第18話 行方
水川志保を引きずるようにして副支配人室へ連れてきた。
「誰に言われてやっていた」
田辺は内通者が水川志保だけではないと予測している。その人物こそが柏木の不正を偽装した張本人だと踏んでいた。
「知りません」
「これは職務規定違反だ。分かっているな」
田辺はメモ紙を見せながら告げる。視線を背け無言を貫こうとするのか。
「解雇だ」
田辺は一言だけ告げたその時、ドアを開けて入ってきた人物に驚く。
瀬田だった。
「瀬田さん。どうしたのですか」
「副支配人が清掃スタッフを連れて部屋に行くところ見たと連絡がありまして」
田辺は瀬田が来たことに驚く。それにしても早すぎる。松川があの部屋を出てから十分も経っていない。田辺が部屋に入ってからでも三十分は経っていなかったと思う。瀬田はどこかでこの状況を予測していたのか?
瀬田は水川志保を一瞥する。田辺はその様子を凝視した。
「この者は職務規定違反をしましたので解雇します」
田辺はそう言いメモ紙を見せた。正当な理由がある。瀬田も庇うことはできないはずだ。
「誰かに言われたのですか?」
瀬田が水川志保に問いかけるが、やはり無言だ。仕方なく田辺が答える。
「先ほどから何も言いません。ただ、お金をもらっていたようです」
田辺はメモ紙と一緒に取り上げた一万円札を見せた。
「そういうことでしたか。それは致しかないですね。このことは私から社長に報告を挙げます」
すんなりと話が進む。田辺は念を押す。
「では、解雇でいいですね」
「構いません。顧客情報を漏らすのはよくありませんから。当然でしょう」
もしかして、瀬田はこのことを不問にでもするのかと思っていたが違っていた。後のことは任せたというなり瀬田は帰っていく。
それだけの為にわざわざ戻ってきたのかと疑問が出てきた。だが、これで内通者は分かったはずだ。
田辺は目の前の仕事をする。
「まずはこれを書いてもらおうか」
それは同意書だ。遺恨がないようにするためのもの。水川志保は渋々サインをした。
そのあとを本館の女性スタッフに頼み、すべての荷物を持って水川志保はホテルを後にした。
「うまくいきましたね」
そういいながら菅田が近づいてきた。松川の部屋で起こった盗聴器と書類紛失時にいた清掃スタッフから詳しく事情を聴いていくと不審な点が多くあった。
水川志保は従業員の行動を、特に響子のことを監視しているようだと言っていた。それに、水川志保は松川に呼ばれて部屋の掃除に言っていたらしい。ほかの清掃スタッフに聞いたところ、水川志保はそうやって顧客に取り入りチップをもらったようだった。このホテルではチップの受け取りは禁止している。それだけでも処分出来たのだが、菅田がついでに何かないか泳がせようと言い出した。
そこで本館のベテランスタッフと入れ替えて内偵をさせておいたところ、空室だった客室からホテル内の情報が書かれた紙が見つかった。
ベテランスタッフの宣子さんは田辺がこのホテルに就職したときにいた人で、人手が足りないことを聞きつけて手伝いに来てくれている人だ。
その宣子さんがその字に見覚えがあると言ってあたりを付けて田辺に教えてくれたのだ。田辺はこれを利用して嘘の情報を流せようかと考えたが、菅田に止められた。
副支配人室に戻った田辺と菅田は水川志保が書いた同意書とベテランスタッフが見つけたメモ紙を見比べる。
「そっくりです」
菅田の肩が震えている。笑いを堪えているのが分かる。
田辺は同意書にサインをするのを見て同じことを思った。
宣子さんから渡された紙をみて字の汚さに子供の落書きかと思った田辺だったが菅田は(今時、小学生でもこんな汚い字は書きません)と言ってもう一度見直していた、最初は何かの暗号かと思っていたようだがホテル内のことが書かれているのが何とか読み取れた。
「それでは仕事に戻ります」
菅田は同意書とメモ紙をテーブルに置いて立ち上がり、さらに別のメモも置いて部屋を出て行った。
田辺は同意書とメモ紙を机の鍵付きの引き出しにしまう。
電話がかかってきた。宣子さんからだ。
「清掃、終わりました」
「ありがとうございます」
礼を言う。水川志保がいた部屋だ。あのままではいけないので掃除を頼んでいた。
