第15話 残されたもの 前編
田辺は鍋島が言っていた言葉が引っかかっていた。
柏木は何かを残しているはずだと言っていた。それに事前に偽装のことを知っていたとしたら……。それならこのホテルのどこかに隠されているのかもしれない。
総支配人室ではないことは分かる。柏木は誰が入るか分からない部屋に残すとは考えられない。それならどこだろうか。
別館の事務所かと思ったがそれも違うような気がする。何よりあそこは不正をしたと言われる場所だ。そんな所に隠すとは考えられない。
不正の証拠とされる宿泊記録が綴られたファイルは見せられていない。田辺が瀬田から見せられたのは別の資料だ。あの様子から瀬田が別館の宿泊ファイルを持っていると思われるが、それを見せてほしいとは言えない。それを言えば、田辺が不正のことを調べていると言っているようなものだ。
別館の宿泊データーと副料理長から借りた情報ではかなり違うことが分かっていた。それに一番初めに瀬田から見せられた顧客リスト、あの中には田辺の記憶にないことが書かれていた。はじめは見間違いかと思っていたが別館のデーターと副料理長から借りた資料を見ていくと自分の記憶に自信が持てなくなってきた。どの情報が正しいのか知る手立てを探しているが、いまだ見つけられずにいる。
別館の宿泊名簿と領収書が綴られたファイル、あれがあれば照合できるのだが多分、瀬田があのリストと一緒に持っているのだろう。
田辺の記憶にないものはここ何年も見かけたことがない顧客が不正の被害にあっていたことだ。だが、別館の宿泊データーにはその顧客の宿泊記録が記してあった。
勘違いなのか?田辺自身で記録している物や手掛かりになりそうなものを片っ端から探してみたがそれを裏付けものは出てこなかった。
別館の事務所に入ってまで調べるとなると田辺が不正のこと調べていると知られることになりかねない。それは菅田と鍋島からも止められていた。田辺自身もそれで柏木の疑惑を証明できるのなら喜んで行くが、証明できる保証もない。あの場所に行くのは鍋島が言うように最終手段だ。
瀬田が菅田や響子に田辺が共犯だと言っているのならこれ以上表立って動くことは避けたほうがいい。倉田の死が柏木のことを調べていたことに関係するのなら尚更だ。
倉田が誰に殺されたのか分かっていない以上、用心に越したことはない。他に宿泊データーを確認する術はないのか、田辺は今までの出来事を思い出していた。ふと、ある場面が思い浮かんだ。
あれは、確か柏木のコートが見つかったと言われたときに見せられた時だ。
コートは見つかったが、それ以外の持ち物は見つかっていなかったのだ。車は近くの駐車場で発見されたが鍵は見つかっていない。
車の鍵はこのホテルの創立記念で配られたキーホルダーについていたはずだった。柏木が持っていたキーホルダーを思い出していた。
「あそこか」
田辺はデスクの脇机の鍵付きの引き出しを開けた。小さなケースを取り出し、その中に入っている物を取り出す。創立記念のキーホルダーに鍵が一つ、ついている。それは別館に秘かに作られた扉の鍵だ。
このことを知っているのは代々総支配人だけで、田辺は先代総支配人から柏木に渡されるとき立ち会っていた。柏木は二本ある鍵の一つを田辺に預けていたのだ。
柏木の残された持ち物の中にはその鍵はなかった。柏木自身が持っているのか、どこか別のところにあるのか。
柏木がこのホテル内に何かを隠すとしたら、ここしかないと田辺は思った。しかし、扉は客室の前の通路のところにあったと思ったが田辺も記憶があやふやではっきりした場所を思い出せない。
その扉を開けると中は確か迷路のようになっていて他の通路と繋がっていると聞いた覚えがある。
あの場所なら隠す場所としては一番なのかもしれない。しかし、あの場所を柏木が選ぶとしたらこのホテルの従業員の誰が柏木を陥れたのか、ここから持ち出す時間もなかったと考えるのが正しいだろう。それほど、不正のことは柏木にとって寝耳に水の出来事だとしたら柏木の行動の説明がつく。
多分、柏木は自分で不正の証拠を調べていた可能性が高い、例の扉はホテル内にある。
柏木はきっと、ホテルを辞めた後も不正のことを調べていたはずだ。それならホテルを辞めた後に調べた物は何処にあるのだろか。
