第16話 残されたもの 中編

 別館以外を先に見て回り異常がないか確認していく。本館フロントへ行くと響子がいた。


「今日は夜勤か」


 田辺は響子に声をかける。


「そう。昨日、松川様がここに来たの」

「どうして?」

「私がまだ、辞めていないからその確認に来たと言っていたわ」

「辞めなくてもいいと、社長の許可は取ったはずだ。それにその事は瀬田さんが松川様に説明をして了承してもらったと言っていた」


 まさかの出来事にどう判断していいのか迷う。


「表向きには了承しても納得していなかったのよ」


 手元の書類を片付けながらどこか他人事のように言う。諦めにも似た表情を浮かべる。


「それでここに来たというのか」

「そうみたい」

「何か言われたのか」

「表に出るなと」

「どうしてそこまで言う権利があるのだ。部外者だろ。社長の許可も得て、ホテルに残っているから何の問題もないはずだ」


 さすがに苛立ちを抑えることが出来なかった。顧客といえ、まともに響子の話も聞かずに処分を下すことも納得ができないのに、それでもまだ文句を言ってくるとは。はっきり言って悪質なクレーマーだ。


「最近、松川様は夜、ホテルに泊まらないのよ。それで、菅田さんに頼んで夜勤にしてもらったの」


 菅田は松川が怒鳴り込んできたことで、響子をこのまま昼勤にしてまた松川と顔を合わせることがないようにするためだと言っていたが、どうやらその判断は間違いないようだ。

 響子の言動に謎の部分が多く、先日のクレームも菅田がシステムを調べたがその証拠を消されていたらしい。誰かに嵌められたか、響子が別館担当を外されて本館に来たことが何か目的があるのではと菅田は言っていた。それが本当なら田辺と菅田の見張り役として響子が本館に来たと考えられなくもなかった。


「見回り?」

「そうだ」

「いつもこんなに遅くに見回りをしているの」

「溜まっていた事務処理をしていたら遅くなった」

「そう」


 響子は今何を考えているのだろうと表情を見ていたが特に変わった様子はなかった。


「後よろしく」


 田辺はそう言いながら本館を出て従業員通路を歩く。

 松川がわざわざ本館まで来て響子を見に来ることってあるか?菅田から話を聞いたときどうも腑に落ちなかった。


 響子が本館の仕事を手伝っていることはかなり前に別館のスタッフに聞いていたはずだ。それなのにこのタイミングで来ることに何か意味があるのかと考えた。それに、松川がここ最近夜は自宅に戻っているようだと聞いて更に疑問が湧いてきた。

 昼は週の半分くらいは出かけていて留守にしている、そしてここ毎日夜は自宅に戻っているのならホテルにいる理由が見当たらない。自宅に戻らなければいけない何かがあるのか。どちらにしろ、別館で宿泊の契約をするほどでもない。

 新事業のためにホテルに宿泊しているのだとしたら、納得は出来る。松川にとって、それだけの事だろう。


 田辺は気を取り直して目的のものを探すことにした。

 一階はフロントなので二階から探すことにする。二階にはフランス料理のレストランがある。既に店は閉まっているのを確認して更に周囲に人がいないのを確かめてから、別館の通路をゆっくり歩く。その時、両側の壁を特に念入りに見る。だが、田辺が探しているモノは見つけることが出来なかった。見落としたのかともう一度戻りながら記憶をたどっていた。

 確か壁に鍵穴があったような気がしたが、今見ると壁にはそんなものは見られない。この階ではないのか。壁に触れながら、俯き記憶違いなのかと思い始めていた、十年くらい前に一度見ただけのことだ。それからどうなったかは田辺も知らない。数年前に別館の改築をしたときにでも取り潰したのかもしれない。


「副支配人」


 突然声をかけられて振り返ると、そこに総料理長の佐伯が立っていた。

 田辺は壁に置いた手を降ろした。


「総料理長、どうしてここに?」

「別館のレストランに用があってきました。副支配人は見回りですか?」

「そうです。総料理長も遅くまでお疲れ様です」

「副支配人、大丈夫ですか?」


 どうやら勘違いをさせてしまったようだ。


「大丈夫です」


 田辺は笑顔で返した。


「それならいいのですが」


 総料理長はまだ心配そうな顔をしながらレストランへと歩いて行った。総料理長の後ろ姿を見ながら、見回りだと思われたのなら大丈夫だろう。

 気を取り直して、再度壁を見る。やはり、記憶にあるのは壁の一部が扉になって開いているところだ。しかし、扉が開くまでの場面は思い出せていない。鍵をどう使うのかも。

 田辺は二階を諦めて、今度は三階へ向かう。

 三階は客室が十部屋ある。今日はその部屋すべてに宿泊客がいるはずだ。宿泊データーで確かめたので、それが間違っていなければこの時間、宿泊客はすべて部屋にいるはずだ。二階の時と同じように通路を歩きながら壁を探る。

