第11話 浮かぶもの 前編
「お疲れさまです」
そう言って、鍋島学はその場を離れた。
鍋島は地元のケーブルテレビに勤務しているレポーター兼制作担当だ。
今日は地元の漁港で朝市の取材で訪れていた。年に何回か取材に訪れているのでスタッフも漁港関係者も慣れたもので、予定時間ぴったりに撮影は終わった。
撮影班はこの後、編集作業に入るため会社に戻ることになっていた。鍋島と今西は別行動で今度は商店街に行くことになっている。
先程までいた場所では、撮影に使っていたカメラなどの機材の撤収が行われている。鍋島は邪魔にならないように、少し離れたところで海を眺めていた。次の取材先の資料が手にあるがなんとなく読む気になれなかった。
「ここが片付いたら、昼休憩を取ってから午後の撮影に向かいます」
カメラマン兼制作担当の今西が言う。
「分かった」
鍋島は今西に返事をして海を見ていた。朝市の撮影のため今日、鍋島達は朝三時起きだった。一仕事終えて、水面が太陽の光を反射して眩しいくらいの景色を眺めていると、眠気はいつの間にか無くなっていた。撮影中は体が重く上手く動けなかったと言うのに今更覚醒してもと恨めしく思う。
鍋島は自嘲気味に海を眺めていると一か所だけその光を遮る物があった。今西も次の取材先の資料片手に近づいてきた。
「なぁ、あれってなんだ」
鍋島は海を見たまま、側で次の撮影の確認をしていた今西に訊く。
「なんか浮いていますね」
今西は視線を上げ、鍋島の視線の先を見る。
「あれって、人じゃないか?」
「人……ですね」
鍋島は目を細めてもう一度見直し言うと今西も同じ答えだった。
鍋島と今西は顔を見合わせた。
警察が駆けつけて、漁港関係者も集まってきて、先ほどまで鍋島がいた場所は慌ただしく人が行きかっていた。先程、話を聞かれた吉村と言う刑事が近づいてきた。
「身元が分かるようなものは一切ありませんでした。あの女性に心当たりはありませんか?」
心当たりと言われても、はっきり顔を見ていないので分からなかった。
鍋島は今西の顔を見たが、今西もよくわからない様子だった。
「分からないです」
「そうですか。お帰りになっても大丈夫です。何かあればご連絡します」
吉村はそう言うと、すぐに別の警官に呼ばれてそちらに向かった。
「今日はこれで解散にしましょう」
今西が言う。
次の撮影に向かうには予定の時間はとうに過ぎていた。少し前に今西が断りの連絡を入れていたので、別の日程が組まれるのだろう。鍋島も今日はもう何もする気にもなれなくて安堵した。
「そうだな」
鍋島は帰るために歩きだした。遠くで、先程まで海に浮かんでいた女性が運ばれていくのが見えた。
事件かな?鍋島は離れたところから手を合わせた。
田辺に警察から連絡があったのは、早苗が出社しなくなった日から二日後だった。
別館の担当になってからの早苗は本館にいた時よりも張り切って見えた。それが連絡もなく出社しなくなった。何かあったのかと心配になり、響子を連れて早苗の家に行ってみたが早苗は家に居なかった。両親と一緒に住む早苗は出社しなくなった前日から家に帰っていなかったのだ。
両親から捜索願を出したと聞いたのは昨日の午後だ。
従業員用の入り口で響子と待っていると吉村と佐竹が数人を引き連れてやって来た。田辺は吉村と佐竹を連れて副支配人室へ、響子は他の警官たちと早苗のロッカーに向かう。田辺は瀬田に連絡を入れたが任せると言ってきたので田辺が話を聞くことになった。
副支配人室のソファーに向かい合って座り、吉村が田辺を見て何とも言えない顔をする。その代わりに佐竹が説明してくれた。
「酒井早苗さんですが、他殺の可能性があります」
「他殺。それはどういうことでしょうか」
何か事件にでも巻き込まれたのかと思った。別館のスタッフは行方が分からなくなる前日、早苗はいつも通りだったといっている。
