第5話 宿泊客

 数日後、別館で新規の顧客が宿泊されると言うので出迎えに出た。


 事前に知らされている情報は松川明美という四十代の会社経営者と言うことだけだった。それ以外の情報は予約を受け付けた者も分からない。

 響子と二人、別館の事務所で松川明美の予約時の記録を見ていた。ここまで情報がない宿泊客は別館では珍しい。


「本当にこれだけか?」


 田辺はもう一度確認する。


「今までにないことよ。しかし、特別室の顧客の紹介状があるから無碍には出来ないでしょう」

「確かにそうだが」


 今はあまり問題を抱え込みたくないそんな考えを響子に悟られるわけにはいかず仕方なくこうして挨拶をする為に別館に来ている。


「紹介者には確認済みよ。これ以上どうしろというの」


 響子にも不安があるようだ。しかし、紹介者にも確認している限り断るわけにもいかないのだろう。

 田辺は少なすぎる情報を頭に叩き込んだ。一体どんな人物だろか。


「いらっしゃいました」


 別館担当で響子の部下の山本弥生が事務所にいた田辺と響子に知らせに来る。


「すぐ行きます」


 響子は答える。


「着いたようね」


 響子は田辺にそう言い田辺を見る。田辺は小さく頷き、響子の少し後ろを歩いて事務所を出る。フロントから少し離れたところから様子を伺う。少ない情報を少しでも補うために少しの仕草も見逃さないようにする。

 チェックインをする松川明美は田辺が想像していたような人物ではなかった。

 時折長い髪をかき上げながら、宿泊の為の記入をしている。服装も派手で経営コンサルタントと言うには少し違う雰囲気を持っていた。もっと言うと夜の職業と言ってもいいくらい派手な化粧と服装だ。到底経営コンサルタントとは思えない。

 服装で判断してはいけないと思いつつもコンサルタント業をしているのなら周囲の目も気にする筈だ。それなのにこの格好をするのはどうしても違和感しかない。そんな感想が田辺の第一印象だった。


 チェックインが済んだのを見計らって近づき声をかける。


「初めまして。副支配人をしております田辺と申します」


 田辺は先ほどまでの考えを一切隠して副支配人としての対応をする。


「松川です。よろしく」


 顔を少し傾けながら、田辺を見る仕草は取り繕った媚びた態度に見える。

 改めて挨拶をする為、本人を目の前にした時、本当に経営コンサルタントなのかと疑問が強くなる。響子と弥生が松川明美を部屋まで案内するというので田辺はその場で見送った。


 響子たちがエレベーターに乗り込むのを見届けた後、帰ろうとした田辺はフロントの内側に宿泊名簿が置かれているのが見えた。

 田辺はそれを手に取って中を見る。そこには先程チェックインしたばかりの松川明美の詳細がファイリングされていた。それによると会社社長とある。自宅は隣接する県の住所が書かれていた。


「自宅の近くに宿泊する理由があるのか?」 


 田辺が疑問を持った経営コンサルタント、会社社長、どれをとっても先ほどの松川明美のイメージに当てはまらない。それともプライベートだからか。

 別館の宿泊には別館の顧客の紹介がなければいけないのだが、その紹介状もあって確認が取れているのだからそれなりに保証された人物なのだと頭では分かるが、自分のカンはそうではなかった。

 紹介状もファイルされていたので確認をしてみる。何処も不審点はない。ただし、その時不審なことがあったと言っていたのを思い出した。松川は部屋を指定して予約をしてきたらしい。

 その部屋は松川が予約を入れる前日の午後に別の顧客が解約したばかりでその事を知っているのは別館担当しか知らない情報だと言っていた。

 紹介した顧客もそのことは知らないはずだと響子は言っていたのだが、ただの偶然だろうか。


「どうかされましたか」


 別館担当の渡辺智子が声をかけてきた。田辺はファイルを元に戻す。


「先ほどの客はいつまで滞在するのか?」

「一カ月の予定で予約をおとりしています」

「一カ月?」


 更に疑問に思う。自宅は隣県だ、どうして一カ月もホテルに泊まる必要があるのか。


「職業は何をされている方か聞いていますか?」


 もう少し詳しい情報があるかと聞いてみた。


「個人で事業をされていると伺っています」


 ファイリングされている内容と同じだ。これといって何か分かるものではない。


「ありがとう」


 田辺はそう言い残し部屋に戻ることにした。

 田辺は部屋に戻ってすぐに松川の情報をパソコンで確認してみる。とにかく情報が欲しかった。どんな小さなことでもいい、自分が納得できる情報があればと秘かな望みを持ちつつ画面を見る。