「仕事ですから」
そういって電話は切れた。
手元には菅田が置いていったメモがある。そこには田辺が松川と水川のいる部屋に入った直後から怪しい動きをした人物たちが書かれていた。ある程度の予想がついたので動きやすくなった田辺はこれで扉を探すことに専念できると喜んだ。
〇〇〇
「ない」
思わず声に出ていた。
どういうことなのだろうか、暫くその場で考え込んでいたが田辺は部屋に戻ることにした。この鍵はフェイクで、最初から扉なんてなかったのではないかと思い始めていた。
部屋に戻った田辺は椅子に座り、デスクの上にある書類に目をやった。総料理長が出してきたイベント用のメニューで今日、田辺が少し部屋を開けていた時に置かれていたものだ。
数日前に話したことをすぐに準備出来るとはやはり、すごいと思った。しかし、今の田辺にとって総料理長の行動は謎すぎる。どうして自分のいない時に大事なイベント用の資料を置いていくのか。自分に手渡せない事情でもあったのだろうか。
もう一度イベント用のメニューに目を落とす。どれも美味しそうで田辺はイベントが楽しみになってきた。実際に出来た料理を食べてみたいと。
そう言えば昔、柏木と一緒に新作のメニューを味見させてもらったことを思い出した。否、あの時一緒に居たのは柏木ではなかった。田辺の記憶がだんだん鮮明に映し出されていく。
あれは前の、総支配人だ。
まだ新人だった田辺は仕事で遅くまで残っていた。空腹を我慢しながら何とか仕事を終えて帰ろうとした時、呼び止められたのだ。確か、これから試食するから一緒にどうかと言われた記憶がある。空腹だった田辺は二つ返事でその誘いに乗った。まさか、総料理長が考案した新作メニューだとは思わずに。
その時の料理は確かビーフシチューだったはずだ、空腹だった田辺は勢いよく食べきり味を聞かれたとき美味しかったとしか言えなくて、総料理長と当時の総支配人に大笑いをされた。田辺は思わず笑えてきた。懐かしい記憶た。だが、ふと笑いを止めた。
イベント用メニューをもう一度見る。記憶は更に掘り起こされていく。
食事を終えた後、総支配人と部屋を出たその時、総支配人が言っていたことを思い出したのだ。
総料理長の部屋には秘密の扉があって、そこにはすごいアイデアがいっぱい詰まっているのだよ。その扉は、あの部屋以外にもあって、自分の部屋にもあると言っていた。そしてなぜか柏木の部屋にもあるけど、と笑っていた。
田辺はその時、部屋と言うのは比喩でみんなの頭の中にあるものだと勘違いしていた。
田辺は慌てて部屋を見渡す。
秘密の扉が例の物ならあの時、柏木の部屋だったのはこの副支配人室だ。この部屋のどこかに例の扉があるのだとしたら……。
田辺は必死に壁に両手を当てて鍵穴らしきものを探る。壁側に置かれた本棚を移動して調べたが見当たらない。田辺は奥の部屋のドアを見る。
そこは田辺がホテルに泊まり込むときに仮眠室として使っている三畳ほどの部屋だ。小さなテーブルとソファーベッドに、昔の書類などが入っている本棚があるくらいだ。駆け出して、ドアを開けて部屋に入る。一通り見渡して、田辺はソファーベッドを少しずらした。
壁に手を当てて探っていく。すると壁の下の方に細長く切り込みがあった。田辺はそれを押す。するとカッチと音がした。その切込みは浮き上がり、そこから鍵穴が見つかった。
はっとして、田辺は慌ててポケットに入れていた鍵を取り出しそこに差し込んでみる。
「入った!」
そっと動かしてみると、壁が横にスライドするように動いて奥へ続く通路のようなものが見えた。見つけられないと思っていた扉が目の前に現れて、思わずしりもちをついてしまった。
「見つかった」
ふふっ。安堵から思わす笑いがこみ上げてくる。
部屋からの明かりで薄暗く照らされた通路の先に何やら落ちているのが見える。
田辺はゆっくり立ち上がり、扉が閉まらないようにソファーベッドで扉を固定してその奥に入って行く。
少しひんやりとした通路に、どうやら投げ込まれた感じになっているファイルを見つけそれを拾い上げた。
タイトルを見ると、田辺が見たいと思っていた別館にあるはずのファイルだと分かった。
どうしてこれが?