 鍵穴……。

 ここにある壁は一面、どこにもそれらしき部分がないのだ。二度見直しても、鍵穴らしきものは見つけることが出来なかった。

 次は、四階か。

 四階に向かいながら時計を見ると、既に日付が変わっているのに気がついた。四階も三階と同じように客室が十部屋ある。ここは七部屋に宿泊客が泊まっている。

流石に日付が変わっているので、この時間に宿泊客が部屋を出てくることはないだろうと考えた。四階の壁も鍵穴らしきものは見つけられなかった。記憶にある扉は通路の壁ではなかったのだろうかと思い始めた時、人の気配を感じた。振り返ると、そこには響子が立っていた。


「なにやっているの」


 響子が聞いてくる。


「見回りだ」


 田辺はこの時間にしては苦しい言い訳かもしれないと思いながらも他に理由が浮かばなくてついそう答えた。


「こんな時間まで見回り?」


 響子は明らかに疑っている様子だった。これ以上疑いを深めてはいけないと思い咄嗟に嘘をつく。


「途中で急ぎの書類処理を忘れていたのを思い出して抜けていたんだ」

「そうだったんだ」


 響子が田辺の嘘をどこまで信じたかは分からないが、それ以上聞いてくることはなかった。


「響子はどうしてここに?」

「ここのフロアーの宿泊客から呼ばれたの」

「響子が?」

「別館に連絡が入ったのだけど、丁度フロントが不在だったみたいで、本館に電話が転送されてきたのよ」

「別館のフロントが不在?」


 別館の夜勤は二人体制だ。その二人ともフロントにいないとなると何か問題が発生した可能性があるが自分に連絡は入っていない。


「そう。ここに来る前に寄ってみたけど、誰もいなかったわ」

「さっきまで三階にいたけど、誰もいなかったぞ」

「変ね。夜でも二人は必ずいるはずなのに。二人とも五階にいるって事かしら」

「そういうことになるか。とりあえず、用を済ませた方がいい。これから五階に行くから様子をみてくるよ」

「分かった。お願い」


 響子はそう言うと目的の部屋へと向かう。その姿を見ながら、田辺は五階へ行く。本当はもう少し、四階を調べたかったが、今日のところは諦めることにした。

五階に着くと、やはり別館担当者が二人、通路にいた。二人は通路で何か話し込んでいる。


「どうかしたのか」


 田辺は気になって声をかける。


「副支配人」


 二人が田辺の傍に駆け寄ってくる。


「何かあったのか?」

「それが、松川様が急に帰ってこられて」

「ここ数日は自宅に戻ったのではないのか」


 田辺は菅田と響子から聞いていたことを思い出した。


「それが、急にここに泊まりたくなったとかで」

「元々、宿泊しているのだからいいが、それで何か問題でもあったのか」

「それが、やはり夜もホテルに泊まるとおっしゃられて」

「それが希望なら、そうするしかないだろうな」


 こんな時間にいきなり帰ってきて、予定変更を告げられたことで、かなり動揺している様子が見える。二人の気持ちは分からなくはない。


「そうですが……」


 それ以上の言葉を躊躇ってようだ。響子のことがあったので心配しているのだろう。


「出来るだけのことをすればいい。それくらい理解してくれるだろう」

「分かりました」


 二人はしぶしぶ答える。


「三階のお客様から呼び出しがあったみたいだ。今、宇佐美が言っている」

「すぐに戻ります」


 二人は急いでフロントへと戻っていった。田辺は松川の部屋の方を見る。今日はもう、調べるのは止めたほうがいいと思った。

 さっきの二人の様子から、松川はまだ起きているはずだ。田辺がここを調べているのを見られているのは避けたい。そっとその場を離れて、副支配人室へ戻る。この時間から自宅に戻る気もしなくてホテルに泊まることにした。

 副支配人室へ戻り、田辺は置いてあるスウェットに着替えて、同じく置いてある毛布を持ってソファーに寝転がる。

 どうして松川は急に戻ってくることになったのだろうか。

 田辺は探している扉のことなども考えていたらいつの間にか眠りについていた。


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