第7話 深夜の行動 後編

 瀬田は最近よくホテルに来るようになっていた。そして、以前はよく執務室に籠ることが多かったが、最近では別館内をよく歩いているのを見かけ、その殆どが別館の宿泊客と話し込んでいた。

 そして松川はやはり深夜、別館の宿泊客のいない部屋を開けようとしているのを何度か見かける。怪しいことこの上ない。二人が何をしているのかもう、考えることすら疲れてくる。

 田辺は瀬田が帰ったのをこの目で見届けてから、ここ数日の日課になっている見回りをしている。

 瀬田がいるうちは田辺も極力、瀬田に合わないように執務室に籠ることが多くなった。どうも苦手意識が出て距離を置きたかった。そんな田辺にとって夜の見回りは唯一と言っていいくらい落ち着ける時間になっていた。


 田辺はいつものように本館のレストランを見た後に別館のフランス料理店へと向かうと田辺の予想通りに佐伯はいた。

 総料理長の部屋も別館にあるので、いつもこの場所で新作を考えている。そう言う意味では前回同様なのだが田辺にはどうも違う気がしてならない。

 佐伯が料理を作っている様子を遠くから眺めていたが、あることが気にかかり厨房へ歩き出す。

 佐伯は田辺が厨房へと歩いてくるのに気づくと、手元の鍋をそっと近くの鍋と置き換えた。田辺はその行動がさらに気になった。


「今日も、ですか?」

「なかなか思い通りにはいきませんね」


 苦笑いをしながら佐伯は言う。

 先程の佐伯の行動は田辺の気のせいだったのだろうか。佐伯に気づかれないように移動していた鍋をそっと見る。中に入っているのはブイヨンなのかスープなのか分からないが、黄金色の透き通った液体が入っていた。

 その時、背後から人の気配がして振り返るとそこには帰ったはずの瀬田が立っていた。いつから居たのか、どうしてここにいるのか。田辺の心臓が大きく鳴る。いろんな疑問が湧いてくるがその思考を一旦脇に置く。


「まだ残っていらしたのですか」


 瀬田が聞いてくる。


「夜の見回りです。人出が足りないので私が毎日行っています。総支配人は帰られたのではなかったのですか」


 田辺は暗に瀬田が総支配人の仕事をしないせいだと含ませた。気づくだろうか。


「そうでしたか。私の仕事をお願いしているのも原因ですよね。私は一旦帰ったのですが社長に言われていた書類を忘れて取りに戻ったのです。そしたらこちらの明かりが点いているのが見えて」


 瀬田はそう言いながら佐伯を見る。瀬田は佐伯を探っているようにも見えた。


「私は新作の料理を考えていました」


 佐伯は田辺に説明したことと同じ内容を瀬田に話す。


「新作ですか。それは楽しみですね」

「なかなか思うようなものが出来なくて」


 佐伯は鍋の中を見せながら言う。鍋の中には大きめにカットされた根菜が入っていた。


「そうでしたか、メニューが出来たら一度見せていただけますか」

「分かりました」


 佐伯が答えると瀬田はこれで失礼しますと言って帰っていく。その後姿に田辺は瀬田が本当に書類を忘れて取りに戻ったようには思えなかった。それにここは外からでは明かりは見えない。この場所を通らなければ分からないのにどうしたら明かりが点いていることに気づけるのか。誰かが佐伯の行動を瀬田に教えたとしか考えられない。だとすると瀬田に内通するものがこのホテル内にいることを指す。益々、疑惑が大きくなるのと同時に瀬田は佐伯も疑っているのだろうか。それとも瀬田の疑いは田辺に向けられているのだろうかと気になって、忘れかけていたことを思い出す。


 柏木を復帰させるためにもどんなことがあっても田辺はここを辞めるわけにはいかない。自分の行動も気をつけなければと改めて思う。

 次の日もやはり佐伯は遅くまで残って料理を作っていた。

 田辺はその様子を陰から見ていたのは、昨日の様子から何か隠しているように見えた行動を確かめたかったからだ。

 佐伯は無駄のない動きで料理を作っていく。田辺は佐伯の作っている物があの隠していた鍋の物だと気づいた。やはり佐伯は何か隠している。そう確信した時、後ろから声がした。


「何をしているのですか?」


 突然声をかけられて体が跳ねる。


「総支配人?」


 振り返るとそこにはまたしても帰ったはずの瀬田が立っていた。毎度のことながら心臓に悪いと思った。高鳴る心臓の音を瀬田に気づかれないかと心配になるが当の瀬田の関心は別のところにあるようだ。


「本当に新作を作っているのでしょうか」

「えっ?」


 瀬田の視線の先は総料理長にあった。

 笑顔の裏に隠されて何かを探るような視線が少し恐ろしくなる。


「それはどういうことでしょうか」


 田辺は訊き返す。瀬田が言っている意味が分からなかった。


「新作の準備はいつもならもう少し先だと社長からお聞きしましたので」


 時期が違うだけで疑われるのはどうかと田辺は思った。それだと、毎夜見回りをしている田辺も今までと違う行動を取っていることになり、疑いの対象になるのだろうか。たまったものじゃない。真面目に仕事をしているだけだと言ってやりたい。


