺は丁寧にお礼を言って、副料理長の部屋を後にして、そのまま別館のフロントへ向かう。

 響子が言うように、フロントに誰もいないことが続くのはあまり良くない。田辺がフロントに着くと、そこには夜勤担当の二人がいた。


「ずっと、ここにいた?」

「いました」


 二人は不思議そうに答える。


「本館に電話が回ってきたと聞いたが」


 田辺がそう言うと、一人が電話を見て、驚いた声をあげる。


「転送になっている」

「えっ? 一時間くらい前は転送になっていなかったわ。私、電話を取ったから」


 二人はどうしてと言いたげだった。誰かが転送になるようにしたのか。


「ここに誰か来なかったか」

「そう言えば、松川様が明日の朝食のことでいらっしゃいました」

「他には?」

「他は……総支配人が少し前に来られました」

「総支配人が? 何かあったのか」

「特にないのですが、過去の宿泊記録を見たいとおっしゃって」

「いつのものだ」


 二人は顔を見合わせてから答えた。


「副支配人には秘密にするようにと言われていまして」

「いつの宿泊記録を見に来たのだ」


 田辺は更に問い詰める。一体自分に内緒で何をしようというのか。腹立たしく思い、つい声を荒げてしまった。


「昨年から今年にかけてのものです」


 瀬田が何を調べているのか気になった。その期間は柏木が不正をしていたとされる期間で、先日山本といるときにも見ていたはずだ。もしかしてそのファイルがあることを確認しに来たのかと考えた。


「ありがとう。このことは知らないことにしておこう」


 田辺は二人に言う。二人は瀬田に秘密にするように言われたことに後ろめたさを感じていたようだった。

 田辺が持っている宿泊記録は別館から持ち出したものだ。それが、事務所にないことを瀬田は気がついていたはずだ。その瀬田がこんな時間にやってきてそのファイルを確認したとすると田辺の行動に気づいたのか?だとしたら松川から何か聞いたのかもしれない。田辺は副料理長が言っていた言葉を思い出していた。

 瀬田は副料理長の資料のことまで気づいていない?資料を作った者は別にいるということだ。

 田辺は部屋に戻り、引き出しから宿泊記録と副料理長のファイルを取り出した。

宿泊記録が正しいとするなら、パソコンで管理している宿泊データと副料理長のファイルは偽装されたものになる。そしてパソコンのデータと副料理長の資料とも違いがあるところを見るとパソコンのデータは更に別の人物が関わっているはずだ。そうなると二人の人間が偽装に関わっている。

 しかし、疑問も出てくる。柏木の不正は別館の宿泊記録が証拠だと言っていた。副料理長のファイルの話は瀬田から出ていない。それなのに偽装されているのは何か理由があるのだろうか。

 パソコンは宿泊データを触れる人物しか出来ない。副料理長のファイルはその存在を知っている人物とあの部屋に出入りしても不審に思われない者。この条件にあう人物はどれほどいるのだろうか。

 瀬田は別館にある偽ファイルをどうするつもりなのか。


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