第4話 疑惑 後編
田辺はホテルの外を歩き別館へと向かう。
建物の中を通っても別館へ行けるが、外の空気を吸いたかったのもある。柏木と響子が不正の共犯だと言う瀬田の言葉に違和感を覚えた。
柏木が遅くまで残っていたことと不正は何か関係があるのだろうか。社長はどうして不正の事を知ったのだろうか。そして、柏木は不正を認めたのだろうか。疑問点が次々と出てくる。一つ一つ確認していくしかないとは思うが、どう動くかも重要になってくる。
瀬田が持っていた不正の証拠、不正相手にも確認をしたと言っていたが、柏木が不正をしていなかったとしたら確認のしようがない。
他の誰かが不正をしていて、それを庇っていたのならわかるが身代わりになることは絶対にない。やってもいない不正を柏木は認めるはずがない。そう思うからこそ田辺は社長や瀬田の言葉に疑いを持つ。
他の誰かが不正をしていたのだろうか。別の考えが浮かんできた。柏木ならそれを止めさせようとするだろう。それなら響子が不正をしていたのだろうか。それも違う気がする。響子は生真面目すぎるくらい仕事に打ち込んでいる。その響子が不正をするとも考えられない。
別館に行くと丁度、響子が奥の事務所から出てきた。響子は田辺に気づくと近づいてきた。田辺は瀬田が言っていたことが気になり、どう話すか迷う。
「こっちで話しましょう」
響子は田辺を見ると奥の事務所へと誘ってきた。田辺は無言で響子の後をついて事務所に入る。あらかじめ人払いをしていたのだろう、奥には誰もいない事務所に入ると響子はドアを閉めて振り返る。
「柏木さんが不正を働いていたと言うのはどういうこと?」
少し苛立ち気味に聞いてくる響子に田辺はやはりと思う。柏木のことをよく知っている者は、柏木がそんなことをする筈がないと思うはずだ。しかし、社長の言ったことの真偽は分からないまでも、柏木はここを辞めたのだ。
「分からない。柏木さんと連絡が取れない」
「柏木さんは長期出張のはずじゃなかったの」
響子は更に訊いてくる。
「そう聞いていた」
田辺はどう説明しようかと考えていたが響子にはやはり本当のことを言えずに小さな嘘をつく。
「それ、誰に聞いたの」
「社長からだ。この前来た時にそう言われた」
響子は胸の前に腕を組んで、納得がいかないと言わんばかりの顔で田辺を睨み付ける。
「どうして長期出張と言ったのかしら」
響子が呟く。田辺は心が痛んだ。
長期出張と言った言葉も嘘だ、いくら社長から言われたとしてもみんなにそう伝えたのは自分だ。
「瀬田さんってどういう人なの?」
「知らない」
これは本当のことだ。つい先日社長の古瀬から紹介されたばかりで、会ったのは今日を含めて二度目だ。過去に何をしていたのか、そしてどうやって古瀬と知り合ったのかも知らない。
「あなたも知らない人がいきなり総支配人になるなんてどうかしているわ」
響子は怒りを露わにした。納得できないことが多いのだろう。田辺も納得できない。響子のように怒りを現したかったが、柏木がいない今、自分がそれをしてはいけないという思いだけで何とか留めている。
「社長が決めたことだ。文句は言えないだろう」
「柏木さんのこと何も気づかなかったの?」
響子はきつい口調で責めてくる。田辺自身も何も気がつかなかったことに負い目を感じていた。
「気づかなかった。そっちはどうなのだ」
田辺は響子の反応を見る為、訊いてみた。
「気づくも何も、柏木さんが不正をしていたとは思っていないわ」
響子は、はっきりと言い切った。
瀬田は響子も共犯だと考えている。今の響子の態度から共犯とは思えない。しかし、柏木さんが不正を認めたことと瀬田が持っていた書類から響子が柏木の不正を知らなかった筈はないのだ。どう判断していいのか迷う。
もう一度、響子の様子を探ると響子の表情がさっきまでと変わっているのに気づく。響子の視線の先には事務所とフロントを分けるすりガラスを見ていた。そしてそのガラス越しに瀬田が部屋に入ってくるのが見えた。
どうして瀬田が? 帰ったのではなかったのか。田辺は一瞬焦っていた。この状況が誤解されないことを祈る。
「こちらにいらしたのですか」
瀬田は田辺に向かって言うが一瞬視線を響子に向けたのを田辺は見逃さなかった。
「この後、少しお話がしたいのですがお時間はいいですか」
そう言いながら横目で響子を見る。どうやら、響子に訊かれたくない内容のようだ。
「大丈夫です。どこか場所を変えますか?」
田辺は一応確認をしてみる。
「外で」
瀬田は響子に用はないとでも言いたいのか一瞥すると声もかけずのそのまま事務所を出る。田辺もその後をついて別館の外まで出る。
田辺には瀬田が何をしたいのか分からない。下手に動けば柏木を救うことは出来ないと何度も自分に言い聞かせて平常心を保つ。
別館の外から中を見ながら瀬田は話し始めた。口元に笑みを浮かべるが目は冷たさをたたえている。
「社長がおっしゃっていた総支配人とはかたちばかりです。私はこれまで同様に社長と新事業の準備をしますので、総支配人の仕事を、と言われてもこちらに掛かりっきりとはなりません。社長の手前、総支配人を引き受けましたがこちらのことは副支配人、あなたにお任せしたと思います。時々こちらによって様子は伺わせていただきますが」
瀬田はまるであらかじめ用意していたかのように話す。
田辺は瀬田の言葉をどう解釈していいのか分からなかった。何かを取り繕っているようにもみえる。そして瀬田は最後にこうも言い残して言った。
「このことは社長にも許可を頂いておりますのでご安心ください」
田辺はこの言葉に社長は瀬田に信頼を置いているのだと思った。瀬田の言葉は社長の言葉と思っていいと言うことを示している。
柏木が以前、社長の傍に見知らぬ男がいると言っていたのを思い出した。確か半年ほど前だ。それが瀬田だとしたら、こんなに短期間でここまで社長の信頼を得ることが出来るのだろうかと疑問が湧いてきた。一体、瀬田と言う男は何者なのだろうか。逃げ出せない、深い泥沼に足を取られたような感覚を覚えた。
響子への疑惑も確定的になっていることを物語っている。いつまでもたせることが出来るか?時間がない。このままでは響子も共犯にされて解雇になる。
田辺は別館に戻らず、そのまま本館へ向かった。響子に瀬田のことを聞かれるのを避けるために。
田辺はかなり動揺していた。帰ったと思った瀬田がまだいた。そして、田辺が響子と一緒にいる時を見計らって別館に来たのではないかと疑う。瀬田は響子を監視しているのか、それとも田辺の行動を見ているのか気になった。
瀬田は田辺のことも調べて共犯ではないと言っていた。その言葉はどこまで信じることが出来るのだろうか。
田辺を油断させて何かを探ろうとしているのか。それなら自分に気をつけないといけない。
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