警察は部屋にも車の中にはホテルに関するものはなかったと言っていた。それなら、その書類は柏木と一緒に海にと言うことだろうか。それとも犯人が持ち去ったのか。
取り敢えず、あの扉に隠されている物があるとすればそれを見つけるのが先決だ。
田辺は腕時計を見る。午後八時を示している。あの扉を探すとしたらもう少し時間を潰す必要がある。どうしようかと悩んでいると菅田の言葉を思い出した。
「倉田が勤怠を調べていたらしい」
それが意味することは何だろうかと考えた。柏木が辞める頃からの勤怠を調べて何をしようとしていたのか。
倉田が殺されたのはそれが原因だとしたら。そこにも何か重要なヒントが隠されているのではないかと思った。
田辺はパソコンを操作して勤怠データーを表示させた。柏木が辞めた数日前からを見てみるが特に変わったことは見当たらなかった。
「倉田はこれで何を調べようとしていたのだ」
思わず声に出ていた。
それにしても、倉田が勤怠を調べようと思った理由が気になった。何もなければ勤怠を調べようとは思わない。倉田にしか分からない何かがあったのか。田辺は倉田の勤怠を表示させた。
倉田の勤怠を見たところで何か分かるわけがないと思いながらなんとなく眺めていたらドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
返事をする。扉が開いて入ってきたのは瀬田だった。
田辺は瀬田を見て動揺したが、それを隠しながら倉田の勤怠画面を気がつかれないようにとじた。
「まだ、残っていたのですね」
「事務処理が溜まっていましたから」
机の上のトレーに入っている書類を見ながら言う。
今まで柏木と田辺の二人で処理していたものが、今は田辺がすべてを処理している。その為、気がつくと書類がどんどん溜まっていく。
「そうでしたか」
瀬田が総支配人という名前だけで、柏木がやっていた仕事をしていないことが原因なのだが、その事になんとも思っていない様子だ。どういうつもりなのだろうか。
「社長からの伝言です。イベントは昨年以上のものを準備するようにとのことです」
「昨年以上ですか」
「ここ最近の出来事を払拭する意味も含めての事です」
「分かりました。担当者に話をします」
「お願いします」
瀬田が向きを変えて部屋を出て行こうとする。
「他に、何か用があったのではないのですか」
田辺は瀬田を呼び止めた。
「社長の言葉を伝えに来ただけですよ」
瀬田は口の端を上げて笑顔を見せる。いつもの偽善的な笑いを見て田辺はそれ以上何も言わなかった。というより、話したくもなかった。すべてこちらに丸投げの仕事ぶりにいい加減にしろと言いたくなるのを我慢することで精一杯だったから。
田辺は部屋の窓から瀬田が駐車場へ歩いて行く姿を見ていた。
田辺がこのタイミングで瀬田が来ること自体に疑問を感じた。社長の言葉を伝えるだけなら電話でもいいはずだ。それなのにわざわざこんな遅くに来ることは何か田辺たちの行動を見張られているような気がしてならなかった。
社長は早苗と倉田のことはどう思っているのだろうか。もう忘れてしまったのか。それとも経営者としての考えで動いているのか。
社長は自分にとって都合がいいかだけで判断する。自分が称賛されることに関する者なら必要とみなし、そうでないなら簡単に切り捨てられる冷酷さというより自分に都合のいいように解釈して行動に起こす。
早苗と倉田に関して何も言葉がないことも気になっていた。不要な人間なら今頃嘲笑しながら二人の話題が出てくるのに何も出てこないのはなぜだろうか。そういえば、最近、社長はホテルに顔を出していない。何をしているのか。また、何か変なことを言いださなければと思う。
社長の無茶ぶりに柏木は上手く立ち回っていたと田辺は思っていたが、そうではなかったのだろう。その結果が、不正の疑いをかけられて柏木はホテルを辞めることになった。自分の寿命はあとどれくらい残されているのだろうか。
柏木の汚名を晴らすまでは生き延びていたいと思うがこればかりは分からない。細心の注意を払い、ことを起こさないと。
瀬田が帰ったのを見届けた後、時間を確認すると十時を過ぎていた。デスクの上を片付けてから部屋を出た。
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