 先程ファイルで確認した情報の他、松川の会社名がのっていた。会社名をネットで検索したがその名前はヒットしなかった。

 田辺の安心材料は何も出てこなかった。松川がこのホテルに来た理由が分からない不安を抱える。柏木のことがあってから、少し神経質になっているのだと思った。


 松川が宿泊を始めてから何日か過ぎたが、特に何も起こらなくて田辺は少し安心していた。

 松川は週に何日かは昼間、仕事に行き、夜はホテルに帰ってくるという生活をしている。それ以外は部屋に籠っていることが多い。

 その様子にやはり田辺は疑問に感じていた。松川の自宅はここからそれほど遠いわけではない。それなのにホテルに宿泊することに何の意味があるのか。何度か仕事に向かう松川を見かけたことがある。自分で車を運転して出かけているようでホテルの駐車場には高級外車が止まっている。


 副支配人室を出て別館に繋がるドアを開けた時に話し声が聞こえてきた。田辺は慎重にドアを閉めて声のする方へと歩いて行く。少しずつ声がはっきりと聞こえてくるとその声の主が瀬田だと分かった。どうやら特別室の前あたりで話しているようだった。田辺は瀬田に気づかれないように隠れて聞き耳を立てた。


「仕事はどうですか?」


 瀬田の声がする。


「今のところ順調です」


 女性の声がした。誰と話しているのだろうか田辺は気になって耳を澄ます。


「困ったことがあれば言ってください。お力になれると思います」

「頼もしいわね」


 少し鼻にかかった媚びた声で相手が誰か想像がついた。


「ありがとうございます」


 瀬田が答えている。

 田辺は身を乗り出して瀬田がいるだろう場所を覗く。瀬田と話しているのは先日から宿泊している松川だった。

 松川がこのホテルにやって来てからというもの、瀬田は頻繁にホテルに来るようになっていた。そして、特別室へもよく来ているようだった。

 最初は偶然だと思っていた田辺だったがこういうことだったのかと納得してしまう。松川がこのホテルに宿泊しているのは瀬田が目的なのだ。それは社長の言っていた新事業に関わることなのだろう。何をしようとしているのか分からないが、瀬田と松川が関わることは確定事項なのだと考えるとこの先が恐ろしくなる。田辺は壁に隠れたまま会話を聞き続けた。


「社長はこのホテルには興味がないのかしら」


 松川の笑い声と共に聞こえる内容に心臓が高鳴る。


「もちろんあります。それと同じくらい別のことにも興味があるみたいですが」

「素敵ね」


 田辺は瀬田と松川の会話が気になってこうして探るようなことをしている。本来ならこんなこと許されることではないが二人がなにを目的にしているのか気になっていた。

 瀬田と松川からは見えない位置に隠れて会話を聞いていると、話はどうやら仕事のことだと分かる。社長の考えそうなことだと思った。

 田辺はここ最近頻繁にホテルにやってくる瀬田を観察していて気づいたことは、社長が考えたことに瀬田が根回しをしているようだった。気が付くとホテルの従業員の何人かに声をかけているのを見かけたことがあった。

 瀬田と松川の会話が終わったのが分かった。田辺は咄嗟に踵を返して副支配人室へと戻る。

 松川と瀬田は以前からの知り合いだったのだろうか。社長と新規事業を始めると言っていたのは松川の会社とだろうか。そういえば、別館の他の顧客からも瀬田の話が出てきていた。瀬田はいつの間にか別館の宿泊客と会話をしているようだ。

 総支配人の仕事は任せると言っていたが、そう言うことはするのだと思った。それもすべて社長の新規事業の為だろうか。田辺はなんとなくモヤモヤした感情を抱えていた。

 田辺は周りの様子を伺いながらドアを開ける。誰もいないのを確認し別館へと続くドアを開ける。松川の部屋の前を通り客用のエレベーターに乗りこみ、一階のボタンを押す。

 瀬田はあの後、総支配人室に戻っている。最初の言葉通り、ここに来てもホテルの実質的な仕事は一切することはない。何のための総支配人という立場なのか。

 田辺はぶつける術もない苛立ちを抱えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る