「先程、酒井さんの車が近くの駐車場で発見されましたが、車の中にガソリンスタンドの領収書と八時に公園と書かれたメモが残されていました」
ガソリンスタンドの店員も早苗を覚えていて、今度の休みに友人と遊びに行くと言っていたことから自殺ではないと判断されたようだ。
田辺も早苗が自殺するとは思っていなかった。警察はガソリンスタンドと早苗が見つかった付近の公園を調べたところ早苗が見つかった場所から数キロ離れたところの公園に早苗の靴跡があり争った形跡が見られたと言う。
早苗の足跡があった場所は柏木のコートが見つかった場所の近くだ。早苗の死は柏木のことと何か関係があるのだろうかと田辺は考えていた。
「先ほどの方は宇佐美響子さんですよね」
「そうですが」
今度は吉村が聞いてくる。何かあったのか気になった。
「別館の担当を外されたとお聞きしまました。代わりに酒井早苗さんが別館担当になったと」
どうしてそんなことまで知っているのかと気になる。
「そうです。ちょっと問題がおきまして、社長が酒井さんを別館担当にしました」
「問題ですか」
警察は響子を疑っているのか?田辺は慎重に言葉を選びながら答える。
「お客様からのクレームで担当を外すようにと要望がありました」
「クレームですか」
吉村に何か探る様子が見える。
「要望をすべて聞き入れるわけではありませんが、少し外した方がいいと判断しました」
「宇佐美さんは納得されていましたか」
「私が見ている限りでは納得はしていないと思います。宇佐美は自分の仕事に誇りを持っていましたから」
「その誇りを傷つけられたとしたら、どうでしょうか。酒井さんは本館担当で宇佐美さんの代わりを務められるだけの立場にないのでは?」
早苗の立場をどうしてそこまで知っているのかと疑問に思う。警察は響子を疑っている。どこでそんな話を聞いたのか誰かが話したのだろうか。それでも早苗が見つかってから一日しか経っていない。短期間でここまでの情報を集めたと言うことか。吉村たちは何処までこのホテルの内情を知っているのだろうかと気になってくる。
「宇佐美はそういうことを仕事に持ち込むことはありません」
「宇佐美さんが酒井さんを恨んでいなかったということですか」
吉村は更に踏み込んで聞いてきた。
「恨んでいたとしても、宇佐美は酒井を殺すようなことはしません」
吉村は田辺を暫く見ると、ふとため息をついた。
「分かりました。しかし私たちは疑いを止めたわけではありません」
「調べてもらえれば分かると思います」
田辺はそう言うのが精一杯だったが、もし響子が早苗を殺していたらと考えがよぎった。帰り際、ある時間にどこにいたのかと尋ねられ、田辺はホテルで仕事をしていたと伝えた。
その時間は早苗の死亡推定時刻だと言っていた。響子はその時間、倉田と菅田と共にホテルの副支配人室で田辺といた。四人にアリバイがある。早苗を殺したのはこの四人でないことは証明できただろうか。
来た時と同じように従業員用の入り口から吉村たちと出てきた田辺は響子たちと合流した。早苗のロッカーにあったものはすべて警察が持って行くことになった。
「先に執務室に戻っているわ」
響子は呟くように言うとそのまま戻っていく。顔色が悪い。何かあったのか?
響子と一緒に早苗のロッカーに行っていた一人と吉村が何かを話していた。響子に何を言ったのかと気になる。
「宇佐美さんにも事情をお聞きしました」
「宇佐美は私たちとこのホテルにいましたよ」
佐竹の言葉に誤解のないようにしっかりと答えておく。
響子自身、自分が疑われていることを感じているのだろう。だが、今回は自分たちと一緒にいたので疑われる理由はない。そのことに響子は気づいてくれるだろうか。
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