取り敢えずそのファイルを持って、部屋に戻りソファーベッドの固定を外し、扉を閉める。田辺はファイルを持って執務室へと戻り、椅子に座りそのファイルの中を見た。
「これは!」
夜、田辺が見つけたファイルを見ていると菅田から連絡があった。田辺はファイルを見つからないように隠し、本館のフロントへ向かう。
フロントには菅田と響子がいた。多分、菅田が響子に松川のことを話したのだと思った。昼間、松川にカマをかけて聞き出した内容で、盗聴器も書類紛失も松川の自作自演の可能性が出てきた。本当は瀬田にそのことを言ってもいいのだが、今はやめておいた。
松川には田辺が盗聴器のことを知っていると分かっていれば、響子への攻撃はなくなるはずだ。
「すみません。呼び出してしまって」
「大丈夫だ」
「例の件、話しました。それで、宇佐美さんからは夜勤のままでいいと」
「いいのか」
田辺は響子に確認する。松川の自作自演の可能性があることを伝えてもらった。可能性なのではっきりしたわけではないが、響子が遠慮する理由がないことを分かってほしいと思っている。
「私の勝手で勤務を変えるのは……」
「響子がそれでいいのなら別に構わないが。何か困ったことがあればすぐ相談するように」
「ありがとう。そうする」
「それでは副支配人、夜は」
「大丈夫だ。暫く泊まり込むことになりそうだから」
「それって、私のせい?」
「イベントの企画書を出さないといけない。それも、菅田から聞いたかもしれないが社長から昨年以上にするようにと言われている」
「あっ!」
響子は既に菅田から聞いていたのだろう。イベントの話で納得したようだった。
「イベントの部屋割りは、響子が担当するだろ」
田辺は菅田と響子に訊く。
「宇佐美さんにお願いしました。私は、宿泊客の方を担当します」
「今夜予約状況を確認して、期間をどうするか決めるわ」
響子からははっきりとした意志が感じられる。元気を取り戻したようで安心する。
「明日の朝には分かるか」
「やってみる」
「瀬田さんに明日の午後には大まかな企画を出すように言われているんだ。よろしく」
「明日の午後って」
響子は驚いていた。
「それもあって、泊まり込むことになった」
田辺は笑いながら言う。これで、田辺が夜ホテルに居ても不審がられないだろう。
「昨年のバザー参加者に連絡が取れまして、今年も参加してくれるそうです。他にも何人かあたってくれるそうですので、そちらの調整は私が」
菅田が言うと、響子は菅田をみてさらに驚いていた。
「イベントはそんなに急がなくてはいけないことなの」
「社長の意向だ。ここ最近の出来事を払拭したいと」
「それで」
響子がもっと後でもいいのではないかと言いたげだが、納得した様子で頷く。
「だから、頼む。総料理長も既に新作を出してきた」
「総料理長からはこれから何を出すか考えると、先程言われましたが」
田辺が言うと、今度は菅田が驚いた声をあげる。
「先程って。いや、しかし……」
それならあのメニューはなんだ。田辺は菅田が言った言葉に驚いた。ふと頭に浮かんだことがあった。
「イベントのことは決まったら連絡を」
田辺は響子に言い、その場を離れた。
従業員通路を小走りで部屋へと急ぐ。何もなければいいが。嫌な予感がした。
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