「新作ではなかったとしたら何があるのでしょうか?」


 瀬田の疑問に質問で返してみた。


「何か隠しているような気がして」


 瀬田の顔からは先程までの笑みは消えて佐伯を凝視していた。


「隠しているって」


 瀬田が疑う基準は何だろうかと田辺は見る。新作を考える時期が違うだけではないと思うが、それが田辺には分からなかった。一体、この瀬田という男は何なんだと、そっと瀬田を盗み見る。


「たとえ話です」

「たとえですか」


 瀬田はそれ以上言うことはなかったが、瀬田の佐伯を見る目つきはさらに鋭くなったように感じた。


「私はこれで失礼します」


 田辺は恐怖を感じて早くその場を離れたかった。これ以上一緒に居てはいけないような気がしてきた。


「そうですか」


 瀬田はもう少しこのまま残ると言うので田辺はフランス料理店を後にして見回りを再開した。


 瀬田の姿が見えなったところまでくると、壁に背を預けて大きなため息をした。一気に力が抜ける。自分の行動は怪しくなかっただろうか、疑われるようなことを言っていなかっただろうか。さっきの自分の行動を思い返していた。

 手を額に当ててずるずると壁に寄りかかったまま座り込んだ。膝を立ててそこに顔を埋める。


 瀬田にとって佐伯も疑いの対象なのだろう。それにしてもどうして佐伯が疑われるのか。瀬田が疑っているのは不正に関する者だけではないのか。

 佐伯は別館の不正に関わっているとは思えない。それに瀬田は佐伯が新作を作っているように見えないと言っていたが、どこをどう見たらそんなことを言えるのだろうか。瀬田が佐伯の料理を作っている様子を見たのは先日の一回だけだ。その一回だけで新作かどうかなんてわかるものだろうか。


 瀬田が言うように田辺も新作を作っているようには見えなかった。その確認をする為、今日は陰から見ていた。田辺は何か引っかかるものがあったが思い出せずにいた。

 何もかもが自分の想定外の出来事でどうしていいのか分からなくなってくるがそれでも田辺の意志は柏木の汚名を晴らし復帰させることだ。

 田辺は立ち上がり大きく息を吐いた。とにかく今、自分が出来ることをするしかない。もう一度大きく息を吐く。

よし! と自分に活を入れた。


 総料理長は今日も残って料理を作っている。しかし、その料理は田辺の見知っているメニューばかりでとても新作を作っているようには見えなかった。総料理長は何をしようとしているのだろうか。


「やはり、新作ではないですよね」


 その声に振り返ると瀬田が立っていた。いつからいたのか。もう、考えるだけ疲れてくる。今日は心臓も高鳴ることはなかった。馴れとは恐ろしい。


「何をしているのでしょうか」


 田辺も総料理長が何をしているのかよくわからなかった。しかし、あの総料理長が意味もなく何かをすることはないと知っている。


「見たことのある料理ですよね。今作っているのは」


 瀬田の言葉に更に驚いた。


 翌日も総料理長は料理を作っていた。

その料理も田辺の知っているものだった。今日の料理はいつのだろうか、田辺は最近そんなことを考えだしていた。

 総料理長の料理は毎日違うものだが、それは少しずつ最近のものになってきているように思えた。

 総料理長の手元を眺めながら、総料理長はどうしてこんなに早くから新作メニューを作ることを思い立ったのか。


「今日の料理も見覚えがありますね」


 声で誰かもう分かったが、田辺は振り返る。


「総支配人。見覚えがあるのですか」


 田辺はどうして瀬田が分かるのか疑問に思っていた。


「総料理長が新作メニューを考え出したと聞いて、社長から今までのメニューの写真とリストを見せていただいていたのです」


 どうして瀬田が昔のメニューをこんなに詳しく知っているのか気になっていたが理由が分かって改めて田辺の思い違いでなかったと分かった。

 その翌日もまた次の日も。

 違うのはメニューが毎日違うと言うことだけで、今まで総料理長が作っていた料理すべてはこのホテルで出されていた田辺の知っているメニューだった。

 そして瀬田も毎日様子を見に来ていた。

 どうしてそんなことをしているのだろうか。田辺は総料理長の行動に謎が深まった。

 田辺は気を取り直して、ホテル内の見回りを続けることにして歩き出した。田辺はそこに深く追及する気持ちも薄れていたが瀬田はそうではなかったようだ。田辺がレストランを後にしても暫く見ていることが続いていた。


 翌日、社長の古瀬がやって来た。瀬田が総支配人になってから殆どこちらに来ることがなかったから田辺に緊張が走る。次の解雇は誰か決まったのか。そんな考えがよぎる。

 田辺が本館のフロントで菅田と話している時に社長が近づいてきた。


「総料理長が新作を作っていると聞いたが」


 社長が聞いてくる。


「はい。ここ毎日、残っているようです」

「いつもこんなに早くから準備していただろうか」


 もしかしたら、社長も佐伯のことを何か疑っているのだろうか。


「総料理長に何か考えがあるのだと思います」

「考えね」


 社長は呟く。多分、田辺の言葉に納得していないのだろう。しかし、それ以上何かを聞いてくることはなく従業員通路へ歩いて行く。

 その後も佐伯は夜遅くまで料理を作り続けていたがある日ぱったりと止めた。

 田辺は新作が出来たのかと聞きたかったがなかなかタイミングが合わず佐伯に確認できずにいた。

 数日後、瀬田から新作が出来たみたいだと聞いてやはり佐伯は新作を準備していたのだと分かった。

 田辺はあの時感じた違和感は何だったのかと思った。

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